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【第12話】夢の歯車が動き出す 『彼方なる南十字星』

日本の高度成長期。自作ヨットを操り、命がけで太平洋を渡り、南十字星を見に行った3人の若者の実話にもとづく冒険物語。***


高砂に来て2年を過ぎても、僕の部屋は殺風景なままだ。本当に何もない部屋だった。布団とテーブルがあるだけの部屋。

この部屋での2年間の極貧生活を振り返りながら、大きな決意を胸に二人を前にして口火を切った。

「俺、2年間辛抱に辛抱を重ねて働いて、そして100万円貯めた。だけど二人ともまだ全くお金が貯まってないよね。」

二人とも黙り込んでいる。翔一は何故だか正座していて、裕太は体育座りだった。共通していたのは、僕と全く目を合わせようとせず、下を向いていたことぐらいだ。

「いろいろ事情はあると思う。もし、この夢に対する気持ちが変わっていて、あまり気が乗らないなら、はっきり言ってくれないか?」

翔一がうつむいたまま「ごめん。」と言った。
裕太は黙ったままだ。

「このままでは、夢は終わってしまう。お前たちを責める気持ちはないんだ。」
僕は続けた。

「もし、気持ちが冷めていて夢の計画を降りるのなら、それでも構わない。その時は…俺一人で南太平洋に行く!」

初めて二人が顔を上げた。意外な答えを放ったのか。

一人でも南十字星を見に行く。この言葉が、二人には響いたのかも知れない。

「それなら、一人乗りのヨットでいいんだ。一人で航海できる適当なヨットを、この100万円で造りたい。」そして、追い立てるように続けた。

「お前たちにまだ夢への気持ちがあって、追い続けたいというのなら、3人乗って航海できるヨットが必要になるんだ。それには、これから本気でお金を入れてくれないと、ヨットはできない。」

しばらく沈黙があった。二人とも僕の方を見ている。僕は交互に、仲間二人と目を合わせた。

「悪いけど、どっちかにしてくれないか…。」僕が静かに言った。

この時の僕の気持ちを、後年思い出すことがある。
実はこの時、二人の口から「夢を諦める」という言葉を、心のどこかで期待していたのは間違いないのだ。正確には分からないが、ひとりの方が夢を追いかけるのには気楽かも知れないという思いがあったのは確かだ。

それに、極貧の辛い生活だったが、最高に楽しい期間でもあった。

沈黙を破ったのは裕太だ。
「英希。悪かった。夢は諦めない。これからは本気だ。アルバイトでも何でもして、お金を送る。」

翔一も「一緒に行きたい。夢を本気で追いかけよう。これまで本当にすまなかった。」と頭を下げてくれた。

僕の心は決まった。

手作りヨットで南十字星を見に行くのだ。3人でだ。

これで信じなかったら、仲間ではない。男の友情とはそんなものだ。

それから、高校時代に戻ったような高揚感あふれる時間を3人で過ごした。
相変わらず、ネガティブな意見など出てこない。やっぱりこいつらは、素敵な仲間たちだ。

3人で話し合った結果、長い航海に十分耐えることができる30フィートクラスのヨットを造ることに決めた。材料は何にしようか?

当時、流行り始めていたヨットの製造にフィロセメントという製法があった。
現在は市民権を得たFRP製法だが、当時はものすごく高価だった。

一方のフィロセメント製法は、材料が建築材で済む。しかし、手間が相当かかる。迷っている暇はないが、製造時間はたっぷりあるのだ。

二人が大阪に戻ってからも、会社の事務所に行き、資料を漁った。いろいろ調べた結果、ニュージーランドのハートレーというヨットメーカーが、フィロセメントヨットの設計図を販売していることを突き止めた。

大きさが32フィートのRORC 32というヨットの設計図が、ニュージーランドから届いたのは2週間後だった。

いわばコンクリートヨットである。設計図は7万円もした。

コンクリート製ということに一抹の不安はあったが、すでに姫路市にはコンクリートヨットで世界一周したグループがいた。また会社の先輩も25フィートのヨットを造っていて、手伝いにも行っていた。

後日ではあるが濱田社長に、姫路に住む世界一周したグループのリーダーだった松木さんを紹介してもらって会いに行った。そこでコンクリートヨット造船の工程やノウハウを教わることもできた。

何もかもが勝手に動き出していく。夢の成長というものはそういうものかも知れない。

とにかく僕は、ここでも様々な人たちと出会い、支えてもらうことができた。このような方々とのご縁は、本当に幸福なことだった。

ニュージーランドから届いた設計図を、部屋に広げてひとり見つめ、ふつふつと湧き上がる思いに震えた。


ヨットを建造する場所。これから長い長い戦いの舞台になる場所。今思い出しても、僕の汗と涙がどれくらい染みているか分からない場所。

45年後の今は、マンションが建っている。今でもこの場所を訪れると、当時の情景が蘇って来て感慨深くなる。

この場所は、明石ヨット造船の高砂工場の隣にあった。当時は空き地となっていて、会社に赤レンガの倉庫を貸しているセメント会社が所有していた。セメント会社の社長は大宮さんという。ヨットのオーナーだった。

濱田社長が、大宮社長に僕を紹介してくれ、僕は自分の夢を語った。
もちろん、手作りヨットで南太平洋を目指す夢だ。

3人の夢を合わせていたことが大きかった。具体的な構想は、説得力が違う。

大宮社長は心から感動してくれたようだ。
「空き地だが、自由に使ってくれ。お金はいらん。」

そう言ってくれて、僕がこれまでお世話になった人たちと同じように、「夢を応援させてもらうよ!」と続けて、熱い握手をしてくれた。

果たして僕は、若い頃の夢というのは、とてつもないエネルギーに溢れているものだと今でも信じている。

夢があり、夢に向かって努力している姿は、きっと周りを元気付けるパワーがあるのだ。

〜第12話「夢の歯車が動き出す」完  次回「英希、大人になる」

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