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私たちは影響し合っているんだなあ

 迷いに迷って、また書いています。

 自分のnoteページが変化して、私にとってはすごく見づらいことやスキ制限が不自由に感じて。
 どうして工夫して気を遣いながら使わなくちゃいけないんだとやりきれないのと、時代にどんどん取り残されていく焦燥感と重なって、気持ちがついていかず。

 面倒くさいと思う方もいらっしゃるだろうけど、開き直りじゃなく受け入れるようにしている私の気質。もう自分を嫌いになりたくないの。

 コメントで皆さんもなんだかんだとお腹にありつつ、スキのつける時間などに工夫しながら続けていると知り。「ホーム」の横の「記事」をクリックしたら見やすいと知り。何よりコメント寄せてくれる人がいらっしゃるのが私にとって心動かされた。

 なんで使う側が気を遣って工夫しながら続けなくちゃいけないんだと悲しいようなストレスは変わらず抱えたまま。
 だけどこういう風に変化できないのが「老害」とか言われちゃうのかな。頑固にならないようにしなくちゃと思ったり。いやあ納得できないのに無理に続けることないよと思ったり。

 まだまだ葛藤があるけれど、とりあえずみんな大切なものを持ちよって、この場に見せにきてくれていることに励まされる気持ちがして。

 私はお笑い芸人が好きなのだけど、彼ら彼女らの中には、「歌ネタ」と言って、歌を歌いながら歌詞の中で、そしてメロディとのバランスで笑わせる芸を見せてくれる人たちがいる。

 最初から歌が上手な人もいるけど、たいてい「ちょっとした音程のちがい」が耳にさわってしまって、こちらからは「雑情報」となってしまう。
 それが続けているうちに、皆さん、年々上手になってくるのよねぇ。
 続けることと、人に見てもらうことって、こんなにもその人を変化させるのかなって、歌ネタの人たちを見る度に思う。
 夫とも「みんなの前で歌い続けてきたからだよね」「上手になっちゃったんだよね~」って笑いながら感心する。

 先日観た映画でもそんなことを感じた。

 今、自分用の下書きに次々たまっているのだけど、仕上げる気持ちにならずに未完成のままのものばかり。きっと上手下手関係なく、とりあえず皆さんに読んでもらうことを意識しながら仕上げることが結果的に、私にとって快適になるだろう。

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 別のところに行くエネルギーは、まだありませんでした。
 ここで良いなと感じる場所はあったけれど、さてアイコン作って、自己紹介文やニックネーム考えて、って思うとそこまで頑張れなかったんです。

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 まだ休み休み暮らしている私だから、もう少し元気になったら、また考えよう。いや今も考えながら。


 先日、出先でどうしても皆さんに見せたくなった景色があって。「noteの方たちに見てもらいたい」と思った。

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 森の中にアジサイ畑があるみたい。

 斜面の木々の間に、アジサイが咲き乱れている奥ゆきある景色に感動した。

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 リハビリみたいに、しばらく詩と映画の感想文を修正しながら載せて、それからまたエッセイも載せる気分になれると良いな。

 ここに来る自分を受け入れるし、ここにいたくなくなる自分も受け入れたい。

 まだしんどいほど迷うけど読んでもらいにきた。

 書くのは頼まれなくたって続けたい好きなことなのだから。

 「みんなに会いに来てます」ーと書くのは二度目。



読んでいただいて、ありがとうございます! 心に残る記事をまた書きたいです。