【第6話】冒険のはじまり 『彼方なる南十字星』
日本の高度成長期。自作ヨットを操り、命がけで太平洋を渡り、南十字星を見に行った3人の若者の実話にもとづく冒険物語。***
僕たちは、高校生でありながらヨットオーナーになれた。
土曜日の午後になると僕たちは、八代大島のヨットハーバーに向かい、キャビンで寝た。
昭和46年という時代、この頃は、まだ小型船舶士という資格も免許もなかったから、僕たちでも好き勝手に小さなヨットを操船できた。ある意味、とてもいい時代だったのかもしれない。
ヨットという乗り物は不思議な船だ。ほとんどの人が、セールに後ろから風を受けて推進していくと思っている。
50年経った今でも、それが常識となっていることが残念だ。
ヨットはセールの膨らみによる、揚力を利用して前に進む。
飛行機の翼を断面で見ると、上方が膨らんでいる。膨らんでいる方向に推進力が生まれるのだ。これを揚力という。
たとえ完全な向かい風でも、セールを45°に回転させ、同時に舵を逆に切れば、斜め前に進んでいく。つまり、目的地に少しずつ近づいていくのだ。
向かい風をも味方につけて、少しずつ前に前に進んでいくヨット。
その魅力は、操船できる人間にしか完全には理解できないだろう。
前にも述べたが、後年僕は小さな会社を経営することになる。
ヨットは、会社の経営にもよく通じることがある乗り物だと、僕は思っている。
経営は逆風の連続だ、次から次にやってくる逆風をうまく利用して乗り越え、少しずつ前進しなければならない。
そんなヨットの魅力は、若い僕たちを夢中にさせるには十分だった。
そのころの僕たちの武勇伝を、いくつか紹介しようと思う。ある時、八代大島から天草4号橋のマリーナに向かい航行していた時だ。
ドルフィン号は、向かい風がなく潮に流され、4号橋の橋桁にマストを接触させてしまった。
またある時は、大型の遊覧船に近づきすぎて叱られたりした。それも、故意に近づいたから始末に追えない。遊覧船の人たちが手を振ってくれたこと、それに応えようとして近づきすぎて、あわや衝突しそうになったのだ。
ドルフィン号に乗っている時、僕たちは無敵の乗り物に乗っているかのような感覚が確かにあった。
海は、人に勇気を与えてくれる。そして、危険なことも散々体験した。
ある週末だった。僕たちの怖いもの知らずの好奇心は無限大まで大きくなっていた。
この慢心が、海では命取りになるものだ。
僕たちは、夜の8時に出港した。海上でヨットに泊まり、綺麗な朝日を海の上から眺めようという計画だ。僕たちは一路天草4号橋付近を目指していた。
上天草串湾の入り口に差し掛かった時、岩場で突然エンジンが止まった。ドルフィン号のメイン動力は船外機だ。
標準搭載しているエンジンではなく、船の後方外部に取り付けるタイプ。再始動させようと何度も試みたが、いっこうにかからない。
あたりは岩場で、接触したらとても危険だ。僕は慌ててアンカーを打った。
何とかアンカーが効いて、岩場スレスレでドルフィン号は停まった。
僕はその頃から手先が器用で、機械の修理など得意としていた。時間をかけて船外機を修理し、再始動に成功して何とか岩場を脱出できた。
今思い出してもゾッとする体験だった。
あの日出港前、さすがに自分たちだけの夜間航行は、はじめての経験だったためにスターン(船尾)の物入れからアンカーとロープを出し、いつでも打って停船できるように準備していたのだ。
もしあの時、準備をせずにアンカーを打つことにモタモタしていたら、おそらく間に合ってはいまい。小さなドルフィン号は岩場に寄せられ、波と風に煽られて大破していたはずだ。
僕たち3人も無事であろうはずがない。
あの日以来、エンジントラブルはいつでも起こりうると考え、アンカーはすぐに打てるようにしている。
海の上は、一歩間違えればすぐに命を失う事態になる場所。
そして、ヨットは走らせるのは簡単だが、止まらせるのはとても難しい乗り物だということが身に染みて分かった。
1年生の春休みになった。学校が休みになっても。僕たちは勉強そっちのけで、ヨット操船を学んだ。
とにかくヨットに夢中になった。
ところで僕は、同じ高校のクラスに通う女子高生の河合百合子に密かに思いを寄せていた。河合は、僕たちが1年前の夏休み中に新聞に掲載されたことを知っていて、ある時声をかけてくれた一人だった。
