日本語も英語も、ニュアンスを考えるのが楽しい
少し前に「愛している」の日本語がしっくりこないと書いた。「I love you」に変わる言葉は他にたくさんあるのもまた豊かだなとも書いた。
だけど外国語の立場から考えてみると、「I love you」はしっくりくるけど、日本語の「大好き」に代わるピッタリの言葉があまり思いつかない。
「I like you」って、嫌いじゃないよ程度まで好き度合いが下がってしまう。loveと likeの間の気持ちで相手に伝える言葉ってなんだろう。
幼い頃に帰国した頃、「favorite」に変わる言葉はないのかと自分で考えて「お気に入り」の言葉に気付いた。私にはお気に入りの階下に住むおじさんがいて、「He is my favorite」だったのだ。大好きでよくなついていたけど、でも「You are my favorite」って、相手に直接なかなか言うものではない。失礼なんじゃないだろうか。
ちょっとキュンとしたり、愛おしいと思ったり、ありがたいなと思ったりした時の「大好きだよ!」って英語で何と言うのかなと思って色々調べてみたのだけどね。
調べても調べても、そういうんじゃない……の気持ち。英語で言うなら結局「love you」になると思うんだよな。
いえね、日本語や日本文化を少しだけ教えているスリランカ人の奥さんと話していて、英語に苦労している。
帰国子女と言えども7歳までしか暮らしていない私は、とにかく単語が出てこないし、文法だって適当。スリランカ人の彼女も、文法や単語が適当だけど、私より少しすんなり言葉が出てくる。その程度なのでお互い時々、Google翻訳に頼る。
「アー……エー……なんていうんだっけ」と日本語で言いながらスマホをいじって「ああそうだ!」と会話を続ける。
レッスンの都合を合わせる時も、Google翻訳に頼っている。
日本語の文を好き勝手に打ちこんで英語を読む。
でも直訳がものすごく可笑しかったり、「そうじゃあない」と違和感を覚えたりする部分、多々!
「もっとこうなのよ」「いやそんな言いかた普通しないでしょ」「通じなくはないけどすごく違和感」「単語がその意味でもこの言い回しはしない」と感じては、日本語の言葉を言い換えて、英語がしっくりくるところまで何度も打ちこむ。しっくり来たら「これで良いんじゃないだろうか」と、今度は英語を調べ直す。
これがエネルギーを使って疲れる。
だからすごく簡単なメールを書くだけでちょっとストレスなのだ。慣れてしまえば良いのだろうけどね。なにしろ私の体力のせいで、ぽつらぽつらとしかレッスンができなくて申し訳ない。そして私も慣れない。
別の外国人の友人がチャットGPTの方が多少違和感が減るよと話してくれたけど、やっぱり自分でしっくりこないところは調べ直さないといけないのだ。
ニュアンスだけは7歳まで住んでいた記憶が覚えている。
語彙力も文法も、声の大きさ(実はこれが一番大事)も、私より全然しっかりしている夫と、発音だけが上手な私。聞き取りも私はできるけど、語彙力が伴っていないので、「その単語なに?」がしょっちゅう。なかなかバランスが取れない。だけど英語のニュアンスについてよく話す。そこだけは対等に話せる。私のは根拠がなくて「なんとなく変だよ」とか「なんとなくそれで良い気がする」で、「なんとなく」だらけなのだけど。
書きながら、話しながら、考える。日本語にもあるように、英語にだってニュアンスがある。
「love」や「大好き」は少し違うけど、それでも伝える側、伝えられる側にその言葉のニュアンスは共有されている。きっと言い合う人同士でそれほどちがいはないのだ。どっちが良いって言うんじゃない。そのニュアンスがわかっているって、面白いなーと思う。
最近、ドラマ「アガサ・オールアロング」で、気に入った恋人同士のやりとり。
LINEでの会話のしめくくりだった。
「You're my ♡」
これ、「I love you」にも、「ほんと大好きだよ!」にも、近い気がしたなあ。
読んでいただいて、ありがとうございます! 心に残る記事をまた書きたいです。