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卒業おめでとう

 コロナ禍の卒業式が、こんなに簡素だなんて。寒いし、じっとしているのは苦手だから、「卒業式にかかる時間」だけ知った時にはありがたいと思ったけど。終わってみると、とっても寂しかった。

 校歌は一番だけ。名前を呼ばれた時の返事もみんな小さめ。退場する時、恒例の、先生に向けて大声での感謝の言葉もなく。みんなマスクしていて、誰の顔かイマイチ自信ないまま、生徒たちは体育館を後に。

 泣いてた保護者もいたけど、私は全然。全体的に式辞も送辞も答辞も、声が小さくて、聞こえても、思いが伝わらないんだな。保護者の役員代表が「月並みだけど、生まれてきてくれてありがとう」と言った時だけ、ブワッと涙が下まぶたにせり上げてきた。

 保護者同士の席は間隔をあけて座り、マスクだからやっぱり顔がよくわからなくて。みんな互いを確認したいから、色んな人とすごくしっかり目が合うけど、親しい人を見つけられず。

 式が終わってから、いつもなら保護者も、教室で先生の話が聞けて、挨拶もできるのに。ウチはあんまりきちんとしていない家庭だから、本当によくお世話になった、ってお礼を言いたかった。

 体育館で、学年主任の先生が挨拶したら、あとの先生はお辞儀をして出て行った。

 式の間、ほとんど涙も出なかったけど、先生たちが申し訳なさそうに、保護者にお辞儀しながら出て行くのを見て、「こんな終わり方……」って涙があふれてしまった。6年間、息子を気にかけてくれた先生方を、こんな風に見送るだけなんて。

※※※

 中学を受験したい、だから塾に通いたいと言い出したのを覚えているかな。
 どうしてと確認すると、「僕には多分あの学校の方が、気の合う友達がいると思う」と言っていて。
 きっと隣り街の科学教室に通っていて、そんな風に思ったんだろうね。

 合格したとわかった時は、母さんの方が大喜びして引かせちゃったね。でもそれまでの小学校生活から、合格しなかったら中学ではイジメられるんじゃないかなと心配したんだ。

 はじめはとっても嬉しそうに通っていたけど、「僕のことを嫌っている子がいる」って気にし始めたよね。でも「多分、その子の思い描く中学生に、僕が当てはまってないからだと思うんだ」って冷静だった。
 キミが机から色んなものを落とすし食べこぼしが多いから、段々女の子たちが汚いって騒ぎ出しちゃったよね。忘れ物も多くて要領も悪いから、母さんは先生といっぱい話し合ったんだ。
 母さんが、親不知抜くための一週間の入院で、ずいぶん緊張した日々だったみたいで、その頃から宿題も遅れ始めて。
 週末になると吐いたり、熱を出したり、金曜や月曜は休みがちで、先生に心配されたよね。父さんとも話し合って、先生に協力してほしいとお願いしてくれたよね。
 宿題について、先生が母さんを呼び出して話してきた時には、もうだいぶためこんでしまってキミは追い詰められていた。
 どうしたら良いんだろう、母さんの接し方がマズかったんだ。って母さんはあの日、独り、泣きながら歩いて帰ったんだ。
 あの後も、いっぱい話し合ったよね。
 そしてそのおかげで、キミはコツコツ頑張って挽回してくれたね。

 中学二年生になったら、担任の先生がすごく明るくて親しみやすくて良かった。
 若い女の先生は、女子生徒に対して、キミにどういう態度でいたら良いのかを自分の態度で示してくれていた。
 参観日に行ったら、キミが楽しそうに皆と打ち解けているのを見て、嬉しかったよ。先生は、自分のおかげなんて思っていなくて、私がすごく感謝してもピンと来ていないみたいだった。友達も増えたし、女の子たちもキミとの距離感をつかめたようで、一人ひとりの気持ちはそれぞれ違っただろうけど、雰囲気の良いクラスを先生が作ってくれたなあって思う。
 家では少し黙っている日が増えた。何も話さない日や、母さんの言葉にイライラしているのがすごくわかった。でもお年頃だったからね。仕方ないし、0歳から10歳くらいまで続いたかんしゃくを思えば楽勝! と言い聞かせながらも少し寂しかったよ。

