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他者をめぐって 柄谷行人『意識と自然——漱石試論』について

世間の掟と自然

 柄谷は『それから』において代助が友人のために譲った女性を奪いかえすときに口にした「世間の掟」と「自然」という言葉に着目し、次のように述べる。

 ここに漱石が『虞美人草』以来長編小説の骨格にすえた「哲学」が端的に示されている。人間の「自然」は社会の掟(規範)と背立すること、人間はこの「自然」を抑圧し無視して生きているがそれによって自らを荒廃させてしまうほかないこと、代助が言っているのはこういうことだ。

 ここで漱石・柄谷は「自然」という言葉をきわめて多義的に用いており、この「自然」には存在や実存や精神や本能や自由といったさまざまな言葉が代入可能である。仮にここに倫理という言葉を代入して読むなら、社会の掟と倫理とは背立するものであり、人間は倫理を抑圧し無視して生きているゆえにみずからを荒廃させてしまうほかない、と読みかえることができる。これは具体的にはどういうことだろうか。『それから』の代助が述べる「自然」は一種の規範性のあるもののように見えるが、柄谷によると、漱石はこの弁説の背後に邪悪な<自然>をものぞき見ているのだという。用語が重複しているためややこしくなるが、ここでいわれている「自然」と<自然>は別のものだ。前者の「自然」が倫理的なものであるのに対し、後者の<自然>はむしろ社会の掟(規範)に属し倫理的にみれば邪悪なものだといえる。漱石は明治三十八年から三十九年にかけて書かれた断片のなかで「二個の者が same space ヲ occupy スル訳には行かぬ。甲が乙を追い払うか、乙が甲をはき除けるか二法あるのみぢや。甲でも乙でも構わぬ強い方が勝つのぢや」と書きつけている。この断片を拾って柄谷はこう考える。

彼(漱石)は人間と人間の関係を、どんな抽象(観念)的な媒介によってもみていないので、肉体的な空間(space)においてむき出しにされた裸形の関係としてみているのである。 『夢十夜』の第三夜に、盲目の子供を背負って歩いていると、百年前に お前はおれを殺したなといわれ、そういうことがあったなと思い出した途端、背中の子供が重くなるという話がある。もしこれが「原罪」的なものを暗示しているのだとすれば、漱石が「原罪」を、背中の子供をかつて殺し今度はその子供が石地蔵のように重くなって彼を圧迫するというような、きわめて肉感的なイメージによってとらえているのである。
漱石は人間と人間の関係を意識と意識の関係としてみるよりも、まず互いが同じ空間を占めようとして占めることができないというふうな、なまなましい肉感として、いいかえれば存在論的な側面において感受していたのだ。(中略)漱石の生をたえず危機に追いこんでいたのは、彼自身の存在の縮小感である。おそらくこれは自意識の問題ではなく、また彼の意識はこういう存在の縮小感のもとでどうすることもできなかったのである。 

 ここで言われている「裸形の関係」とはわかりやすくいえば相撲のようなもので、二人の力士がぶつかりあって弱い方が追い払われるといった力関係のことを指している。漱石が胃潰瘍の末に命を落とすまでの四十九年間を生き抜いた以上、彼には他者を追い払いはき除いてきたという実感があったはずだ。だからこの文脈で「原罪」という言葉が現れるのである。また、柄谷がいう「存在論」とは<自然>において人は自分が追い出されるか他者を追い出すか二つに一つでしかないという在り方のことであり、こういう在り方をしている以上、負けるかもしれないという「存在の縮小感」からは逃げられない。おおよそ漱石の存在感覚とはこのようなものだったのである。


