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【第32話】船尾はためく日の丸 『彼方なる南十字星』

日本の高度成長期。自作ヨットを操り、命がけで太平洋を渡り、南十字星を見に行った3人の若者の実話にもとづく冒険物語。***


霧の中、僕たちは周囲を見回した。ところどころ漁船らしき船が見える。
双眼鏡で見ていると、遠くに灯台の明かりが確認できた。
点滅回数や速度を読み、日本から持ってきた古いチャート(海図)で、同じ灯質(光り方)を探したが見つからない。

「この辺りだと思うんだが、灯台が海図とマッチしないんだ。」僕は誰にともなく呟いた。

「チャート(海図)が古いんじゃないのか?」翔一が言う。

緑に覆われた陸地が見えるだけだ。目立つ建物もない。

「困ったぞ。現在地が分からないと、北上したらいいのか、南下したらいいのか…判断がつかない。」船長としての本音だ。

「1時の方向にヨット が見えるぞ。」裕太が叫んだ。確かにヨットだ。二本のマストがはっきりと見えた。ケッチタイプだ。

「よし。あのヨットに教えてもらおう。」僕は少し面舵を切り、ホライズン号を近づけた。そして片言の英語で話しかけた。

「Hi!We are Japanese. We have crossed this Pacific Ocean from japan. Where is here?」(こんにちは。僕たちは、日本人です。日本から太平洋を渡ってきました。ここはどこですか?)

ケッチタイプヨットに乗っていたのは、割と年配のご夫婦のようだった。
僕の下手な英語の発音にも、少し理解し応じてくれた。

僕は、舵を翔一に任せてチャート(海図)を握りしめ、やや強引に乗り移った。年配のご夫婦は、キャビンに招き入れてくれた。
僕は持参したチャートを広げて指差し、ジェスチャーで現在位置を教えてもらった。

どうやらアメリカとカナダの国境にある、バンクーバー島の真ん中あたりにいるようだ。

こっちは嬉しくて、笑顔で言った。「Thank you! Thank you very mach.」
だが、ご夫婦は終始引きつった表情を浮かべている。

そうだ、こっちは久しぶりに人に会い、久しぶりに人と話せた。気づかなかったが、上半身裸の顔はヒゲだらけだったのだ。
そんな東洋人が、半ば強引に乗り移ってきたのだから、さぞ怖かったに違いない。
もしかしたら、海賊か何かと思われたのかも知れない。

僕はとっさに裕太に向かって言った。
「金比羅神社で買った、赤い大きなうちわを持ってきてくれ。」

別れ際に、お礼だという気持ちを込めて、その大きなうちわをプレゼントした。
すると、やっと本物の笑顔を見せてくれた。

だけど、初めて会ったアメリカ人のご夫婦の優しさに、僕たちは心から感激した。

「Thank you , and sorry.」と、こちらから伝えると「Good luck Japanese!」と返してくれた。

現在地を把握したホライズン号は、やっと進路を決めて走り出した。

方向を定めて、ホライズン号は走る。朝日はすっかり昇り、霧も晴れた。快晴だ。心地よい風も吹いている。

目的地はシアトルだった。だがシアトルまではバンクーバー島に沿って南下し、回り込んでかなり奥までいく必要がある。

かなりの距離だ。

「せっかくアメリカ大陸に着いたのに、すぐに入港できないなんて…。」肩を落としている翔一。

「まず、カナダのビクトリアに向かおう。」と僕は提案した。

この判断は、二人のテンションを上げるのに十分だった。ビクトリアは、バンクーバー島の南端にある町だ。19世紀の中頃、イギリスの植民地であったバンクーバー島。ビクトリアとは、当時のイギリス女王の名前だ。

7月という季節は、平均気温が20℃前半でとても過ごしやすい町である。

ビクトリアに入港するためには、短いが水路を進む必要がある。ホライズン号は機走で進んだ。

「あれは何だ?」いつものように、船首で見張りをしている裕太が言った。

ホライズン号の正面から、何やら物凄いスピードで近づいてくる。

「モーターボートか?」翔一が言った。

「まさか。こんな狭い水路で。飛ばしすぎだろう。」

凄いエンジン音だ。しかもまっすぐホライズン号に迫ってくる。

急激に大きくなるエンジン音。危ない。あのスピードで真正面からだと、お互いに避けるのは不可能だ。

「ぶつかるぞ!」裕太が叫んだ瞬間。

浮いた。

その物体は、ホライズン号のマストの上を飛び越えて去って行った。

飛行機だったのだ。水上飛行機だ。水路を滑走路にして離陸するなんて、日本ではとても見られない光景だ。

アメリカ大陸にある国の、ダイナミックさを見せつけられたようだった。

初めて入港する外国の洗礼を受けて、ホライズン号は正面の桟橋に向かう。

裕太がマストのスプレッダーに、イエローフラッグとカナダの国旗を掲げた。
イエローフラッグは、国際信号旗のアルファベットQを表す黄色い旗だ。入港する船舶が、港湾事務所に「検疫を求む」という意味がある。

僕が船尾に日の丸を掲げた。瞬間、涙が頬を伝った。何故だか分からない。3人が無事に上陸できる喜びと、太平洋を横断したという船長の責任を一つ果たした安堵感からだったかも知れない。

接岸して少し待っていると、制服を着た係官がやってきた。
髭まで金髪の恰幅のいい白人だった。簡単に船内を検査して、手続きを終える。その後3人で入国管理局(イミグレーション・オフィス)に向かった。

桟橋や道路を歩くと、地面が酷く揺れている感覚だ。49日間に及ぶ船上生活の影響だろう。

「49日ぶりの大地だな。地面の感覚がこんなに心地いいとは思わなかったよ。」翔一が感慨深く言う。

「本当に俺たち、太平洋を渡ったんだな。手作りヨットで。」裕太の言葉に、僕もやっとその実感と感激がふつふつと込み上げた。

桟橋に戻ると、ホライズン号の勇姿が桟橋に輝く。船尾の日の丸も誇らしげだった。

俺のことを信じて間違いなかっただろ…。ホライズン号が、そう僕たちに自慢しているようだった。

〜つづく

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