見出し画像

【第13話】英希、大人になる 『彼方なる南十字星』

日本の高度成長期。自作ヨットを操り、命がけで太平洋を渡り、南十字星を見に行った3人の若者の実話にもとづく冒険物語。***


夏になった。

僕はまず、空き地に置いてあった様々な廃棄物を片付けて、ヨットを造船するための小屋づくりにとりかかった。いわば、夢の製造ドックだ。

ヨット製造の小屋は、寸法通りの角材をあらかじめ仕入れて、組み立てるだけにしておいた。

平日、仕事が終わった後一人黙々と角材の準備をした。夢中になる時は、時間もあっという間だ。日曜日に裕太と翔一を呼び寄せ、組み立てた。

32フィートのヨットを作るには、小屋だけでもモンスターだ。
組み立てていくうちに、あまりにもの大きさに改めて驚く。

作業は、暑さとの戦いだった。とにかく暑い。顎から滴り落ちた汗で、床に水溜りができる。

夜は銭湯が楽しみだった。大量に書いた汗を洗い流す。銭湯で毎日体重を測った。一日2kg落ちていた日もザラだ。小屋づくりもそうだが、造船工程は力作業も伴う。僕は、当然のように筋肉隆々の逞しい体つきになっていった。


この頃の僕の唯一の趣味は、ウインドサーフィンだった。
会社の平川信義という先輩に教えてもらった。会社の近くの海岸に行き、よく波に乗った。

当時はまだまだマイナースポーツであり、海岸で楽しんでいると不思議な目で見られたものだ。ウィンドサーフィンは、セーリングの訓練にもなる。ただのサーフィンではなく、風を利用し風を味方につけてボードを進める。

平川先輩とは気が合った。年齢は僕よりも二つ年上だったが、変な兄貴風を吹かせることもなく、同じ目線で遊んでくれた。

特徴的なのは、ヘアースタイルがモヒカンだったことだ。
濱田社長から再三注意されていたが、信念を曲げることなくモヒカンヘアを貫いていた。

とても優しい先輩だったが、街中を二人並んで歩くと、ヤンキーたちが避けて通った。平川先輩は、東北秋田の出身だった。しゃべりもモロに東北訛りがすごかった。

よく、田舎から送ってもらった日本酒を持って、僕の部屋に遊びに来て泊まって行った。東北の日本酒が旨いと気づいたのは、平川先輩の影響である。

45年後の今でも、僕は日本酒をこよなく愛飲している。
もう何十年も会っていないが、東北の日本酒を飲む度に、優しかった平川先輩を思い出す。


製造ドックとなる小屋が完成し、船体の製造に取り掛かろうとしていた時の出来事だ。

寮の2階。自分の部屋で疲れ果てて寝入っていた。夏なので、下着姿のままだ。

突然誰かに頭を蹴られた。

予想だにしない衝撃に、一瞬何が起こったか分からず、目を開けようとしたが眩しすぎて開けれない。薄く目を開けると、会社の先輩である溝下俊造が見下ろしている。

「お前は生意気なんだよ!」標準語でそう言って、もう一度蹴られる。そうかこいつは東京の大学を出たインテリだった。そんなことを頭に浮かべた。

「無防備で寝てる人間を蹴るなんて、卑怯じゃないですか?」僕が反論すると、
「なんだこら!」溝下は言いながら、僕の胸ぐらを掴み上げた。

溝下は僕よりも少し背が低い。向かい合ったら、僕が奴の顔を少し見下す形となった。

「よ〜し!よか!それなら喧嘩すっか!(喧嘩するか!)」

東京の大学卒だと。こっちは火の国熊本の男だ。負けるわけがない。

溝下は僕の剣幕と気迫に気圧されたのか、掴んでいた胸ぐらの手を離して、僕を睨みつけながら無言で去っていった。

向き合った時、酒の匂いを感じた。奴は飲んでいたのだろう。
翌日は何気ない様子で、造船作業をしている。溝下とはこの後も、様々なトラブルが小競り合いのように続いた。


製造ドックとなる小屋が完成した。
明日から、いよいよ船体の製造に取り掛かる日に入る。

仕事後、夜部屋で窓を開けて涼んでいた時だ。ふと2階の窓から外を見ると、寮の中に、事務社員の森広子先輩が入ってくるのが見えた。

階段をタンタンとかけ上がってくる。ノックもなくドアの外から、「安藤くん。いる?」という声。

僕は、「はい」と言いながらドアを開けた。

「安藤くん。この前溝下俊造ともめたんでしょ?」
僕は、寝ているときにいきなり蹴られたこと、凄んだらケンカにならずに出て行ったこと、少し酒臭かったことなどを掻い摘んで話した。

「バカねえ。」森先輩は、悲しそうな表情で言う。僕に向けられた言葉だと、最初は思ったが、すぐに溝下のことだと分かった。

「あの人、安藤くんたちがヨットを作って、太平洋を横断しようとしていることが羨ましいし、悔しいのよ。安藤くんが会社のいろんな人たちに可愛がられていることも…ね。」

溝下先輩と森広子先輩が、恋愛関係にあるという噂は、僕も耳にしていた。
だけど溝下は確か30歳。森先輩は5〜6歳年上のはずだ。

「ごめんね。」

「森先輩が謝ることないですよ。」

「私ね。溝下と付き合っているの。もう7年になるわ。」

「そうだったんですね…。」

「でももう疲れたわ。出会った頃は、彼が大学卒で入社してきた時だった。彼もヨットを自分で作る夢を持っていたわ。とてもキラキラしていた。」

森先輩は、いつの間にか目に涙を浮かべていて、外を見ながら言った。
斜めから見た森先輩は、ハッとするほど綺麗だった。化粧などほとんどしてないけど、美しい女性だな…と思う。

「うまくいかないことを、いつも人や周りのせいにするの。給料が安いのは会社のせい。ヨットが作れないのは社長のせい…とかね。最後は必ずお前が悪いって言われる。もううんざりだわ。」

僕は何を答えていいか皆目分からず、ただただ頷くだけだった。

「安藤くんは、本当にすごいと思う。みんな、あなたといると元気が出るって言ってるのよ。私もそう。」

森広子先輩は、突然僕を引き寄せて僕の顔を自分の胸に押し付けた。こうなると、僕も男だ。森先輩に誘われるまま、前に倒れ込んだ。

ただただ初めての経験だったから、ドキドキしていた。そして無我夢中だった。
森先輩の体は、どこまでも柔らかく、白くて綺麗だった。

森先輩は僕の胸の上で言った。
「安藤くんは、太陽のような男ね。ずっと周りを元気にするような人でいてほしいわ。」

そして、服を着て部屋を後にした。

森先輩とは、その後何もなかった。会社では相変わらず優しい先輩で、時々お昼の弁当を分けてくれた。その時は決まって、僕の大好物だった甘い卵焼きを作ってきてくれた。

溝下と森先輩の恋愛がその後どうなったか、僕は知る由もない。
しかし後日、僕は溝下と決着をつけることになる。

〜第13話「英希、大人になる」完  次回「キンモクセイ香る決着」

画像1


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?