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【第52話】夢は叶う…  『彼方なる南十字星』

日本の高度成長期。自作ヨットを操り、命がけで太平洋を渡り、南十字星を見に行った3人の若者の実話にもとづく冒険物語。***


6月上旬。航海は終わりに近づいていた。ホライズン号は、グアムを抜けて沖縄を目指している。

当初は、熊本の三角港に帰国する予定だったが、僕にはどうしても沖縄に行きたい理由があった。

翔一に無理を言い、トニーに訳を話した。
「沖縄戦の慰霊をしたいんだ。」

「そうか、いいと思うよ。こういう機会だからこそ、行くべきなのだろう。」翔一は相変わらず、僕の理解者だ。
トニーも賛成してくれた。

沖縄の那覇港まで、ホライズン号は順調に進んだ。そしてヨットハーバーにもやった。
祖国だ。僕たちは、ここで帰国手続きを済ませることにした。深い意味はない。帰国したのだという、気持ちの整理をしたかったのだと今では思っている。

僕は、平和記念公園を訪ねた。ひめゆりの塔、健児の塔を巡って、花束を捧げ、手を合わせた。

つい30数年前に、この地で激戦が繰り広げられ、僕たちよりもずっと若い人たちが祖国に命を捧げたのだ。
ひめゆりの塔は、看護婦として従軍した女学生たち、健児の塔は鉄血勤皇隊として従軍した師範学校の男子学生を祀っている。

僕は、太平洋周航の旅を通じて、祖国とは何か?を徹底して考えさせられた。そして、祖国とは「そこに幸せに暮らす人間たち」だという結論に達したのだ。

僕たちの幸福。すなわち今日の祖国は、ここに祀られている方々の、尊い犠牲の上にある。平和な日本に暮らす僕たちは、絶対に忘れてはならない価値観なのだ。

2日後、ホライズン号は那覇港を離れた。沖縄の次は、喜界島に寄港した。
喜界島は、海が綺麗な港があった。沖縄のように石垣の塀に囲まれた家が多い。

南国気分を味わうことができた。

喜界島を離れ、屋久島を東に眺めながら、ホライズン号は九州本土に近づいていく。

そして鹿児島の枕崎港に入港した。枕崎は、父の故郷だ。先祖から「よく帰ったな。」そう言われた気がした。

漁船の間にホライズン号を停泊させてもらい、船内で一泊する。

いよいよ明日、熊本の海に帰るのだ。その夜は、興奮してなかなか寝付けなかった。

翌日。快晴だ。心地よい風が吹いている、

「セールを思い切り張って進もう。」僕は翔一に言った。
一年以上に及ぶ長い航海が、終わろうとしているのだ。翔一も、興奮している。

僕たちは天草下島の崎津港に入り、漁船の隣にもやった。
船長らしき漁船の人が、「どこから来たんだ?」と聞いてくる。

「太平洋を周航して、たった今帰ってきました。」僕は答えた。やはり声が興奮している。

「お前たち、ひょっとして新聞に載っていたヤツらか?」

「はい。そうなんです。」

「そうか。帰ってきたか?今日はここに泊まるのか?」

漁師のおじさんは、「これでも食え。無事の帰還の祝いだ!」
そう言って、70cmはあろうかと思われる大きな鯛をくれた。
「ありがとうございます!」僕たちは、声を揃えてお礼を言った。漁師のおじさんは、笑って去っていった。

果たして僕たちは、どれだけ「ありがとう」という言葉を、この航海で放っただろう。「ありがとうございます。」この美しい日本語は魔法の言葉だ。誰も不快にすることはない。

航海でまたひとつ、学ぶことができた。

ホライズン号での最後の夜。僕たちは新鮮な鯛刺しを味わい、残った米を炊いて鯛茶漬けにした。最高だ。
改めて、日本の食文化は世界一だと思う。

6月20日、夜明け前。僕たちは、ホライズン号のもやいを解いた。相変わらず、ちょうどいい風が吹いている。

だんだんと、東の空が白じんでいく。

崎津天主堂が、相変わらず荘厳な雰囲気を醸し出してる。
高校生の頃、城田先生の持ち物だったドルフィン号に乗って訪れた時以来だ。

今は世界遺産になっている。だがその頃は、田舎の漁村に似つかわしくない教会が珍しかった。

ホライズン号は、セールを思い切り広げてぐんぐん走る。
熊本から天草に繋がる最初の島、大矢野島の串湾を目指した。

串湾は、よくドルフィン号を浮かべていた湾だ。懐かしい。

「帰ってきたぞ、ドルフィン号!」今は亡きかつての愛艇に向けて、僕は叫んだ。
ドルフィン号の魂は、きっとこの串湾で僕たちを待っていたはずだ。

陽が登る。朱色の朝焼けが本当に美しい。

ホライズン号は、崎津から島原との間の海峡「早崎海峡」を通って進む。
順調なセーリングだ。僕たちはこの旅最後のセーリングを、心から愉しみながらホライズン号を操った。

有明海にポツンと湯島が見えた。

てっぺんが平らの、特徴ある島だ。
その昔、湯島は談合島と言われた。島原と天草のキリシタンが秘密裏に集まって会議を行ったために、そう呼ばれたようだ。

故郷の海、有明海だ。懐かしい。本当に懐かしい景色だ。

有明海は、外洋の東シナ海から狭い早崎海峡で閉ざされている。そのため、外洋独特のうねりがないのだ。

ホライズン号は、南風を心地よく受けながら、東に向けて進んだ。

前方からマストが見えた。近づいてくる。

船体が鮮やかなオレンジ色だ。誰かが手を振っている。

誰だろう?オレンジ色のヨットは、ホライズン号の右舷に並走した。

ようやく分かった。「城田先生だ!」

涙が溢れそうだ。帰ってきた!やっと…帰ってきた!

15才の夏に誕生した僕たちの夢。
26才になった今、現実となって終焉を向かえようとしている。

夢は叶う!

僕は、この旅を回想した。
ホライズン号が完成したとき。西宮ヨットハーバーを出港したとき。アメリカ大陸に上陸したとき。ハワイに着いたとき。南太平洋に入ったとき。

そして南十字星を南太平洋で眺めたとき…。

様々な場面で、僕は夢の実現を実感することができた。

だが、こうやって僕たちもホライズン号も無事、熊本の海に帰ってきたこと…。これこそ、夢が叶ったというべきだろう。

城田先生のヨットは、エレガントレディ号という。
先生が、並走しながら大きな声で叫んでいる。
「フォロー、ミー!」

ああ、先生は船首に立つトニーに向けて話しているのだ。

トニーが気付いてニッコリ笑いながら「ついてこいって言っているよ。」と、嬉しそうに振り向く。

城田先生に水先案内人を務めていただいた。そして、ホライズン号は串湾に入った。
さらに奥に入り、狭い水路を抜けて入った桟橋にヨットが20隻ほど繋がれていた。

そこには、たくさんの人達が待っていた。家族、友人、知人。
少し離れたところに、ひとり東子がいた。泣いているように見える。

多勢の人達に手を振られ、拍手を受けて、ホライズン号を桟橋にもやった。

桟橋を踏んだ。

なぜだろう。涙が出てこない。

もちろん、張り裂けそうな、とてつもない高揚感に包まれていた。
だが、なぜだか涙は出なかった。

昂ぶる想いが言葉となっただけだ。「ありがとう!」

「ありがとう!」

10年を費やした、青春の軌跡。
ありがとう!本当に、ありがとう!

西の水平線に、真っ赤な夕日が沈んでいく。

第52話「夢は叶う…」完   次回最終話「夢のあと」

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