【第7話】無敵の高校生 『彼方なる南十字星』
日本の高度成長期。自作ヨットを操り、命がけで太平洋を渡り、南十字星を見に行った3人の若者の実話にもとづく冒険物語。***
マリーナでは、河合のお父さんが迎えにきていた。
最初暗がりで表情が分からなかったが、近づくと物凄い形相で僕たちを見ている。
僕たちは、帰港が遅くなった理由を話し、誠心誠意謝った。河合のお父さんは終始無言だったが、百合子と佳代子を車に乗せておもむろに帰っていった。
河合百合子とヨットに乗ることはそれきりになってしまったが、今後河合の存在は、僕にとって大きな影響を及ぼすことになる。
とにかく僕たちは、こんな経験を通じてヨットマンとしての判断力、対処力、操船力を磨いていった。
高校生でヨットを手に入れた3人。僕たちは、無敵になった気分だった。
そりゃそうだ、小さいながらも冒険(アドベンチャー)というものを体感していたからだ。実際そうだった。僕は、ありとあらゆることに自信を深めていった。もちろん勉強以外のことだ。学問というのは相変わらずの苦手で、いや苦手というより興味がなかった。
僕たちは、いつも八代大島のマリーナまで国鉄(現在のJ R)を使って移動した。
当時、裕太が250ccのオートバイを持っていて、そのバイクに二人乗りで行ったりした。
高校2年生の11月の出来事だ。夕方、いつものように僕たちは国鉄で八代大島の駅まで向かった。
ドルフィン号が係留してある入江までのバスがない時間だった。そのため、港まで歩いて行こうということになった。
高校2年生の僕たちは、食べ盛りだった。とにかくすぐにお腹がすいた。そのため、晩ご飯を食べようとある食堂に入った。3人とも焼き飯を大盛りで注文したが、出てきたものがとても焼き飯と呼ばれる代物ではなく、ただ平べったいお皿に炒めたご飯をべったりと伸ばしただけの広げ飯だった。
高校生だからと、手抜きをしたのか。今となってはその真相はわからない。
僕たちは、早々にその広げ飯をたいらげて、食堂を出た。とにかく満たされない空腹感と、あまりにも酷い具なしの広げ飯を食べさせられた不満が爆発し、怒りが収まらない。
裕太が「ちょっと、あの焼き飯はひどいよな!仕返してやれ!店に石を投げないか?」
さすがに僕は、それはまずいだろうと考えたが、その提案に翔一が同調した。普段、真面目で冷静な翔一がそういうのだから、よほど腹に据えかねたのだろう。二人は、少し離れたところから、辺りに転がっている石を拾って構えた。
僕は、投げることをためらったが、一人だけ逃げるわけにもいかず、二人が思いっきり投げるのを静止もせずにただ眺めていた。
ガッシャーン!店ののれんがかかっている窓に、翔一が放った石ころが見事命中。裕太の「逃げろーっ!」の掛け声とともに、僕たちは一目散に港に向かって走った。港についた僕たちは、幾分か興奮していたが、ヨットクラブの艇庫に隠れて眠った。
翌日ドルフィン号に乗り込む前、僕は一人近くの雑貨屋にパンを買いに行くと、パトカーが赤色灯を回しながら巡回しているのを見た。もしあの時、僕たちが寝ている艇庫の辺りにパトカーが来て、職務質問でも受けようものなら、僕はビビって白状し逮捕されていたかもしれない。
こんな時、裕太なら何気ない顔で嘘をつき、その場を切り抜けるだろう。その奇妙な信頼感は、50年経った今でも寸分変わらない。が、僕も含めとんでもないクソガキの3人だったことは間違いない。
週末になると僕たちは、いつものように八代大島に集合し、ドルフィン号を操船して楽しんだ。
中学の時に頑張った卓球は、高校1年生の早々に退部していた。ちなみに僕は、中学の卓球部キャプテンを務め、個人団体ともに中体連の地区決勝戦まで進んだ実績がある。高校に進学しても卓球部を頑張ろうと入部したが、先輩の理不尽な仕打ちに耐えかねて3ヶ月で退部していたのだ。
とにかく僕は当時、何の実績も自信もない、夢もなく、勉強もできず特技だった卓球も諦めて、目的や目標などを何も考えることのない、どうしようもない高校生だったのだ。
ヨットに出会うまでは。
〜第7話「無敵の高校生」完 次回「初恋とヨットと…」
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