読むことに畏怖する

 漱石はよく二十世紀の知識人を描いたと言われる。なるほどそうなのかもしれない。しかしそれは表面的な次元の話でしかない。漱石はただ「自然」と<自然>の間に広がるグロテスクなクレヴァスを覗き、人は「自然」を抑えて<自然>に従って生きるほかないが、それゆえにみずからを荒廃させてしまうほかないという、存在が抱える根本的な矛盾を表現しようとして苦しんだのである。その結果、彼の作品――特に長編小説においては主題が二重に分裂し、はなはだしい場合にはそれらが別個に無関係に展開するという事態を招いたのである。柄谷はこの事態を分析して「たとえば『門』の宗助の参禅は彼の罪感情とは無縁であり、『行人』は「Hからの手紙」の部分と明らかに断絶している。また『こころ』の先生の自殺も罪の意識と結びつけるには不十分な唐突ななにかがある」と書きつけている。この「罪の意識と結びつけるには不十分な唐突ななにか」は容易には表現することができない。漱石もついにこれを表現することができなかった。それは客観化することも相対化することもできずに存在を毒するグロテスクなものなのである。漱石を読むとは、彼が犯された毒にみずからを浸して一緒に苦しむ経験なのだ。つまり、意識では倫理的義(『野分』)を求め道徳的に振る舞いたいと願うにもかかわらず「存在の縮小感」に脅迫されながら他者を追い払うようにしてしか在ることができないという、自分ではどうにもできない意識と存在との乖離を覗きこむ経験なのである。この乖離を解消するためには命がけの飛躍が必要だが、それがどのように実現されうるのか漱石・柄谷は答えていない。この論考が答えに辿りつけるか、それはわからない。漱石や柄谷が描いたのとは別の軌道を描いた末に的を外して虚空に消えていくほかないのかもしれない。最終的に漱石や柄谷を襲った乖離に犯されて苦悶の末に筆を置くことになるのかもしれない。それは恐ろしい可能性にちがいないが、しかし、書のなかに自分自身の分裂を見出して読むことに畏怖する、そういう姿勢でなされたものが初めて批評になるのではないだろうか。


稀薄な現実

 初期の柄谷は漱石を論じる文脈で次のような図式をくり返し描いて考察している。それは対象化できる私(外から見た私)と対象化できぬ「私」(内から見た「私」)の乖離という図式である。対象化できる私とは端的には容姿や経歴や能力といった他人の目に映り外から評価することのできる私のことを指す。反対に対象化できぬ「私」とは他人の目には映ることのない内面の「私」を指す。たとえば漱石の重要な仕事として柄谷が取り上げた『坑夫』の「自分」は「ものを知覚しているが、どうもそれが現実のように感じられず、自分も明らかに自分なのだが、自分自身のように感じられない」のだという。柄谷によれば「私が『いまここに』あることと、次に私が『いまここに』あるということの間にいかなる同一性も連続性も感じられぬ心的な状態を語っている」のが『坑夫』なのだという。ここで漱石が問題にしているのは、外面的には昨日とおなじ一人の人間に見える「私」が、その内面では昨日と今日とで自分がおなじ自分だとは思えないと感じているというものである。別人がおなじ皮だけ纏っているような奇妙な感覚が漱石にはあったのだ。このような現実感を稀薄にしか感受できない感性は漱石に固有の問題ではなく、『内面への道と外界への道』のなかで柄谷自身の感覚でもあると吐露されている(「率直にいえば、私自身にも現実感はほとんど稀薄である」)。他者が私を評価するように、「私」はある対象に対して知覚を通して評価を下す。というより、対象的知覚を統覚するもののことをここで「私」と呼んでいるのだが、柄谷・漱石が置かれた状態は「私」の同一性、連続性が絶たれており、その結果、外界に対して批評したり反省したりすることはできるのに、それらの現実を現実のように感じられず、自分自身のことすら自分のようには感じられず、テレビのなかの登場人物を眺めるようにしか見ることができなくなっているというものなのである。この状態は対象的知覚そのものを変容させ、妄想を生じさせる。「漱石の迫害妄想は、対象化しえぬ「私」の次元における縮小感が外界の他者を迫害者のように変容させた」ために引き起こされていると柄谷はいう。どんなに他者を求めても、他者の代わりに迫害者という実態のない妄想しか現れないという「存在論的」問題の渦中で苦しんだのが漱石なのである。柄谷はこの事態を「他者に対して根源的な関係性が絶たれている」と表現する。
 「私」の非連続感のために他者は迫害者のようにしか感じられず、根源的な関係性は絶たれている。彼(漱石)は命がけの飛躍を試みることで「私」の連続感を取り戻し他者と出会うことを渇望しているが、彼が求めれば求めるほど他者は遠ざかってしまう。他者に出会えるかどうかは本人の努力ではどうしようもない次元の話で、それは外からやってくる「促し」(「心理を超えたものの影」)が彼に到来するか否かにかかっている。
 幸運にも『坑夫』の「自分」は地底において「安さん」という他者と出会うことに成功するのだが、彼は「二十三の時に、ある女と親しくなって――詳しい話はしないが、それが基で容易ならん罪を犯した。罪を犯して気が附いて見ると、もう社会に容れられない身体になってゐた」という男であり、つまり「安さん」とは『それから』の代助や『門』の宗助、『こゝろ』の先生とおなじような人物なのである。漱石的登場人物として考えれば「自分」と「安さん」は分身の関係にある。異質な他者ではなく自分の半身なのだ。そのような者との出会いは果たして本当に他者との出会いと言えるだろうか。柄谷はキルケゴールを引用して「自分自身によって、それもひとえに自分自身だけによって、絶望を取りのぞこうとするならば、彼はやはり絶望のうちにある」と書いている。「自分」が出会ったのは「安さん」という他者というよりは自分の半身であり、『坑夫』においてはまだ異質な他者は現れていないと言わざるをえない。異質な他者とはたとえば『こゝろ』における先生にとっての奥さんのような存在のことを言うのではないだろうか。


