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表現てこういうことなんだよなと感じる~J.Y.ParkのNizi Projectが面白い~

 「スッキリ」(日本テレビ)のNizi Projectを時々観る。
 朝は横になっている日も多いのだけど、少しでも体調良ければ、忙しくしているものなので、「必ず観る」と、どっしり座って観るわけではない。ビデオに撮って観るほど熱心に「必ず観る」ものも最近の私はない。大好きなお笑い番組も多すぎて、毎回全部、とは追いついていない。朝は「コレ!」と決めているものもない。朝から真剣に世の中を考えるのがとてもしんどい日もある。
 そんな時は呑気に楽しめるものを、ただ流している。

 Nizi Projectは、次世代ガールズグループの発掘オーディション。「世界で」活躍できる日本人ガールズグループのオーディションが行われている。韓国のJ.Y. Parkがそのプロデュースを行っており、オーディションも彼が中心になって行われる。
 それが「スッキリ」の1コーナーで観られる。Huluでも詳細に観られるそうだけど……。えーと。私はそこまで熱心ではないので、お好きな方はそちらもどうぞ!

 J.Y. Parkは、韓国のシンガーソングライターでありながら、韓国日本台湾混合ガールズグループ「TWICE」をデビューさせている経験もあり、日本の音楽にも精通している。
 いや、彼の経歴や国籍がどのようなものであったとしてもだ。彼の表情もアメリカ育ちが表れていて見ていて面白く、このオーディションで投げかける彼の言葉が、時々「うおっ」と立ち止まるくらい気になるのだ。
 時には洗濯物を運びながらテレビの前で立ち尽くし、時には洗い物をしながら手が止まってニュッと首を伸ばし、テレビの画面に食い入る。時にはストレッチや筋トレをしながら、いきなり起き上がって彼の言葉を書きとめる。そして時には横になって快復を待ちながらその言葉を耳に、頭に残す。

 このオーディションで、一番重きを置かれるのは、努力により成長の跡が見られるか、のように思われる。どんな子も伸びしろがあり、「原石」が磨かれていく様子を評価される。元々何か持っている子じゃないと、目にもとまらないわけなのだけど。そして完璧に思える子も努力を続けなければ取り残されてしまう。
 だから、今は完璧じゃなくても、次の段階でどうなっているかその変化を見られている。
 つまり皆と比べて評価しなければならないにしても、その子自身の中での変化をきちんと見てくれているのが伝わってくる。一人一人を大事にしていることがわかって、観ているこちら側まで気分が良い。


 どうしても書いておきたいのが、ダンスや音楽がこちらの好みかどうかは別。どうしてもおばさんの私から見たら、表情や動きは媚びて見えるものだし、男の人の好み、審査する側の好みが出ているではないかと思ってしまう。
 ただその場に挑んでいる者として精一杯「選ばれたい」の気持ちで頑張っている子たちを、あーだこーだと私個人はあえて言いたくない。

 いずれにしても、彼女たちの歌唱力やダンスによる動きのキレや表現力には、訴えかけてくる強いものがあるのは確かだと感じている。

 

 昨日は1人脱落して、12人にまで絞られたけど、何人にまで絞られるのか、今のところ観ていて、どの子も個性があって可愛くてカッコ良くて、皆デビューしたら良いのになと、単純に思っちゃう。

 最初は26人だった。
 その最初の頃にJ.Y. Parkの言葉を聞いて、おやこれは時々これからも観たいなと思わされたのだ。

「1位になっても26位になっても同じように特別です。このオーディションはある特定の目的に合わせてそこに合う人を探すだけで、皆さんが特別かどうかとは全く関係ありません。1人1人が特別じゃなかったら生まれて来なかったはずです」


 それからスターの素質として大切なもの、おそらく彼が心掛けている言葉を惜しみなく伝えてくれる。彼の言葉による表現力は、自分で考えたものであるのなら、とても豊かで真摯なものだと感じた。

