【第33話】旅路の縁を想う 『彼方なる南十字星』
日本の高度成長期。自作ヨットを操り、命がけで太平洋を渡り、南十字星を見に行った3人の若者の実話にもとづく冒険物語。***
僕たちは、桟橋に繋がれたホライズン号に戻った。海の上とは違う安堵感がある。その何とも言えない安堵感の中で、僕たちはしばらく静かにくつろいだ。
裕太は船首。奴はそこが定位置だ。好奇心が人一倍旺盛な、あいつらしいポジションだ。
翔一はキャビン。だぶん読書だろう。持ってきた小説を何度も何度も読み返している。
僕はコクピットデッキに座って、海の音を聞いていた。太平洋上での航海を振り返りながら…。
ふと、白人の少年が親しげに話しかけてきた。小学低学年くらいだろうか。水兵さんのセーラー服を着ている。
どうやら祖父母と一緒に、クルーザーで遊びにきているらしい。
東洋人が珍しかったのだろう。僕も片言の英語で応じた。
「We have crossed Pacific Ocean.」(太平洋を渡ってきたんだよ。)
その言葉は、少年の好奇心に火をつけたようだ。興奮したように、いろいろと尋ねてくる。
慣れない英語の質問に、何と答えていいか分からない。ジェスチャーも交えて一生懸命伝えようとしている。
残念だ。理解できない。
ラジオから流れるニュースで分かったことだが、ワシントン州のセントヘレンズ火山が大噴火したという。
少年は「そのニュースは知っているか?」と聞いていたようだった。
しきりに「ボルキャノ!(火山)」と言っていたことを思い出したのだ。
僕たちの会話を聞いていた裕太がからかう。
「英希。そんな程度の英語力だと、先が思いやられるな。」
自分は何も話せないくせに、無責任な言葉を平気で発するのは奴のクセだ。
ジャックと名乗ったその少年とは、すっかり打ち解けた。
ジャックはとても人懐こい少年だった。日本のことも、とても興味があるようだ。
何かお菓子でもあげたいところだが、残念ながら何もない。
子供は大抵甘いものが好きだ。それは世界共通のはずだ。そこで、僕はキャビンから、ゆで小豆の缶詰を持ち出して開けた。
皿に少し分けて、スプーンを渡す。最初は不思議そうに、恐る恐る口に入れたが、「デリシャス!」と言って喜んでくれた。
ジャックとの触れ合いは、僕たちに癒しをもたらしてくれた。会話自体はあまり通じないが、人間同士だ。何とかコミュニケートできるものだ。
15時15分になった。日本時間で7時15分。城田先生との定時交信の時間である。
昨日の交信で、翌日にはアメリカ大陸に到着することを伝えていた。
ビクトリア寄港を報告すると、城田先生は「Great!」と言って喜んでくれた。
ふと見ると、桟橋をこちらに歩いてやってくる白人男性を見つけた。片手にカメラを持っている。
「Hi!」「Hello.」軽い挨拶を交わす。
どうやら地元の新聞記者らしい。入管管理官から「太平洋をヨットで渡ってきた日本人が停泊している」などという情報を聞いたようだ。
「Your sail boat(ヨットのこと)is very cool!」確かにそう聞こえた。「cool」は英語で「かっこいい」と聞いたことがある。ホライズン号を誉めてくれたのだ。
「Thank you. This sail boat we made. 」通じるか?このヨットは僕たちが作ったんだ。
「Amazing!」彼はそう言った。きっと驚いたに違いない。
僕たちは彼にインタビューを受けて、写真を何枚か撮った。その間、ジャックはニコニコしながら、その様子を見ていた。
カナダ人の記者は、デュバルと名乗った。僕たちと同じ髭だらけだ。かっぷくのいい体格と、まるメガネをかけた姿は、いかにも新聞記者ということを伺わせる。
デュバルは親切にも、「シャワーを浴びたくないか?」と聞いてきた。
僕たちは、一瞬顔を見合わせて「Sure!」(もちろん)と答えた。どうやら、デュバルの家のシャワーを使わせてくれるらしい。
僕たちはジャックと別れて、デュバルの車に3人とも乗せてもらい、アパートに向かった。独身のようだ。
実に50日ぶりのシャワーだった。当然だが、1回の石鹸では泡が立たない。2回、3回…。やっと体や髪の毛に泡が立つ。それだけ汚れていたのだろうか。
3人ともそんな調子だから、かなりの時間を要した。
だが、洗い終わった後の爽快感はたまらない。何という清々しさだろう。
デュバルはさらに、「食事に行こう!」と言い出した。どうやら僕たちのことを心から気に入ってれたようだ。
「What do you want to eat?」(何が食べたいんだい?)ディバルが僕たちに聞く。
答えは決まっている。もちろん肉だ。
僕たちは3人とも「ステーキ!」と答えた。
彼は笑いながら「OK!」と言って、レストランに連れて行ってくれた。
航海中は、新鮮な肉など食べることができなかった。食料として積んでいないから当たり前だ。
魚や缶詰ばかりの食事をしてきた。
レアのステーキが、すこぶるうまい。3人ともあっという間に、300gのステーキを平らげた。
50日ぶりの肉に舌鼓を打ち、堪能した。
サラダやパン。何もかもが美味しい。最高のディナーになった。
デュバルは港まで送ってくれた。「明日の新聞を楽しみにしてなよ。」そんな意味の言葉を投げかけて。
僕たちは暗くなったホライズンのキャビンの中で、言葉も軽く、今日の出来事を振り返り話し合った。
「ヨットのご夫婦、デュバル、ジャック。人の暖かさや優しさは万国共通なんだな。」翔一がぼそっと呟いた。
「そうだな。俺もそう思うよ。」裕太が同調する。
そうだ。僕たちが出会う人たちは、本当に心優しい人たちばかりだ。
この夢追いかける過程で、様々な人にご縁というものをもらっている。
僕は城田先生がいつか、ドルフィン号の上で話してくれたことを思い出していた。
「がんばる人、一生懸命な人、明るい人、前向きな人には不思議とそんな人が集まるものなんだよ。」
あの時、城田先生は僕たちにそう教えてくれた。
その言葉を噛みしめながら、僕は寝袋の中で眠りについた。
〜つづく
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