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【第15話】恋の行方 『彼方なる南十字星』

日本の高度成長期。自作ヨットを操り、命がけで太平洋を渡り、南十字星を見に行った3人の若者の実話にもとづく冒険物語。***


12月になった。すっかり肌寒くなったが、僕は相変わらずフレームに金網を貼っていく作業に没頭していた。

家に帰ると、郵便受けに1通の手紙が入っている。かわいらしい封筒は、河合百合子からの手紙だということを知らせてくれる。

河合は、送ってくれる手紙を入れた封筒は、いつも季節を感じるような女子らしいものをセレクトしていた。
僕は、そんな河合の女の子としての魅力に惹かれていたのだと思う。

「12月26日、日曜日だけど遊びに行きます。」

河合百合子に逢える。その文章は、何事にも変えられない高揚感を僕にもたらしてくれた。

僕はその日のうちに返事を書いた。
「嬉しいです。とても楽しみにしています。」

河合は、その日高砂市まで来てくれた。日曜日ということもあり、会社には誰もいなかったのが幸いした。会社の人たちからは、絶対にからかわれたり、詰問されたりしたはずだ。

河合は、ベージュのチュニック、ピンクのロングスカート姿で現れた。薄い黄色のマフラーが印象的だ。

高校卒業以来、2年8ヶ月ぶりの再会だった。
「安藤くん、久しぶりね。」

高校の頃からの長い黒髪が、今でもとても似合っている。薄く化粧もしている河合は、すっかり女子大学生らしくなって、大人の女性の雰囲気だった。もう大学3年生なのだ。

僕たちは、神戸市に出かけた。市電に乗って、デパートに行きランチを食べた。

手紙には、ヨット造船がどれくらい進んでいるかを記していたので、河合は「すごいよね。すごいよね。」とひたすら感心してくれた。
僕たちは、ボーリングをしたり、ウィンドーショピングをして束の間のひとときを楽しんだ。

「安藤くんは、寂しくない?」喫茶店に入って、コーヒーを注文した時だった。河合が窓の外を見つめた後、僕の方を向き直して言った。

街はすっかり冬の風景で、幹枝だけになった街路樹も寂しそうだ。

「寂しいって?」僕は河合に尋ねた。

「私の大学の男の子たちは、学生生活を楽しんでいるわ。レジャーやスポーツ、それに学業もね。」河合は続けた。
「安藤くんを見てると、本当は大学生のような生活をしたくないのかなって、そう思って。」

少し沈黙があった。そして僕は答えた。

「何て言うのかな。僕は僕なりに燃えるような毎日を送っているんだよ。それは、おそらく普通の大学生では味わえないような充実感なんだ。」

「そうなんだね。」

「うん。レジャーやスポーツや学業も人生の大切な学びだと思う。だけど自作ヨットで太平洋を横断して、南十字星を見に行くことは今しかできない。」

「そっか。安藤くんが自分で選んだ道だもんね。」

そうだ。僕は誰から強制されるわけでもなく、この夢の実現に向き合うことを選んだ。

例え、太平洋の真ん中で死が訪れたとしても、きっと後悔しない。

「じゃあ絶対叶えないとね。私ずっと応援してるから。」

明るくそう言ってくれたけど、一瞬の寂しそうな悲しそうな表情を僕は見逃さなかった。

河合は、神戸駅から京都に向けて帰っていった。
「また来るね。」河合は、そういって手を振った。

「夏前には、ヨットにモルタルを塗るんだ。そしたら全体の姿が分かる。」

「分かった。じゃあ、夏には必ず逢おうね。」

この約束が叶うのに、2年余りの月日を要することになることを、この時僕は想像もしていなかった。


春が過ぎ、初夏。そして6月になった。

船内にモルタルを塗る工程に入った。当初は、職人に依頼することを考えたが、ここは全て自分たちで造ることにこだわり、プロの左官職人の元に通って学んだ。

これまでフェロセメントのモルタル塗りの経験が豊富な職人を、濱田社長に紹介してもらうことができたのは幸いだった。

もちろん、裕太も翔一も毎週土曜日夕方には僕の部屋に泊まり込み、日曜日は朝から夕方までモルタル塗りを分担した。

平川先輩も、休日を返上して手伝ってくれた。平川先輩は、作業中も本当に楽しい雰囲気を作ってくれた。この人は、周りを笑わせる天才なんじゃないかと思う。

その日のモルタル塗りが終わると、水道からホースを船体の回りに這わせる。

そして船内にはスプリンクラーを廻して、湿度100%を保つようにした。
最後のモルタル塗りの作業が終わった。

あいにくその日は、カンカン照りだったので、さらに小さい針の穴を開けたホースを船体の外周に這わせ、その上に布きれをおいて、一ヶ月程水を流しっぱなしにした。
ゆっくりゆっくり無理なく固めていくのだ。

一ヶ月後水を止め、ホースや布切れなどを片付けると、灰色の船体が頼もしげに現れた。


河合百合子に手紙を書いて、船体が完成したことを記した。

河合との手紙は、昨年末に神戸市に遊びに行ってから、返事が途絶えていた。
今回も、きっと返事は来ないだろう。何かあったのか。

河合が住むおばさんの家の電話番号を知らない僕には、どうすることもできない。
何度か訪ねて行ってみようと考えもした。
しかし、勇気がないのと、いきなり女子大生の住むところに訪ねていく行為が、とてつもなく恥ずかしい行為のように思えた。

ヨットの製造を止めるわけにはいかない。
次の工程に入ろう。


船体ができた後は、塗装に入る。とても大切な工程だ。
モルタルだけだと、船体に水が染み込んでくる。そのため、塗装を施して水が染み込むのを抑える必要があるのだ。

塗料は、モルタルと相性がいいエポシキ系を使った。まずは下塗りして、次にやはりエポシキ系のパテを塗りつける。

船体表面のデコボコを平らにして、綺麗な曲面に仕上げる必要がある。
何度も盛っては磨き、また、盛っては磨く。

自分の根気はいったいどこから来るのか?
いったいどれくらいの量の汗を、小屋の床に滴らせたろうか?

このエポシキ系のパテは、今まで仕事で使用していたポリエステル系のそれと違い、皮膚にあまりよくない。僕はこの作業を始めて以来、ずっと目蓋の上が腫れていた。

いつも腫れぼったい顔をしていたから、会社の人たちからフランケンシュタインのようだと笑われた。

特にモヒカンヘアが特徴の平川先輩と並んで歩いていると、危ない若者だと道ゆく人たちから見られていたようだ。
怪訝そうな表情で僕と平川先輩をやり過ごす人たちを横目に見ながら、いっそ驚かしてやろうか?などと冗談を言って笑い合ったものだ。

大方、表面が仕上がった。中塗りをして、最後は艶の出るウレタン系の塗料で吹き付け塗装をすることにした。

船体塗装はとにかく神経を使った。何せ浸水したら、死に直結するからだ。

〜第15話「恋の行方」完  次回「水平線と太陽と」

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