「真実」「隠すものがない人になってください。カメラの前でできないことはカメラがない場所でも絶対にしないでください」
「誠実」「自分との闘い。自分自身にムチを打って歌、ダンス、語学の勉強をずっとしていたらそれが積み重なって君たちの夢を叶えてくれます」
「謙虚」「言葉や行動だけの謙虚ではなく“心の謙虚”。近くにいる練習生の長所だけを見て心から感謝すること」

 「スター」なのだから、これだけのものが要求され、それに対して努力を続けるのだろう。観ている私はスターじゃないけれど、確かにテレビの前のスターにそういったものを求めているのかもしれないなあと思わせられる。いや正直、テレビタレントたちにそこまでは求めていないんだけど。と思わせられる昨今のスキャンダル。70代の母は「昔はもっとその辺は適当だったのよ。だって芸能ってそういうことなんだもの。実生活なんて別で」とよく言っていた。古い考え方なのかもしれないけど、時々清廉潔白、一度のあやまちも許さない世の雰囲気に苦しそうにしている人を見ると、母のその言葉を思い出す。
 
 とは言え、やはり彼の大切にしている「真実」「誠実」「謙虚」は、人として大切な、人に対する思いやりでもある。スターなら、そうあってほしいと観ている側は身勝手に思ってしまうものだなあ。


 さて。
 昨日はまた素敵な言葉を発してくれたので、メモしておいた。
 可愛さもあり、スター性も持ったある子に対してなのだけど、

「優しい子であることは重要だけど、優しい子にしか見えない。それが惜しいところ」

と伝えていた。
 うわ。これ私がよく言われた言葉だなあと、先日からズキズキしている頭が余計にズキズキ痛くなってくる。「優しいだけ」って。

 彼女に何が足りないか。
 それは「自信」だった。
 スターになる条件として「自信がある」のは然るべきなのだけど、舞台を観ていても「ホントだー」って伝わってしまうのが、ちょっとした衝撃だった。自信が少しでもなくて「周りの子はすごいのに私は……」って思っているのって、すごく伝わるんだなあ。すごく! 表情、動きに。
 それは観ている側に、不安と居心地の悪さを感じさせられる。
 私はスターになるつもりもなければ、当然今もスターではないけれど、自信がないって言って回ったりそれを表現しているのって、なんかすごーく「惜しい」人間として映っているのかもしれないと思わせられた。
 いや自信は全然ないままで、ある場にいる時に、自信あふれる私! と無理に振舞う必要もないけれど、少なくともそんなに卑下する必要もないなあと思った。

 彼女は今回のオーディションに向けて自信を身につけようと努力をした。自信て、努力して身につけられるものなの? って思ったけど、「努力する」そのものが自信となるもので。彼女の場合の努力は、自分から発言したり、考えや気持ちを積極的に言ったりと表現することだった。
 結果、彼女はそれによってオーディションの舞台での自己表現が大きく変化し、J.Y.Parkに評価されていた。

 「自信にあふれている」はもちろん、

「歌とダンスがパワフルでカラフル」

と。表現力の素晴らしさを、どのように素晴らしいと思うか言葉で表現するのもまた素敵だ。

 今回は別の子が落とされてしまったけど、

「ここで落ちたことを悲しく思わないで、ここまで来たことを誇らしく思って」

と声をしっかりかけていたことも、とても良いと思った。

 審査する側って、どうしても評価しなければならないし、順位を付けなければならない。「選ぶ」って立場から上下関係が発生し、私は審査するのもされるのも本来、好きではない。(けど、挑戦したくなるのもまた人の心理だろう)
 又、そんな時に、選んでもらおうとする側の、無意識にでも取り入ろうとする空気をすぐに感じてしまう。選ぶ側もどんなに誠実でも、好みが出るから、どうしても言葉が足りない瞬間もある。だけど、このNizi Projectは、審査される側に対して、審査するJ.Y. Park自身の気持ちが、表情にも言葉にも乗っている。重なるオーディションに「至るまでの」アドバイスも的確で、表現とは何かを考えさせてくれる。

 あと10回の放送で、最終審査となるらしい。
 全部はやっぱり観れないだろうけど、楽しみにしたい。


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