【第27話】船乗りとして… 『彼方なる南十字星』
日本の高度成長期。自作ヨットを操り、命がけで太平洋を渡り、南十字星を見に行った3人の若者の実話にもとづく冒険物語。***
翌朝。
キャビンを出た。風は多少強いが、波は穏やかになりつつあった。
助かった。何とか台風を乗り切った。裕太の船酔いも治ったようだ。
40年後の現在に至っても、本物の時化を乗り切ったことを鮮明に思い出す。
船上から台風の目を見たシーマン(船乗り)は、ほとんどいまい。
木の葉のようなホライズン号が、ほとんど無傷で乗り切れるような時化ではなかった。
困難に立ち向かう勇気と、判断した意思への信念、そしてチームワークが活路を開いたのだと、今でも思っている。
僕たちは再び、みんなでりんごを食べた。船内を片付け、舵輪のワイヤーを交換した。
雲間からは、わずかだが太陽も見える。その太陽を天測して、ホライズン号のおおよその位置を割り出した。
まだ正確な天測には、習熟度が足りない。そのため精度は今ひとつだが、どうやら八丈島付近のようだ。
このまま進めば、島が確認できるはずだ。
しばらく進んだ。夕方近くになり、八丈島らしき島を確認できた。間違いない。
寄港するつもりはないため、遠くに眺めながら、「日本最後の島だなあ」と感慨深く思った。
風は心地よくなり、雲の流れは早いが空も晴れ間が広がるようになってきた。
夕焼けの中を、ホライズン号は進んでいく。
これからは一切陸地とお別れだ。遠く離れていく八丈島に別れを告げた。
僕たちは太平洋横断の航海に出て、いきなり台風の洗礼を受けた。3人の話題は、この洗礼を歓迎する思考内容に変わっていった。
確かにそうだった。今回の凄まじいまでの暴風雨を突っ切った経験は、船乗りとして何事にも変えられない自信をくれた。
これでやっと、順調な航海がスタートしたような気がしていた。
ホライズン号は、順風満帆で走っている。速度は4から5ノット。少し波があるが、太平洋では普通である。
裕太は船首に立ち、見張りをしている。というより、海の眺めを愉しんでいるようだ。舵は僕が握っている。翔一は、キャビンの中だ。読書でもしているのだろう。
ふと、裕太が叫んだ。「船が見えるぞ!」
どうやら漁船のようだ。日本の漁船だということが分かった。そうだ、まだ日本からそう離れていない。
漁船の方も、ホライズン号に気付いてくれたようだ。20〜30メートル離れて並走し、拡声器で声をかけてきた。
「どこに行くんですか?」
「アメリカのシアトルです!」裕太が大声で答える。
「大丈夫ですか?何か必要なものはありますか?」という声が、拡声器から聞こえた。こちらが何か答える前に、漁船はさらに近寄ってきて、数メートルまで迫った。
年配の船長らしき人と、クルーが数名乗ってるのが確認できた。皆、船乗りとしてはかなりのベテランの方々のようだ。
何をするんだろう。そう思った瞬間だった。
船員の一人が、大きな魚のような物体と何やら箱入りの荷物を、ロープに括り付けてホライズン号のコックピット目掛けてぶん投げた。
ドン!ドン!
見ると、それは1メートルもあろうかと思われる大きな魚と、冷凍されたジュースのケースだった。
僕たち3人が、まだ若い青年だと分かったようだ。
船長らしき人が、操船室の窓から顔を出し、叫んだ。
「餞別だ。受けとれ!」
そして、「気をつけて行けよ。頑張れ。」と言葉をかけてくれた。
「ありがとうございます!」僕たちは3人でお礼を言った。
数日ぶりに人と会った訳だが、その心の籠もった言葉と海の男の優しさに、感激した出来事だった。
船長さんの、日焼けした丸顔と短い頭髪に似合う鉢巻が、印象的だった。
漁船が離れていく時、船尾に記してある「千葉県千倉町」という文字が確認できたが、船名が分からなかったことだけが悔やまれる。
別れ際の船員さんたちの、笑顔にも温かい癒しをもらった。
5月とはいえ、カチコチに凍った果物のジュースは、冷蔵庫がないヨットには貴重だ。
僕たちは少しずつ溶けていく冷たいジュースを、味わい堪能した。
魚は、90センチクラスのビンナガマグロだった。
「どうやって食おうか?」裕太が嬉しそうな表情で呟く。
「まず刺身だろう。」僕は、九州の醤油をキャビンから持ってきた。刺身は熊本の甘めの醤油がよく合う。
翔一が捌き、腹身を刺身にして味わった。たっぷりと脂が乗り、大トロのピンク色が食欲をさらにそそる。
切り身の先端に、ちょっとだけ醤油をつけて口に入れる。
うまい。マグロの脂の旨みが口の中に広がる。
獲れたてのマグロだったのだろう。
もしかしたら、自分たちの賄い用の魚だったのかも知れない。
台風の時化を経験し、海の恐怖を思い知らされた。
これからの航海に厳しさと不安を感じずにはいられなかった僕たちに、大きな勇気をもらった出来事だった。
マグロの背身は、半分を薄く切って干した。保存食である。
そのほかの部分は、フライや焼き魚にして味わった。
航海というものは、平時と有事が突然やってくるものだ。陸上と違い、一瞬の出来事で命の危険性が高まる。
僕たちは航海の無事の知らせ、そして情報交換を兼ねて毎時7時15分に城田先生と交信するようにしていた。
毎時7時15分は、僕たちが祖国との繋がりを確認できる、貴重な機会だった。
「CQ CQ、ディスイズ ジャパン インディア スリーアルファ…」
「こちら太平洋周航ヨット、ホライズン号。どなたかワッチしておられませんか?」
こうして呼びかけるのだ。
城田先生の声に、僕たちはどれだけ救われたか分からない。
いつもいつでも、見守ってくださるヨットの師の声は、航海中の支えだった。
台風の時化を抜けた時は、一刻も早く無事を知らせたかったので、闇雲にコールを試みた。
すると運よく北海道のアマチュア無線をしている方と繋がり、城田先生に繋いでくれた。
〜つづく
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