依存のキズと自己の確立に関する一考察

傷つきやすい人、感傷的な性格を有している人はともかく依存傾向が強いと我ながら実感的に思うところがある。

何かにすがっていないと自分を保つ事が出来ないように感じるからなのかもしれない。その様なことをこの頃思うわけである。

そういう心情のある人はさぞや生きづらいことなのだろうと想像する。これは自分にも当てはまることであるので強く実感が持てるところなのである。

依存症の名称を軽く取り上げるならば以下のようなものがあろう。お酒、たばこ、ギャンブル、セックス、麻薬といった物的な依存があるものだと思われるのだが、それらに手を染めてしまう人の心理と言うのは次のようなものなのではないだろうか?

生きることに飢えている、心の渇きがある状態にあると私は考えるわけである。心の渇きなのである。

つまりは、心が満たされていない状態が原因でそれの穴埋めとしての役割に依存物質の存在がある様に思われるのだ。

だから、お酒やタバコなどの依存傾向に走りやすい物質は、心の不満足感が大きな原因として考えられると筆者は感ずるのだ。

原因がわかるのであれば、その対処法、課題解決策までの流れまでの道順まで示すことが可能であるはず。


従ってどのようにして心の渇きを満たすことができるのか?という問いを立て、その解決策を次に提示していきたいと思う。


心が満たされないという感情をヒトは誰しも感じたことはあるのではないだろうか?

例えば、どうも心が満たされないつまりは、何か生きている実感がないというか何というか心が躍らない日々を過ごすときにこの心の不満足感を漂わせる事が多いように思うのだ。その無気力に似た感覚のことである。

では一体何が原因でそうなるのだろうか?

1番は自分の存在という軸を確定させていないことに問題を見ることができようと思う。

自分とは何か?という問題である。

自分は一体何をしたいのか、自分は何者であるか、何をクリエイトし人を喜ばせたいのか、これらの問いについて自分自身のことを自分のあたまで考えていないのである。

それ故、心がどこか空洞化して虚しい感じになり結果として心の満たされない形として表れてくるのだと思われる。

だから、先ずは自分を確定させることが第一課題として取り上げることができる。

自分とは何かを考える際の考えるヒントとしては、個人的には自分の好きなこと、得意なこと、そして面白いと感じることの3点の要素を考慮に入れて検討してみることをオススメしたい。

例を上げると、自分は絵を描くのが好きで、中学高校は美術部に属して6年間の絵描きの経験があるとすると、イラストレーターとしての道を歩んでいった方がその人自身の人生も幸福な生き方が出来るものだと思われる。

歌が好きでカラオケで何時間も歌い続けることが苦でも何なく、しかも得意なのであれば歌い手を自分の生業として自分の人生を切り開いていくようにするといった形で、真の自分になることを目指し、想像力を働かせて自分を創造するのである。

それが自分の軸を確実とするための最良の方法であると私は考えるわけである。自分の一生の人生を大切にするというのは真っ先に自分の時間について考えることにあるのだ。

そしてこの時間を如何にして幸福に過ごすことに活用できるかにかかっている。それを探す旅のことを「自分探し」と呼ぶのだろう。

自分のしたいという思いに忠実にあり続け、それをひたむきに取り組むことが賢明。これによって心は満たされ生きる活力になるものだと筆者は考える。

そのためにも、自分のために愛そう、そしてその愛を他の人に分かち合うことに懸命になることが社会貢献につながると思う。

それが生きることの本質であり、愛することなのだと感じる。この事をどうか心の内側に留めておきたいものである。

他の物質依存に陥るのではなく自分のやりたいことに全力を注ぎ無駄のない人生を送ろう!

そして日本のため、人のためになることを自分にできる事は何かを考えてそれを実行していきましょう!そこに未来の光があるから。


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