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【第34話】ポートタウンゼントの出逢い 『彼方なる南十字星』

日本の高度成長期。自作ヨットを操り、命がけで太平洋を渡り、南十字星を見に行った3人の若者の実話にもとづく冒険物語。***


翌日。ビクトリアの新聞に、僕たちのことが写真付きで大きく掲載されていた。朝刊の見開き1/4サイズだ。

デュバルがニコニコしながら、持ってきてくれた。

すると、新聞を見た地元の住民が、次々とホライズン号に訪れた。
僕たちは一夜にして、人気者になった。新聞のパワーはすごい。

僕は、熊本日月新聞の遠藤記者のことを思い出していた。誕生したばかりの夢を、最初に応援して記事にしてくれた遠藤記者。
ついに、アメリカ大陸に上陸しましたよ。

小さなヨットを操り、日本からやってきた若者3人。そして、ハンドメイド・ヨットのホライズン号。この話題は、ビクトリアの人たちの好奇心に、すっかり火をつけたようだ。

日系人のご家族が、食事に招待してくれ、地元の大きな水族館に連れて行ってくれた。
だがあくまでもビクトリアは、シアトルに行く途中の通過点だ。
早々に出航しなくてはならない。

ビクトリアは40年後の今でも、カナダの大きな観光都市である。7月の気候は穏やかで過ごしやすく、季節の花が咲く街並みはとても綺麗だ。

僕たちは、ジャックとデュバルに別れを告げてシアトルに向け出航した。

この日の定時交信の時、城田先生から「熊本日月新聞が、君たちの特集を組むようだよ。次の寄港地で、近況を詳しく教えてくれないか?」と言われた。

ビクトリアで遠藤記者を思い出したのは、きっと必然だったのだ。

シアトルに向かったホライズン号だが、明るいうちに入港することができないと思われた。凪状態が続き、スピードが出ないのだ。

「まあ、急ぐとはあるまい。」裕太はいつもマイペースだ。

「シアトルの前に、ポートタウンゼントに寄港しよう。」僕は二人に告げた。

港町、ポートタウンゼント。アメリカ合衆国ワシントン州の左上端にある。レンガ色が特徴的な、ビクトリア朝の建築物が立ち並ぶ小さな町だ。

港の堤防は、立てた丸太を繋ぎ止めたような、およそ近代的とは思えない古いアメリカを味わうことができた。

僕たちは、桟橋のゲストバースにもやった。するとゲストバースの管理人がやってきて停泊料金を徴収すると言う。

「規則とは言え、シーマンとしてはやっぱり寂しいなあ。」翔一の言葉は本音だ。近くに停泊されていたクルーザーの家族が、何やら文句を言ってくれている。しかし、取りつく島もなかった。

そんな僕たちを、気の毒に思ったらしい。僕たちをクルーザーに招待してくれた。
大きく立派なクルーザーだった。居住区間も広く、ホライズン号の3〜4倍はあろうか。広いキッチンやシャワールームまで完備している。

2組の家族でクルージング旅行に来ているらしい。ひとりはシアトルで「シップヤード」という造船会社を経営している男性。マイクと名乗った。家族は奥さんと二人の姉妹。

もうひと組は、スコットランド出身のアメリカ人夫妻だった。ご主人は、オーウェンという。

2組の家族は、皆とても親切な方々だった。マイクさんの愛娘二人はとても美しい女性で、僕たちよりも少し年下だろうか。ソフィアとナタリーという名前だった。

マイクさんとオーウェンさんは、僕たちに食事を振る舞ってくれた。何もかもが美味しく、特にバーベキュー料理は衝撃だった。大きな肉と野菜を金属の串に刺して豪快に焼くのだ。

そしてワインを開けてくれて、僕たちは大いに親交を深めた。

オーウェンさんは、バグパイプ(スコットランドの伝統楽器)の名手だった。僕たちの前で演奏してくれ、初めて聞くバグパイプの音色に癒された。

僕はホライズン号から古いギターを持ち出して、お礼にビートルズを披露した。選曲は十八番のレットイットビーだ。

弾き語りをしている時、何となくソフィアの視線を感じたが、それほど気に止めることもなかった。

僕たちは、心ゆくまで楽しい時間を過ごすことができた。

帰り際、マイクさんが「シアトルに着いたら、電話をしてくれ。」と言って番号を書いたメモを僕に渡した。

自宅でパーティをしてくれるらしい。

「シアトルの新聞に連絡しておく。取材に来たら、これを被って受けてくれ。」

マイクさんはそう言って、「SHIP YARD⚓️」というエンブレムが入ったキャップを3つプレゼントしてくれた。

シアトルでまた会えると思い、軽い別れの挨拶をして出航した。

「シアトルに向かうぞ!」僕は二人に言った。

さあ今度こそ、目的地のシアトルだ。


ホライズン号は、シアトルのショルショーヨットハーバーに入った。アメリカ合衆国への入国手続きは、ポートタウンゼントで済ませている。

桟橋には、ハーバーの係官がすでに案内をしてくれている。その指示に従い、ゲストバースにもやった。

どこからともなく、地元の新聞シアトルタイムズの記者が現れ、握手をしてきた。マイクさんが手配してくれていたのだ。

マイクさんとの約束通り、僕たちはマイクさんの会社「シップヤード」のキャップを被って取材に応じた。

通訳を通してだったので、とてもスムーズな取材だった。

記者はひたすら、太平洋上の出来事を聞いてきた。

僕たちは、台風を乗り切ったことや日本の漁船からの施し、ニアミス事件や不審船のことなどを話した。

記者はすこぶる興味を持ったらしく、ビクトリアの記者デュバルのように「Amazing!」と言って称えてくれた。

数日後、シアトルタイムズに載った記事と写真を持って、マイクさんがやってきた。
少し前に会って別れたばかりだけど、不思議と懐かしい感じがした。

約束通り、キャップを被って取材に応じてくれたことを、マイクさんはとても喜び、「日本人の若者は、ナイスガイだ!」と言ってとても喜んでくれた。

「どうだい?これから家に来ないか?パーティーの準備ができているんだ。」

マイクさんの誘いに乗らない手はない。3人揃って「We are happy!」と喜びを伝えた。

〜つづく

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