自殺するよりなお恐ろしいこと

 柄谷によれば『こゝろ』の隠された主題とは自殺なのだという。作中において先生の自殺は友人を裏切ったという罪感情や明治が終わったという終末感と結びつけて描かれているが、それらは作品を覆う暗さや先生の自殺決行に匹敵しないと柄谷は言う。では先生はなぜ自殺したのだろうか。

先生はKの自殺が恋愛問題によるかどうかをのちになって疑っている。同じように、先生の自殺も、友人Kを死なしめた罪悪感からではないといえるのである。したがって『こゝろ』は人間のエゴイズムとエゴイズムの確執などというテーマとは実は無縁である。漱石が凝視していたのは、依然として「正体の知れないもの」なのであって、さもなければ先生が奥さんに対して冷淡であったこと、奥さんをおいて自殺したことは、またしてもエゴイズムであると非難されねばならないはずだ。

 「正体の知れないもの」とは「私」の非連続感のために他者は迫害者のようにしか感じられず、根源的な関係性を絶たれ淋しさに襲われているという状態を指す。先生もKもこの淋しさのために命を落としたというのが柄谷の読みである。「正体の知れないもの」の解決として先生が選んだ手段は自殺だった。もし先生が自殺のほかに「正体の知れないもの」を解決できたとしたら、それは奥さんとの関係をおいてほかにない。迫害者のように感じられる異質な他者を凝視することではじめて見えてくる己れの姿がある。解決はそこにしかないのだ。先生は「正体の知れないもの」の苦しさを奥さんに告白することができた。もちろん、その告白とは「身を裂くような、そして、それを書きつけたなら紙が燃え上がるような行為」だったにはちがいない。先生は誠実にも「理解させる手段があるのに、理解させる勇気が出せないのだと思うと、悲しかったのです」と表明している。先生が告白しようとしたことに嘘はないだろう。実際にその直前まで行ったことを私は疑わない。しかし、告白とは本人の意思でなしうるようなものではなく、外からやってくる「促し」に支えられて初めて実現するものなのだ。先生の場合、外からやってくる「促し」がありうるとすればそれは奥さんとの関係をおいてほかになかったはずだが、先生にはついに最期までその機会が訪れることはなかった。先生は奥さんという異質な他者と出会い損ねてしまったのである。人間は自殺する勇気は持ちえても告白する勇気は持ちえないのだ。みずからを変容させ身体が燃え上がるような異和に襲われることを予感し、畏怖したのである。先生はその畏怖の前に手をついて自殺した。先生にとって告白は自殺よりもなお怖ろしいものだったのである。
 『こゝろ』においてついに断念されざるをえなかった他者の問題は、後につづく『道草』でより発展したかたちで追いかけられている。それが如実に現れているのが『道草』の次のくだりで、健三が散歩をしていると「帽子を被らない男」に出会い、それによってある不安な感情を抱くという場面である。この男は健三の養父で、後に彼に金をせびりにくる島田であるのだが、柄谷は健三が出会ったのが島田ではなくあくまで「帽子を被らない男」だった点に注意を促す。養父の問題は金で片づく事務的な問題に過ぎないが、「帽子を被らない男」がもたらす不安はそのような方法では片づかない性質のものだった。この不安のなかに柄谷は「裸形の人間としての不安」を見出す。この不安とは具体的には「おまえは何者か、どこから来てどこへ行くのか」という実存を問う不安な問いである。このような問いを発する「帽子を被らない男」とは漱石にとって異質な他者だった。この異質な他者とは、島田が「帽子を被った男」ではないのと同様に島田のことではない。漱石は『道草』においては固有名を持った他者を描くことができなかったのである。それでも『こゝろ』において先生が怖れついには直視できなかった他者の片鱗がここには現れている。片鱗とはいえ他者の影を捉えたことにより、『道草』ではそれまでの漱石の長編小説に生じていた作品が二重に分裂してしまう事態を回避することに成功している。これは小さなようで大きな一歩である。
 この一歩は何によって可能になったのか。それは「自然」の非情な眼だ。