あれだけ大きく新聞に載ったのに、夏休み明けに同級生はおろか先生までほとんど声をかけてくれたなかったことが、今でも不思議でならない。
先生たちは、面倒なことに巻き込まれたくなかったのか、自分の学校の生徒によほど興味がなかったのか、そのどちらかだったのだろう。生徒たちは多分新聞を読まなかった派だと思われる。
しかし、ある時河合から「新聞に載ってたの、安藤くんたちでしょう?」と声をかけてくれたのだ。
さすがに「すごいね!」とは言ってくれなかった。当たり前だ。その時はまだ何も実行しておらず、ただの夢物語を語っただけだったのだから。
でも今は違う。あれから1年。僕たち3人は立派なヨットオーナーだ。しかも、週末は八代大橋のマリーナから出航し、ひそかにヨットマンとしての腕を磨いているのだ。
僕は、思い切って「よかったら、ヨットに乗ってみないか?」と誘ってみた。
河合は一瞬びっくりしたようだったが、「本当!乗れるの?」と言ってくれたのだ。
普段大人しいイメージの河合百合子だったが、意外と快活で、積極的な女の子だった。
河合は、一人では不安だという。「友達の佳代子を誘ってもいいかな?」。断る理由はどこにもない。むしろ大歓迎だ!
こういう時、僕の相棒は裕太と相場が決まっていた。何よりひょうきんで、面白いことに機転がきく。
きっと裕太となら彼女たちを退屈させないだろう。翔一には申し訳ないが、今回は、翔一に黙って裕太と一緒に出かけた。
行き先はもちろん、八代大島のマリーナ。ドルフィン号の停泊地だ。
河合百合子と矢野佳代子は、河合のお父さんの車で現れた。河合のお父さんは、遠くから心配そうにこっちを見ていたが、しばらくして帰っていた。
僕も裕太も舞い上がっていた。矢野佳代子も、クラスでは結構人気のある女の子だったからだ。
裕太は違う学校だったが、男子校に通っていたから、女の子とヨットに乗ることなど夢のような出来事だったに違いない。
だけど河合百合子は最高にかわいかった。動きやすい服装で来てねと伝えていたが、河合は水色のワンピースで現れた。
矢野佳代子の方は、ベージュのニットにデニムというボーイッシュなファッションだった。
僕は、さすがに海の上は寒いよ…と言いながら、何気にヨットジャケットを貸してあげた。裕太も矢野に貸してあげていた。こんなこともあろうかと、二人で2着ずつ持っていこうと申し合わせていたのだ。僕たちは、自分たちの用意周到さに感動した。
4人でライフジャケットを着込み、意気揚々と八代大島から出航した。
その日の日帰りクルージングは、最高の天候に恵まれた。強くも弱くもない風が、ドルフィン号を包み込む。その風を利用して、ドルフィン号は波を切って進む。話も盛り上がった。
4人は大いに笑い、僕たちもヨット操船のことなどを自慢げに話した。ただ、河合のお父さんが警察官だと聞いた時は、悪いことは何もしていないのにギョッとしてしまった。
そして、その日のことはあまり良い思い出として残ってはいない。
僕たちは、あまりの天候の良さと、セーリングによる無音の中の航行の心地よさに、帰りが少々遅くなってしまった。
時間は午後5時を回っていた。
八代大島のマリーナに入港しようとした時だ。ガリガリガリと船底を擦ったような音がしたかと思ったら、ドルフィン号は突然座礁した。
干潮時で潮が思ったより引いていたのだ。いかん!このままでは帰りが遅くなってしまう。
河合百合子も矢野佳代子も、不安そうな表情を浮かべている。僕たちは、極めて冷静に対処しようとしたが、対処といっても潮が満ちてくるまでひたすら待つしかないのだ。
おそらく航行できるまで3時間はかかる。マリーナ入港は午後9時を過ぎるだろう。しかも、河合のお父さんは警察官だ。きっと大問題になるに違いない。
僕たちは開き直り、帰りが遅くなることを謝り、キャビンの中でトランプをした。
河合も矢野も、さほど楽しそうではなかった。当たり前だ。親から叱られることは間違いないからだ。
夜9時過ぎ。潮も満ちてきて、ドルフィン号はようやく八代大島マリーナに入港した。
〜第6話「冒険のはじまり」完 次回「無敵の高校生」
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