見出し画像

一緒にいてもその人にはなれないと実感して、愛に気付く

 結婚する時に「これからはずっと一緒だね」と夫となる彼は言った。

 アメリカ東海岸のニュージャージーと日本とでは遠すぎて、当時は通信手段も今よりずっと乏しい頃だったから、ビザが切れる度に離れるのは寂しくてそれだけでエネルギーが消耗した。いちいちグズグズと彼に愚痴を言って困惑させた。
 もうお別れしなくて良いと結婚の喜びを感じていたけど、夫は出張が多くて、別にずっと一緒でもない。
 笑われてしまいそうだけど、なんなら毎朝「行ってらっしゃ~い」と見送るのが名残惜しい。

 もう小動物か虫にでもなって夫の背中にぺったりひっついて一日中過ごせたら。なんて新婚当時は思っていた。

 一人で過ごす時間は全然苦にならないはずだったのに、夫と結婚してみると、自分で自分の気持ちに戸惑うくらいに、私はベッタリしたいタイプなのだった。


 もちろん今は一人の時間をとても当たり前に過ごしているけど、ずーっと何日も一人きりはさすがに寂しい。夫が3泊以上の出張に出ると、その間を埋めるようにスケジュールを作り出す。あの場所そう言えば掃除してなかったわとかやたらにひらめく。身体がしんどい時はただ友達と会ってお喋りし、このご時世だとリモートで誰かと待ち合わせる。ちょっとやめていたゲームを復活させ、急にピンポイントで課題を作って達成しようとムキになる。
 それなりに過ごすけど、ふと10年ほど前まで、つまり結婚して15年くらいもの間、私は寂しくて大変だったなあと思い返す。
 当時、どういう風にやり過ごしていたんだっけ。
 どんな風に夫の背中を見送っていたんだっけ。
 と思い返し。
 そうだそうだ。
 「どうしたって24時間一緒にはいられないんだなあ」って毎日のようにハッと気が付いて、むーん。と眉間にしわが寄ってしまったものだったなと思い出した。
 そしてそうやって毎日、いかにも発見したかのように思う時、顔の奥でツンときたものだった。胸の奥がキュッと絞られたようでしんどくなって。それをどうにか一瞬でやり過ごして、なるべく時間をやりくりする。


 それは孤独という意味ではないと気づいたのは、夫と並んで山の景色を眺めていた時。

 本当にそれは唐突にやってきて、すとーん! と音が聞こえたくらいに腑に落ちた。

 夫は元々自由人で自分の思うように、自分の心地良いように行動する。それに振り回される時もあるし、イライラする時もあるけど、こちらに気を遣っていないと知るのは私にとってはとても気がラク。
 私は本意でなくても、つい気を遣ってしまうタイプで、できるだけ私に構わないで皆さんどうぞ楽しんでと引けるだけ引いてしまう。二人でも大勢でも、どんな場にいてもそう。そうすることで構ってほしいなんてみじんも思わない。放っておいて、ほどの強い気持ちも特にない。ただただ「私は良いから」とずっと腰が引けている。楽しそうなみんなを見ているのが良い。心から嬉しい。
 でもそうすると物理的に身の置き所がなくてオロオロしてしまう。そのオロオロがいやで、ますますみんな私など見えていなくて良いんですよーみんなが楽しそうなのが嬉しいんですよーと思う。
 大人になっても50歳になっても全然変えられない根本的な気質なのよ。
 このくらいなんてことないじゃないか、そんな自分を変えようじゃないか、と奮い立たせた時期もあったけどね。もうしんどい。

 夫は私がいようといまいと、自分の思うように行動するから、その辺の私の気の持って行き方がラクなのだ。
 たださすがに自分のペースをあまりにひどく乱されるとイライラするから、夫も前より気を遣うようにはなった。

 そんな夫だけど、「僕はいつだって寂しいんだよ」と話してくれたことがある。何かの性格判断みたいなのを二人で見ていて、夫がそのカテゴリーに当てはまるから「えっ。〇〇な人って、ずっと寂しいの? 何かがきっかけで寂しくなるとかじゃなくて?」と驚いた。

 ずっとかあ。ずっと寂しいのかあ。
 普段寂しい寂しいと主張する私と違って、自由に一人であちこち出る夫なのに、一人だろうと二人だろうと何人だろうと寂しいんだなあと心に残った。

 その日。山を眺めながら、そんな風に言っていたのを思い出して、並んで見ているこの景色が、もしかしたら違うように見えているのかもとふと全身で感じた。

 夫の角度から、夫の目の高さから、今この瞬間にその景色を見ようと思うなら、夫になるしかない。そんなの不可能じゃないか。じゃあ私から見えているこの景色も夫からは見えていないんだ。
 今見ながら感じているこの景色への感動も違うものなのかもしれない。

 夫は今この景色に何を感じているんだろう。

 どんな風に見えているのかな。

 それを想像しながら、これって愛だなって思った。

 相手がどんな風に見えてどんな風に感じているか。同じではないであろうそれを想像するのが愛なんだな。

 愛が自分の中にあるのを実感するって豊かだ。


※最近、お見えにならないので載せて良いか迷うけれど、原井浮世さんの記事を読んでからずっと書きたいと思っていた内容。(困るようなら消しますのでおっしゃってくださいね。そもそも気づいて下さるか心配なのだけど)

人と違うって人を想うことだと改めて思わせてくれたなあと。コメントに私は子供のことを書いたけど、自分の中でそれだけじゃないよなあと思って。その後も引き続きほわんほわんと時々頭の中に浮かんでは、反すうしている。



読んでいただいて、ありがとうございます! 心に残る記事をまた書きたいです。