見出し画像

【第5話】Bon voyage! 『彼方なる南十字星』

日本の高度成長期。自作ヨットを操り、命がけで太平洋を渡り、南十字星を見に行った3人の若者の実話にもとづく冒険物語。***


僕たちは初めてヨットという乗り物を体験し、その乗り物の魅力に取り憑かれた。

それは手作りヨットで太平洋を横断し、その後南十字星を見にいくという夢を叶えるためというよりも、純粋に大海原で風を受けて進む快感に感動していた日々だった。

11月に入っていた。その頃、僕たち4人に転機が訪れる。正雄が「ヨット仲間を抜けたい」と言ってきたのだ。

11月のある日、僕は正雄に誘われ家に遊びに行った。
正雄の家は決して裕福な家庭ではなかった。正雄のお父さんは、小さいながらも居酒屋を経営していたが、友人の借金の連帯保証人になっていたらしい。

その友人が借金を返すことができなくなり、正雄の家には、予期せず多額の借金がのしかかることになったのだ。正雄は、遊びに来た僕に言った。

「父さんが借金を背負ってしまった。僕もアルバイトをして家計を助けなければならなくなったんだ。母さんは高校までは行きなさいと言ってくれている。だけど、これからどうなるか分からない。」

「何とかならないのかな?」

「いや、実は最近人相の悪い人たちが、家の周りに来て、何か叫んでいるんだ。借金を返せ!とかね。」

実際に僕もその光景を見た。いかにもチンピラ風の若い男が、「田村さ〜ん!お金返してくださいよ〜。」と叫び回っている光景だ。

それは、正雄の家に向けられたものでなく、明らかに近所に向けられた完全な嫌がらせだった。50年後の今では、大問題となっていることが、当時は平気で行われていたのだ。

正雄は会うたびに、表情から明るさが無くなっていった。家に行くと、愛用していたフォークギターをボコボコに壊し、画用紙に何を描いたか分からないような抽象画を描いたりしていた。

「俺たちには、ヨットという夢があるじゃないか。また一緒に追いかけようよ。」
僕が言っても、その発言には正雄を励ますようなパワーを宿すことはなかった。
正雄は言った。

「英希、俺は悔しい。あの日みんなで決めた夢を途中で諦めることが…。こんなに悔しい想いをするのは生まれてはじめてだ!」

正雄は、顔をくしゃくしゃにして泣いた。僕も泣いた。

こうして正雄は、夢を諦めることになったのだが、正雄のその後に触れておこうと思う。

正雄は元来努力家で、一度決めた計画を実直に進めていくタイプだ。アルバイトをいくつも掛け持ちしながら、お父さんの借金返済を手伝い、何とか高校を卒業した。

ずいぶん経ってから聞いたことだが、はじめは学年でも中位の成績だったのが、高校3年生の頃にはメキメキと成績を上げて、最終的にはトップクラスに入ったらしい。

家計のことで大学進学は諦めたけど、高校の進学担当の先生は熱心に大学進学を進めたということだ。

正雄は高校卒業と同時に、生命保険会社に入社したがしばらくして、胃にガンが見つかった。幸い早期発見だったけど、生命保険会社は辞めなければならず、地元熊本の農協に再就職した。

その後通信教育で大学を卒業し、猛勉強の末に税理士に挑戦。見事合格して、独立開業している。

何でも、職場の飲み会が終わった後でも、必ず机に向かい勉強していたというから、大した男だと思う。夢の誕生から50年経った今でも、時々酒を飲み交わす大切な友達だ。

正雄がヨット仲間から抜けておよそ1ヶ月。城田先生から連絡があったのは12月に入ってからだった。


城田先生。僕の半生を振り返る時、この方の人間的魅力を思わずにはいられない。

ヨットマンとしての判断力や操船技術もさることながら、一人の男としてのスケールの大きさを皮膚感覚で感じ取れるような大人だった。
人生で一人だけ師匠を選ぶとすれば、僕は真っ先に城田先生を選ぶだろう。

城田先生からの連絡は、僕たちの計画を現実的に一歩進めることができるような提案だった。先生の愛船「Dolphin号」を安価で譲ってくれるという、夢のような話だ。

先生の愛船はまだまだ新しくきれいで、先生がとても大切に手入れされている。先生の心からの愛情を感じることができる船だった。

当時の査定価格でも100万円はしたと思う。先生は、その愛船を30万円で譲ってくださった。何でも新しい大型のヨットを購入するから…と言われたが、先生の財力からしても2艘を所持することは容易だったと思っている。

冒険心あふれる若者を応援したい。
その想いを現実的に実行してくださったのだ。

しかし30万円という大金は、当時の高校生にとっては容易に準備できるものではない。当時の大学新卒初任給が6万円ほどの時代だった。僕たち3人は話し合い、ひとり10万円ずつ工面しようということに決めた。

僕は母親から借りた。その後高校生の間、早朝の新聞配達のアルバイトをして、10万円を母親に返していくことにした。

12月のクリスマスイブ。城田先生は、僕たちを八代大島に連れて行ってくれ、そこでドルフィン号のキャビンハッチのキーを渡してくれた。

「Bon voyage」(良い航海を…)。城田先生は、僕にキーを渡す時、はっきりとそう言ってくれた。あの時の先生の優しい眼差しを、僕は忘れることはできない。

〜第5話「Bon voyage!」完  次回「冒険のはじまり」

画像1


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?