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本が返って来た時:氷河期随想

日常の中で、ふと過去のことを思い出すことがある。
今回は中学生の時に友人に貸した本の話。

当時、『101回目のプロポーズ』が全国的な人気ドラマとなった。最大視聴率が36.7%というのだから、相当な人気だ。
もちろん私も好きで、ただドラマを見るだけでは満足できず、小説化された本も手に入れた。
それを学校で読んでいると、友人Aが興味を持ち、「貸して欲しい」と言って来た。
私は、内容は既にドラマで見て結末を知っていたので、「いいよ」とすぐに彼にそれを渡した。
それから二週間くらい経っただろうか。本はまだ返って来ていなかった。
だから、私はAに「本は読み終わった?」と訊いてみた。
すると彼は、「ああ、Bが貸して欲しいって言うから今はあいつが持ってるよ」と答えた。
そこで「ん?」と思った。
でも、AとBと私とは小学校の時からの友人同士なので、それほどこだわらなかった。

そこから二週間ほど経ち、今度はBに「本を返して欲しいのだけど」と言うと、彼は「あれ、お前の本だったの?今Cが持ってるよ」と答えた。
「んん?」と思った。
Cと私とは、ただクラスが一緒なだけで、ろくに言葉を交わしたことがなかったからだ。
そこでCに、「ねえ、本は持ってる?」と訊くと、「ああ、あれ?Dが読みたいって言うから、貸したよ」との言葉が返って来た。
「んんん?」と思った。

それから本が返って来たのは半年後くらいだったと思う。
中学の時の半年って、とても長く感じる時間だ。
しかも、私に返して来たのはDではなく、E、F、G、それからHに渡り、更にIに渡ってからといった具合だった。
それだけ多くの人の手に渡ると、本は無事ではなく、本屋に付けてもらったカバーどころか、元からついていたカバーすらもなくなり、表紙や中身には得体のしれない染みが多く付着していた。
端的に言えば、ばっちくなっていたのだ。

ひどいと思った。
どうしたら人から借りた本のカバーを無くせるのか。
いや、それ以前に元の持ち手に無断で、なぜ他の人に貸そうという気持ちになるのか。

あれから数十年経った今でもわからない。
借りたものをぞんざいに扱う神経が理解できない。
それこそ、単に無神経なだけなのか。
といって、特に怒っているわけでもない。
ただただ不可解な気持ちでいるだけだ。


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