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「痴人の愛」谷崎潤一郎著:図書館司書の短編小説紹介

 少女を引き取り、自分の理想通りの女性に仕立て上げる。女権論者からすれば、発狂ものの筋書きである本作。
 そういった支配欲というか、いびつな父性愛というか、その種のものを持っていない(と思う)私には、二十八歳の主人公河合譲治の言動に感情移入することはできなかったが、一風変わった恋愛劇について興味深く読むことができた。
 カフェのウェイトレスとして働いていた十五歳のナオミは、その名の通り顔立ちも西洋的であったと描写される。
 が、「ナオミ」はそれほど西洋的であろうか。確かにナオミ・キャンベルというモデルもいるけれど、私はその名の欧米女性を他に知らない。
 そこで調べてみると、「ナオミ」という名は旧約聖書中にあり、聖書由来の名を付けることの多い欧米諸国では、わりと一般的な名前ではあるらしい。
 ともあれ、河合はカフェでナオミを見初め、「殺風景な生活に一点の色彩を添え」るために彼女を引き取り、朝夕その発育のさまをみたいとの気持ちを募らせていく。変態だ。
 ナオミの家庭にはとうに父がなく、母親の下、多くの兄弟姉妹があった。その母は、ナオミを芸者にしたかったのだが、本人の気持ちが進まないのでカフェで働かせていたという。少々持て余している様子だった。
 となれば、誰かがその身を引き取って、立派に成人させてくれるのなら、それこそ願ったり叶ったりで、河合は首尾よくナオミとの暮らしを始めることができた。
 ナオミが望むように英語を習わしたり、ダンス教室に通わせたり、好きな服を好きなだけ買い与えたりと、河合は彼女をただただ甘やかす。
 果ては一緒に入浴してその体を洗ったり、馬の真似をしてナオミを背中に乗せたりと、その愛情は溺愛の域に達していた。
 こうした生活を続ける中、二人はなし崩し的に夫婦となったが、ナオミの放埓な振る舞いは度を越してゆき、奢侈なダンス仲間との付き合いや着道楽、美食趣味により河合がやり繰りしていた家計は破綻に瀕する。
 その上ナオミは数知れない男とただれた関係を持つようになっており、その筋の人々にはひどいあだ名が付けられていたという。
 作中でそのあだ名は明らかにされないが、本作の解説者の中には、それは「公衆便所」だと推定している人もあった。これ以上ないひどい名だが、ナオミの生活を見るにさもありなんという思いがしてくる。
 そうと知った河合は、さすがにこれ以上結婚生活を続けるのは無理だと思い決めて別れを切り出した。
 ここで終われば、自身の欲望のままに明け暮らしたナオミこそが「痴人」だと思ったかもしれない。
 けれど、痴人はやはり河合の方だった。
 彼はナオミの、特に肉体を忘れ得ず、ヒステリーを起こすまでになる。そして、別離の後にも折に触れて荷物を取りにやって来る彼女に再び悩殺されてゆき、結局は馬となって彼女を背に乗せる生活に戻ってしまった。
 自分の思い通りの女性に育てるつもりが、その女性にとって理想的なほど都合のいい男として教育されてしまっていたのだ。
 彼は作品の末尾において、「馬鹿々々しいと思う人は笑って下さい」と読者に語り掛ける。自身でも愚かだと自覚しているのに、ナオミの魅力に囚われ痴人とされてしまっているのだ。
 自虐で締められるこの物語に河合への呆れ、憐み、軽蔑等々、どの感情を読者は持つだろうか。
 それ以外に、女性にいいように扱われたいと思う被虐思考の持ち主もいるかもしれない。私のように。
本作を読んで、あるいは自分はマゾなのか、と思った次第。

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