ファッションも髪型も、自分の心の声が聞こえるようになったから
リモートで母と話していると、画面を鏡代わりみたいな目線になり少し首を傾けながら聞かれる。
「今度はどうしたら良いと思う?」
髪型についての話だ。
好きなようにしたら良いんだよ。と毎回笑ってしまう。「そうよね」と母も笑って少し黙る。物足りなさそうだから、今の髪型が似合っているよと少しは印象について話す。
軽い会話のようだけど、その質問に母と祖母の関係を思う。
母方の祖母は、そんなに強い物言いではなかったけれど、柔らかそうに見えてキツイことを言ってくる人だった。言わないでほしいことを言ってきて「だってそう思ったんだもの」と平気でいるし、母を含めた娘たちをニコニコしながらコントロールしていると自覚がなかった。若い頃の私が何かについて少しでも指摘すると、失礼ねと言わんばかりに「そんなつもりはないわよ」と鋭い視線を向けてくる。
我が道を行く強気な母も、祖母に取りこまれていることは多くて、ささいなことから言えば髪型なのであった。
美容院から帰宅するなり、玄関先で母の髪型の感想を言う。
「短く切ったのねー」「うわあすごいパーマ」「今回はゆるくあてたのね」「なんだもっと切れば良かったのに」なんて、文字にしてみるとずいぶんな人だなあと思ってしまう。
「あら良いじゃない!」の時は、単に祖母の好み。
それが当たり前になり過ぎていたのか、その言葉に単純に一喜一憂する母だったし、私を含めた家族も自然に流してしまっていた。
母がうまくいったと思った時も、誰もがそうなるように、しばらくして髪の毛が伸びてきたり、パーマが取れてきたりする。母が「やっぱりイマイチだったわ」と不満を言うと、「そうね。~すれば良かったじゃないの」とその不満に全部乗っかってくる。
祖母が亡くなって数年経つけれど、そういった言葉の呪縛が母に残っているのを感じる。
私については、祖父母やそこからくる母の意向で、高校を卒業するまで髪を伸ばすのを許されていなかった。
中学生の途中まで祖母のカットで、その出来栄えに何度も鏡の前で涙が出た。
その髪型で学校に行くのがイヤだったけど、皆に「かせみちゃん、ヘルメットみたいやん」と笑われながら、私も笑い飛ばすようにしていた。
だから美容院に行かせてもらえるようになってからの喜びったら!
それでもしばらくは短くないといけなくて、伸ばしたいなあと思う気持ちは閉じ込めた。
だから大学生になって髪の毛を伸ばすのを許された時の喜びったら!!
当時流行っていたソバージュのパーマもあてた。
それでも、ファッションも髪型も、外から見えるものに口出しされないよう、祖父母や母が気に入るように気をつけた。まあそうは言ってもちょっと変わった格好している自分に、当時は気づかずに平気でいたのだけどね。
20代半ばでニュージャージーで暮らし始め、夫と結婚してから、しばらくどんな服を買ったら良いのか途方に暮れた。
祖父母に軽蔑の言葉を投げかけられないかな、母が好きかなと不安に思う気持ちがつい芽生えるのをふり払いながら選ぶ。自分はいったいどんな服が好きなのか。
帰省する時の服装にとても気を使っていたのも覚えているけれど、少しずつ何年もかけて解放されていった。
息子が生まれたのも大きなきっかけとなった。息子に着せる服を考えたり、しばらくは自分の服装についてかまえなくなったりしたのが私には良かったみたい。自分の好みがリセットされた感覚。
髪型はと言えば、結婚して間もなく、大きなきっかけがあった。
「どんな髪にしたら良いと思う? オットは、ショートカットが好きなんだよね」
長い髪の毛の時に知り合い、付き合い始め、結婚した私は、翌年の帰国後にショートカットにするか迷った。
どうしようかなあ。どうしたら良いと思う?
しつこく聞く私に夫が言った。
「その髪型にするのはかせみどんでしょ。かせみどんが好きな髪型にすれば良いんだよ。僕がどんな髪型が好きだと言ったって、長い髪でいたかったらそうしたら良い。短い髪にしたかったら短い髪にしたら良い。僕が言ったからじゃなくてね」
お。おう。そうだよな。
当たり前の言葉なのに、当時の私には新鮮で、強く印象に残っている。
私、どんな髪型にしたいんだろう。自分の意志がわからなかったから。
ずっと祖父母や母の意向に沿って短くしていた。その後伸ばしたかったのも、短いのを強制されていた反動だ。パーマをあてたのも、ただ流行っていたからだ。
でも長い髪はけっこう好きだった。顔の周りで髪が揺れるのが気分良かった。
だからしばらく長い髪でいることにした。
息子の出産予定日が近づいてきた時に、美容院で「当分来なくて良いくらいに短く切って下さい」と頼んだ。
そこからほとんどずっと短い。
二度ほど伸ばしてみたけど、元々毛量がとんでもなく多いので、うっとうしくて。ほとんどずっとショートボブ。完全なショートカットにしないのは、やっぱり顔の周りで髪が揺れるのが好きだから。
そうだな。顔の周りで髪の毛が揺れているのが好きなんだ私。
自分で好きな髪型、外せないポイントはそこだと知った。
リモートで母が度々聞いてくるので、結婚してすぐくらいの頃に夫に言われた言葉を伝えた。
それに正直、どんな髪型でもそれほど変じゃない。
似合うとか似合わないって、誰の声なの。
髪型は失敗したら少し泣きたくなる日もあるけれど、比較的、短期間で変えられるのだし、笑い飛ばして次は変えてもらったら良いんだよ。
「そうなんだろうけどね」と母は笑いつつ、やっぱりアドバイスを求めてくる。
母は自分の髪質で悩んでいるようだし、美容院も自分に合う合わないで迷っている様子。どんなパーマが良いか。どんな短さが良いか。どんなボリュームが良いか。
悩ましい母は試行錯誤している。
自分が迷って選んできたように、できるだけその人の選択肢を尊重したい。
試行錯誤しながらその時その時の選択をしていくことで、自分の「好き」に気付くから。自分が気に入るものは人の選んだものではないと実感したから。そしてそれが心地良いと知ったから。
人にも自分で選べるように応援したい。
私は夫が好きだからではなく、ショートボブの髪型を気に入っている。
パソコンの前に現れる母の髪型がよく変わる。
どれも似合っていて良いよ。自分でも気に入ると良いね!
読んでいただいて、ありがとうございます! 心に残る記事をまた書きたいです。