 中学三年生の後半、「ドラムを楽しく思えなくなってきた」って、六年間ほど続けた大好きなドラムを辞めたね。

 中学の卒業式では、真面目な担任の先生が、「夢を大きく持て」って、歌を歌ってくれたよね。

 高校一年生は順調に見えた。けれど、「僕、ちゃんと勉強した方が良いと思うんだけど、やる気が起きないんだよ。どうしたら良いんだろう」と相談してくる日が増えた。
 最初は「甘えているなあ」としか思わなかったけど、何度も何度も将来の不安を口にするようになった。
 一番よく語り合う仲間だった仲良しクンが、学校に来れなくなったんだよね。キミも学校に行くのを面倒くさがるようになっていった。

 自分を不安がるキミに、少しでも落ち着いてもらえたらと、高校一年生が終わる頃に、体験講習で塾に行ってみた。そうしたら、面白いってのめり込んだよね。
 高校二年生は、すごくイキイキ頑張っていた。そして、思いもよらない大学を口にし始めた。
 それまでの勉強態度や成績、その時の学力から、母さんは無理だと思ってしまったんだ。何とか入れたところで、授業に追いつけないんじゃないかとも思った。だって知り合いの息子クンは、キミよりずっと勉強ができていたし、学校の成績もすごく良かったのにギリギリの合格だったから。
 それでもキミはオープンキャンパスに行くと、ますますその気持ちを強くして、その大学に向けての勉強を始めるって言い出した。
 何度「そこじゃないとイヤなのは何で?」と聞いても、キミは自分なりの答えを自分の中に持っていて、それを言葉にしたよね。

 それでも学校の成績を良くしたいという気持ちはなかったみたいだったけどね。

 高校三年生になる頃に、緊急事態宣言が出たり、休校になったりして、一気に生活が乱れた。母さんも更年期症状がひどくて、二人で寝込んじゃったよね。母さんの体調が悪くて、せっかくのご飯やお弁当をしっかり作れずに残念だった。
 キミは体調も悪かったけど、学校に行く気をすっかりなくしてしまって、学校が始まっても、それまで以上に面倒くさがっちゃった。
 ちょっと頑張っても、またすぐ体調が悪くなっちゃう。
 元々、ストレスたまると皮膚炎がひどくなったり、微熱が出たりで、気軽に学校を休んでいたけど、それがひどく表れた一年間。ずっと心配だった。

 でも受験の準備は全部自分でやったんだよね。
 共通テストも、二次試験も、自分で手続きをして、時間や場所も行き方も調べて。
 母さんが、ついて行かなくちゃいけないと思って準備を進めていたら「えっ。来なくても大丈夫だよ」って言ったからビックリしたよ。
 
 前期のが合格できなかったら、後期の分も。って。どこが自分に合うか調べて申し込みをして。そっちも一人で行くって。

 あんなに毎日泣いて、毎日かんしゃく起こして、母さんにしがみついていたのに。
 新幹線の駅まで見送ったら、あっさりと「じゃあ行ってきます」ってスタスタ歩いて行った。

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 ああ。大きくなった。もう母さんは必要ないんだ。
 キミが可愛いから、母さんはその背中を押すんだ。
 家の近くの大学にしなよ。なんて言わないよ。
 母さんがずっと付き添ってあげるからね。なんて言わないよ。
 イヤな思いをたくさんするだろうから心配。なんて言わないよ。

 母さんもキミに背中を向けて、運転してきた道を帰るんだ。

 6年間、いや12年間、今ひとつ楽しみきれなかった学校生活。部活も勉強も運動も、なんにも冴えたところがなかった。卒業式でもらえる賞はたくさんあるけど、一つももらえなかった。でも面白い話や、友達との笑い話だって、たくさん持って帰ってきたよね。そんな日もいっぱいあった。

 中学から、あの学校に通えて良かったよ。

 たくさんの先生に可愛がられた。面白い友達たちと出会えた。キミには物足りなかったかもしれないけど、田舎街で、頑張る友達だってたくさんいたじゃない?


 卒業おめでとう

 式は、泣きたくなるほど簡素で寂しかったけど、お祝いの気持ちは伝わると良いな。学校が好きでもないキミが、仲良しクンが辞めてしまってからも、なんとかかんとかよく頑張ったよ。


 これからは、父さんと母さんからも離れて一人で歩いていくね。
 大学生生活は、自分で管理していかなくちゃいけない。学びも、生活も。何が好きか、何をしたいか悩んだり、誰かに恋をしたり苦しんだり、哀しみや辛いこともたくさんあると思う。
 でもその分、生きていくってこういうことなんだ。って実感するほどの喜びも、きっとあるだろうから。その気持ちを大切に味わってね。その瞬間を楽しみに待っていてね。

 そしてこの先、離れて暮らすことになっても、時には休みに帰っておいでね。


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読んでいただいて、ありがとうございます! 心に残る記事をまた書きたいです。