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【第16話】水平線と太陽と 『彼方なる南十字星』

日本の高度成長期。自作ヨットを操り、命がけで太平洋を渡り、南十字星を見に行った3人の若者の実話にもとづく冒険物語。***


ヨットの工程は、最終コーナーに差し掛かろうとしていた。

次は、船内のバルクヘッド(隔壁)と、ドッグハウスと呼ばれるキャビンの屋根の製作だ。この頃になると、明石ヨット造船で頑張って働いてきた経験が役に立ってきた。

ドックハウスが完成し、キャビンの内装工事に入った。キャビンは、いわば居住空間である。好きな大工仕事でもあり、実に楽しかった。

ドックハウスにはFRPを貼った。大きな波で水しぶきを受けた時に、防水効果を発揮するためだ。また、強度を増す効果もあった。

いよいよ、エンジンを据え付ける時がきた。ヤンマーの2LKという機種だ。新古品だったから比較的安価で手に入った。とはいえ、航海中に止まるようなエンジンでは困る。シャフトやスクリューなどを含めると、30万円かかった。

船に必要な舵やマストを支える金具、艤装品は鉄工所にステンレスで製作してもらい自分で取り付けた。

この小屋を建ててからやがて3年だ。

夕方仕事が終わってから2、3時間。そして毎週日曜日。裕太も翔一も、そして僕も本当に頑張った。


3人で貯めた700万円は、これまでのヨットの材料代や航海の資金となる。マストやその他の装備品に450万円かかった。

ヨットの命である帆(セール)は、城田先生がプレゼントしてくれた。城田先生は熊本から、いつも僕たちを見守ってくださったのだ。
セールはその当時のお金で、70万円ほどしたと思う。ずっと応援していただいている城田先生には、感謝の言葉もない。

メインマストは、アルミ製を製作している大阪の船具会社からパーツを買い、工場の片隅をお借りして自分たちで取り付けた。
大阪でドライバーをしていた裕太が、会社の大型トラックを借りてきてくれ、みんなで高砂の製造ドックまで運んだ。

いよいよ完成が間近になった。


船名と船体の色を決めることになった。ヨットの全体イメージを決定づける大切な工程だ。日曜日、小屋の中で3人で話し合った。

「裕太と翔一には、申し訳ないけど船名とイメージカラーは決めているんだ。」
僕が切り出すと、

「全く考えてなかったよ。造るのに必死だったしね。」と翔一が言う。

「やっぱり、俺たちの想いを込めたいよな。」裕太の発言は、いつもポジティブだ。

「船体カラーは赤。船名は、ホライズンにしたい。」僕は思い切って二人に言った。

ホライズン…水平線。航海に出ると、周りは水平線だらけだ。どこまで行ってもいつまで行っても水平線にはたどり着けない。ホライズン号は、その水平線に浮かぶ真っ赤な太陽だ。

朝日が上がる時、夕日が沈む時、いつでもホライズン号は水平線に浮かぶ太陽であり続けたい。

二人に対して、僕は熱い想いを語った。二人は頷きながら、僕の言葉を噛み締めてくれていたようだ。

二人とも、「賛成だ」と言ってくれた。ようし決まった。

それからは、3人で船体を赤のイメージに塗装していった。最後に、船首両面に「HORIZON」と白い文字で書き入れた。


進水式の日が決まった。ホライズン号は試運転を待つばかりだ。

マストを据え付ける。大型クレーンでヨット本体を海に浮かべてから、マストを吊り上げ、デッキに立ててステイ類(支えるワイヤー)を船首、船尾、左右両舷に張りターンバックルで調整して固定する。

進水式セレモニーの準備もしなくてはならない。

たくさんの友人、知人、お手伝いして下さった多くのお世話になった人達。東京からも同級生や、次兄も来る。熊本からは長兄も来てくれる。

この日を、どれだけ待ったことだろう。
熊本の地元新聞に、高校生の夢という見出しで大きく載ってから、8年が経った!

これから一年かけて、ヨット操船の訓練、航海術のマスター、練習航海、等々
やらなくてはならないことが山積している。

航海計画はこれで大丈夫なのか?忘れてることはないのか?食料計画は?真水の積載量は足りるのか?次から次へと、不安と疑問が押し寄せてくる。

俺はこんなに未熟だったのか?何一つ、自信のある答えが出せないのだ。


進水式の朝を迎えた。3年間ヨットを建造した小屋の屋根を撤去して、船を上に引き上げる準備を済ませている。

ひとり、ヨットの前に佇んで見上げる。この3年間が走馬灯のように駆け巡る。苦しかった。愉しかった。そして、ひたすら造船に向き合った。そんな3年間だった。

ホライズン号は、真っ赤な船体に2本の白いラインを横に走らせていた。

そう、ドルフィン号の船体に描かれていた白いラインのように。ホライズン号の2本のホワイトラインも妙に堂々としている。

「よろしくな。」ホライズン号に呼びかけた。

ところで、僕たち3人は皆髭を蓄えていた。かつて世界中を大きな帆船で駆け巡った海賊たちの、髭だらけの顔に憧れていたのだろう。
裕太と翔一は口髭だけだったが、僕はもみあげから、顎、口元に至るまで髭だらけだ。

ヨットが浸水する前に、小型船舶操縦士の免許を取得しておかなければならなかった。そのため僕は神戸市内に講習を受けに行った。

裕太と翔一が来た。

これまで僕たち3人は、夢を追いかけていく過程で様々なことを対等に話し合い、決めてきた。ところが航海となると話は違う。とっさの判断、決断をしなければならない。3人のクルーといえど、船長が必要なのは言うまでもない。

この夢を追いかけていく中で、僕は常に先頭に立って進んできた自負もあった。だから裕太も翔一も、きっと僕がリーダーだと、認めてくれているのではないだろうか?僕は2人に切り出した。

「長い航海になる。生死を分ける決断を咄嗟にすることもあるだろう。だから船長を決めておきたい。俺に任せてもらえないだろうか?」

「初めからそのつもりだったけど…」と翔一。

「この夢はお前なしでは成し遂げられないと、俺は思っている。お前にならこの命、預けられる。」裕太の言葉に僕は震えた。

こうして僕が船長になった訳だが、航海中に船長の重責をとことん味わうことを僕はこの時点では、全く知る由もなかった。

〜第16話「水平線と太陽と」完  次回「進水式のお別れ」

髭号写真

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