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【第44話】祖国、故郷、かけがえのない人 『彼方なる南十字星』

日本の高度成長期。自作ヨットを操り、命がけで太平洋を渡り、南十字星を見に行った3人の若者の実話にもとづく冒険物語。***


時間の経過がすこぶる遅い。やっと少しずつ痛みが引いてきた。
僕は、東子が綴ってくれた治療ノートを開いた。

「腹痛。腹痛は場所によって症状が違う。鳩尾は胃痛。臍の下は下痢。臍の下右側あたりは虫垂炎。つまり盲腸ですね♡」と記されている。

僕は自分の腹部を触診してみた。臍の右側あたりを押すと、痛みがある。

「盲腸かな?」そう呟いた。「医者に診せるしかない。」

オワフ島に着き、トニーに連絡した。クリニックを教えてもらい、案内してもらった。

診察して血液検査を施した。原因は分からないが、白血球が増加しているらしい。
何かの炎症はあるのだろう。

痛む箇所から推察して、虫垂炎(盲腸)の可能性が高いという診断結果だった。

航海の計画を立てた時、心配していたのはやはり、病気や怪我だった。出航前に僕は、痛くもない親知らずを、知り合いの歯医者さんに抜いてもらったほどだ。

虫垂炎は、発作が突然やってくる。内科的治療よりも、外科的に切除した方がいいだろう。そのドクターは僕に言った。

長い航海中に、悪化して腹膜炎にでもなったら命に関わる。頭の中にあったのは、死への恐怖ではない。この航海のことだ。

航海中。タヒチのマルケサス諸島までの間に、僕が死んだとする。遺体はどうなるか?おそらく、暑い中遺体は腐敗し、海に葬るしかない。

それを裕太と翔一にさせるのは、酷だ。絶対に避けたい。
きっと二人はとてつもなく辛い思いをするに違いない。そんな大変な目に合わせることは、死んでもできない。

僕は考えた。そして決心した。

「虫垂炎だった。治療しようと思う。手術だ。アメリカでは、とんでもない費用がかかる。だから、一度帰国して戻って来ようと思う。」僕は二人に言った。

「そうか。そうすればいい。確かに航海中に酷くなったら、俺たちも困る。」裕太のストレートな物言いは、かえって安心感を与えてくれる。

「それより大丈夫なのか?今でもかなり顔色が悪いぞ。」翔一の心配ももっともだ。

僕は時々来る発作による痛みで、早く治療しなければならないことを悟っていたのだ。

定時交信で、城田先生に現状と今後のことを知らせて、僕は日本に一時帰国した。


ハワイから飛行機で羽田空港を経由し、熊本空港に降り立った。故郷熊本に帰るのは、8年ぶりだった。
熊本空港では、地元の新聞記者やテレビ局などの報道陣が待ち構えていた。その騒動の大きさに驚く。

アメリカ大陸での各寄港地やハワイの街で、翔一が、熊本日月新聞の遠藤記者に旅の記録を送っていた。そのためだ。

遠藤記者は、僕たちの特集を組み、実直に記事にしてくれていた。

記者と一緒に、城田先生と母、長兄の姿を確認できた。

母は「おかえり。お疲れ様だったね。」そう言って暖かく迎えてくれた。

「そのまま病院に向かおう。」城田先生が、病院を手配してくださっていたから、スムーズに入院手続きも済ませることができた。

翌日手術を済ませた。幸いひどい状態ではなく、早めの決断が正しかったようだ。

僕は入院を1週間ほどと決めていた。抜糸をしたら、すぐにハワイに戻るつもりだ。

入院中、思いもかけない人の見舞いがあった。
東子だ。ハワイで国際電話をかけ、日本に一時帰国して治療することを伝えていたためだ。

僕の姿を見るなり、東子はケラケラ笑った。僕も笑った。笑いによる腹の筋肉がひきつり、痛みで苦しいくらいだ。

東子の笑顔に、心から癒された。東子は、笑いながら泣いた。

約半年ぶりに会う東子。「東子の治療ノートに救われたよ。ありがとう。」心から出た、お礼の言葉である。

「全然寂しくなかったよ。何度も夢で逢えたから…。」心とは裏腹に強がる東子を、僕は心底愛おしいと思った。

東子はその日、一緒に病棟に泊まってくれた。夜、僕は東子に航海中の話を聞かせた。
東子は、時に驚き、時に笑い、時に感動して聞いてくれた。僕にとっては、本当に愉しく、癒されたひと時だった。

翌日、「ずっと待ってるからね。」東子はそう言って、高砂に向けて帰って行った。

僕はもともと化膿しやすい体質だった。そのため、傷口が化膿して1センチほどの傷口が開いたまま治らなかった。

医者に相談すると、「徐々に塞がっていくけど、時間がかかるよ。」という。

あいつらを、そんなに待たせるわけにはいかない…。
「すぐにでもハワイに戻りたいんです。仲間が待っている。」僕は、切実に訴えた。

「それじゃあ、自分で傷口のガーゼの詰め替えができるかい?」

「はい。もちろんできます。」躊躇している暇はない。
医者は、傷口のガーゼ交換のためのガーゼ、ピンセット、脱脂綿、消毒液、絆創膏を、箱に積めて渡してくれた。

僕は、すぐに羽田行き飛行機のチケットを頼んだ。そして飛び乗った。

約2週間、日本に滞在していた。
そのため、僕の頭の中は「ハワイで待ってる裕太と翔一に申し訳ない。」という気持ちでいっぱいだったのだ。

退院以来、毎日自分でガーゼを交換した。

傷口を覆ってるガーゼを剥がす。1センチほど開いている傷口から、少し覗いているガーゼをピンセットで掴み、引っ張るのだ。
すると、膿と血液で汚れたガーゼか出てきて、新しいガーゼを詰め込み再びガーゼで傷口を覆った。

もちろん、痛い。だが、そんなことは言っていられない。

羽田空港から再び飛行機に乗った僕は、ハワイに向かった。

第44話「祖国、故郷、かけがえのない人」完  次回「友…Catch you later.」

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