彼は彼自身を、「何の為に生きてゐるのか」わからぬような他者たちと対等な存在として考えるほかないのだ。そして、「自然」のこういう非情な平等性を見出したとき、彼ははじめて周囲の他者を平等な存在としてみとめたのである。それは「人間の平等」というような空想的な観念から来たものではない。『道草』を可能にしたのは、いいかえれば知識人漱石の徹底的な相対化を可能にしたのは、こういう「自然」の非情な眼を所有しえたことによってである。

 「自然」の非情な眼を所有するに至ってはじめて漱石の視野に「何の為に生きてゐるのか」わからぬような他者が現れた。これによって異質な他者と出会う可能性がひらかれたのである。しかし、『道草』では他者との出会いは対象の存在しない独特な恐怖心へと変換されてしまう。これによって『道草』では他者との決定的な出会いは訪れずに終わってしまうのだが、未完の遺作『明暗』においてこの探究は結実する。


他者をめぐる可能性

 『道草』においては「帽子を被らない男」という固有名を持たない存在だった異質な他者は、『明暗』においてはお延や小林といった具体的な存在として現れ、ダイアレクティカルな会話をくり広げる。これは漱石のそれまでの作品にはなかった特徴である。『道草』以前の漱石作品の登場人物は、代助にせよ宗人にせよ先生にせよ、みな大なり小なり漱石の分身であるような知識人と、それ以外の大衆的人物とに二分されていたが、健三は周囲に配置された「頑固な他者」によって相対化されており、『明暗』にいたってすでに大衆と知識人という断層はとりはらわれてしまっている。柄谷によれば「『明暗』は『道草』を通過してのみ可能な世界である」。津田を含め、彼の妻(お延)や妹(お秀)、吉川夫人、小林といった人物はとくにインテリというわけでもないのに、きわめて論理的に語る。このような人物が明治・大正の時代に実在したとは思えず、『明暗』はその世界が当時の生活意識の状態から見れば明らかに抽象物だが、作り物という感触が払拭されている。それは漱石が世にいわれる「近代人」を描いた作家だからではなく、普遍的な実質を描こうとしたからだ。いいかえればただ人間を描こうとして苦しんだのである。人間とは何か。それは「真実」を語る者たちのことだ。柄谷は言う。

 小林のことばがつねに自虐的なアイロニーにみちているのは、「真実」をお秀のような理論家のように語ることができないからである。恥ずかしい進退窮まった地点からしか「真実」を語ることはできはしない、そうでない真実などは贅沢な連中の頭のなかにつまっている知識にすぎないのだ。お延をもっとも理解していたのはおそらく小林であって、彼女もまた自尊心をかなぐりすてて「頭を下げて憐れみを乞うような見苦しい真似」をあえてやるにいたったのである。

 『こゝろ』の先生は自殺はできても告白することはできなかった。しかし「恥ずかしい進退窮まった地点」にいて先生のような余裕とは無縁の小林は情けなく涙を流しながらも訥々と真実を語っている。先生の真面目さより小林の滑稽さの方が何歩も先を行っていたのだ。お延も小林のように「頭を下げて憐れみを乞うような見苦しい真似」におよぶことで真実を語っている。津田や先生のような知識人がどれだけに立派に見えようと、小林やお延のような見苦しい者の見苦しさの方がずっと真実に肉薄し、真実を語りうるのである。
 漱石が異質な他者との出会いを視野に捉えるようになったのは、『道草』において「自然」の非情な眼を所有し、自分自身を相対的に見ることに成功したからである。では、柄谷・漱石は「自然」の非情な眼を持つように呼びかけているのだろうか。『畏怖する人間』を通して読んでもその答えには辿りつけない。また、どのような経験を通して漱石がそのような眼を持つにいたったのかも謎のままである。あるいは答えは暗闇のなかにあるのかもしれないが、その暗闇を照らすサーチ・ライトのようなものは現代の私たちには失われてしまっている。しかし晩年の漱石を参考にして次のようには言いうるかもしれない。自分自身の内面と外面との間に開いた乖離に向けていた眼を「何の為に生きてゐるのか」わからぬような他者に転じて彼らとおなじ顔をした己れを見出したとき、他者と己れとの関係の間に「促し」(「心理を超えたものの影」)が斜めに兆すことがあるかもしれない。他者をめぐるそのような可能性に賭けるとき、人は自殺するよりもなお怖ろしい告白を実践し真実を語りうるのである、と。

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