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好きだと思う感覚も、違和感も大事にしたい

 アイロンをあてたのに、シワが目立ってしまうなあ。上着を着ちゃえば目立たないか。
 上着は何にしよう。茶色のジャケットだとさすがにまだ暑苦しいなあ。
 紺のパーカーにしよう。

 鏡の前に立ち、確認。

 あれ?

 なんかおかしい。
 ニットはミントグリーンにしよう。

 鏡の前にたち、確認。

 あれ?

 なんかおかしい。
 白のワイドパンツにしよう。

 繰り返した結果。
 秋なのに、なんとも春らしいさわやかな色合いのコーディネイトができあがった。

 もう良いや。難しい季節なのだよ。

 開き直るも機嫌が良くなるようなファッションではない。「もう良いや」だからだ。

 厚めのニットにはまだ早い。最低気温は10℃切るようになったというのに、最高気温は20度超えたりもする。ブラウスにカーディガンとかが良いのだろうけど、いまいちしっくり来ない。着るけども。

 以前はよく着ていた薄めのピッタリニットはことごとく似合わなくなった。体型のせいなのだろう。仕方ないからワンピースの下とか、上着の下に隠れるように着る。

 ファッションは好きなものを着れば良いのが私の基本的な考え方。何年か前にファッションの記事で入賞した時も「好きな物着れば良い!」とおおいに主張していたし、確かにそう思う。

 外国で暮らす方々はもっと「好きな物を着れば良い」と自由に考えているだろう。私だって基本的にはそう。自分が着るのだから自由なのだ。

 わかっているのだけど。

 なんだろう。
 今まで鏡の前で「これでいいぞ」と思って自分の姿をさらーっと流していたのが、急に「あれ?」と立ち止まるようになってしまう。
 好きに着るのと、鏡を見て気分が良いかは別なのだ。好きな服でも鏡を見て「なにこれ」とか「残念だわあ」とか思ってしまうと、楽しくない。

 たくさんの色が好きな私は、色の組み合わせを考えるのがファッションの一番の楽しみ。
 そのうち40代に入る頃には体型カバーとかコンプレックスを緩和とか考えるようにはなったけど、でもそれを超えてくる強い違和感が50前後。

 街を歩く人たちのファッションは私にとって目の保養で楽しませてもらっていた。最近はそれ以上にとても参考にしている。なるほどこんな風に見えるのかと気づく。あんな組み合わせも良いものだな。そこからイメージして自分が着たい物が明確になっていったり。
 時々「えっそれでいいの」と思うファッションの人もいるけど、すぐに「それでいいんだよな」と思い直す。

 ここのところ、よく考える。

 その人が自由な気持ちで「これで良い」と思っているなら、それで良いと私は思う。自由な気持ちが周りを困らせたり傷つけたり、直接不快な思いさせたりしているなら別だけど。あと強迫的な気持ちで誰かに思わせられているのも悲しいけど。
 ファッションでもそう考えたら良いんじゃないかって。

 30年ほど前の写真を何となく見ていた時。
 懐かしいなあと眺めていると、気になる恰好をしている私にアルバムをめくる手が止まった。赤と白の大きめチェックのタンクトップ。セサミストリートのイラストがまぎれていて、ジーンズと組み合わせていてもなかなかの派手さだった。そこに上着が紺と白のふっといボーダーのパーカー。

 なにこれ。

 私ったら独特。

 でも覚えている。

 私はこの恰好を何故かわりと気に入っていた。
 どこがどう好きだったのかもわからない。
 でも「これで良い」と満足していた。
 周りにどう思われても平気だった。

 たった数年でも「何でこれが良かったんだろう」と思う自分のお気に入りだった服ってある。
 「なんでこれが良かったんだろう」って気づいた瞬間には、全然良くないわけだけど、気付くまでは「これで良い」と思っていた私だったのだ。
 その時の自分が満足して楽しい気分になっているならそれで良いのだよ。だってその時の感覚なのだから。

 それには鏡を見て「なんかちがう」と瞬時に思う感覚もないがしろにしたくないな。

 年々違和感を覚えてしまう鏡の前の自分。
 ちょっと秋らしいカジュアルなワンピースが欲しくなっている。かわいいカジュアルを着こなしたいここ最近。


読んでいただいて、ありがとうございます! 心に残る記事をまた書きたいです。