【最終話】夢のあと 『彼方なる南十字星』
日本の高度成長期。自作ヨットを操り、命がけで太平洋を渡り、南十字星を見に行った3人の若者の実話にもとづく冒険物語。最終回***
太平洋周航の旅から7年が経った。僕は33歳になっていた。
昨日、3人目の子供が生まれた。女の子だ。僕は5年前に結婚し、家庭を持った。
この7年間は必死に働いた。必死だったが充実した毎日だった。
だが、ヨットに乗る暇など全くなかった。
河合百合子が亡くなったと聞いたのは、旅から戻った1年後だった。乳がんということだった。発見されたときは、すでに手遅れで、余命半年と宣告されたらしい。
このことは、百合子のご主人から連絡があって知ったことだ。
最後は苦しんだけど、頑張って、頑張って生きようとしていたことを、ご主人は電話口で泣きながら語ってくれた。
百合子のご主人は、僕に1通の手紙を送ってくれた。当然、未開封のものだ。
表紙に「安藤くんへ」と書いてあった。僕は静かに封を開けた。
「安藤くん。元気にしていますか?
今頃はきっと、南太平洋を元気に操船している頃でしょう。海は綺麗ですか?星は綺麗ですか?イルカは見ましたか?
私は2年前に結婚しました。とても大切にしてもらっています。幸せです。
でも本当は、安藤くんと一緒に太平洋を駆け回りたかったな…。ときどき、本気でそんなことを考えてしまいます。
そして、高校生の時に乗せてもらったドルフィン号での思い出が、私の大切な宝物です。あの時は、本当に楽しかった。
あの時のお礼を私は、安藤くんに言っていなかったのです。ありがとう。この場を借りてお礼を言います。本当にありがとう。無事の航海を祈っています。」
日付を見た。1981年2月3日だ。
偶然か…?ホライズン号が、無人島に突っ込みそうになった日だった。いや、偶然ではない。僕もあの夜、百合子の夢を見ていたからだ。
百合子がこの手紙をどこに送ろうとしていたのか、今では何も分からない。だが、高砂で文通していた頃と同じ、優しい言葉が溢れていた。
涙が溢れた。百合子の素敵な笑顔を、もう見ることはできない…。こちらこそお礼を言うよ。
本当に、ありがとう。
百合子は、京都市に眠っているという。いつかは手を合わせるために、訪ねてみるつもりだ。
裕太は、大阪の運送会社で頑張っている。大きな功績を上げて、期待されている幹部だ。
翔一は、熊本で定食屋さんを始めた。大学の近くでもあり、割と繁盛している。
トニーは、熊本に来て自分のルーツを巡る旅に出た。その後、アメリカに帰って大学に戻った。ときどき手紙をくれる。小さな造船所で、船の設計の仕事をしている。
あの頃同じ夢を追いかけ、叶えた仲間たちはそれぞれの道で、懸命に生きているのだ。
僕は、この年サラリーマンを辞めて、小さな会社を立ち上げた。ビルメンテナンスの会社である。
サラリーマンとしても、様々な困難があった。苦労もあった。だが、困難にぶつかった時には常に、ホライズン号の上で体験した台風の時化を思い出すようにしている。
あの時の巨大な山のような波に比べれば、仕事の障壁など何ほどのことはない。
人間の悩みなんて、小さなものだ。
会社経営も、様々な障壁が立ち塞がるだろう。
だが、困難に立ち向かう勇気と知恵、そして覚悟。これさえあれば何とかなる。
ホライズン号のことを書いておこう。
航海から帰ってすぐに、船体メンテナンスのため上架した時だ。
翔一が、ホライズン号の左舷下の船体に、コンクリートが剥げ落ちた部分を発見した。
見ると、剥き出しになった鉄網が錆び付いている。
ホライズン号の船体は、コンクリートで覆われているが、中は鉄網が無数に編まれているのだ。
「おそらく急速に酸化が進むはずだ。外洋に出ることはもうできないだろう。」
造船所の専門家が言った。
その後、僕は裕太と翔一と話し合い、ホライズン号を熊本のヨットクラブに寄贈した。もちろん近海専用の練習艇として…だ。
その後ホライズン号のことは、いつの日か頭から離れていた。忙しさにかまけて、放置していたのも事実だった。
ホライズン号が停泊桟橋から忽然と消えたことが判明したのは、3年後だった。たまたま、ホライズン号が係留されている場所を見に行った、翔一から連絡があって分かった。
僕たちは、休日を利用して必死に探した。ホライズン号の行方を…だ。だが、杳として知れなかった。
考えられるのは、スクラップだ。船体はすでに錆が回り、スクラップされた可能性もあった。その場合、残骸が残っているはずだ。
だが、残骸の手がかりすらなかったのだ。
もう一つ、あまり考えたくないが、近海に牽引されていき沈められた可能性もある。
ホライズン号の行方は、30年以上経った今でも分からない。
しかし、ホライズン号はいつまでも僕たちの心の中に生きている。僕たちがこの上ない愛情を込めて材料から組み立て、この世に誕生させた。
子供のようなものなのだ。ホライズン号は、いつまでも僕たちの中で生き続ける。
僕は、昨日生まれた3人目の子供を抱き上げた。
かわいい。
かけがえのない存在を守る。これこそ、豊かな人生だ。男として、こんなに幸せなことはない。
誰かのため…。
何かのため…。
僕の人生を表す言葉である。
太平洋周航の旅が教えてくれた、信条と価値観を子供たちにしっかり伝えていこう。
僕は自分自身にそう誓っている。
〜彼方なる南十字星 完
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