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編集担当者に聞きました! 河出の翻訳書づくりの裏側をのぞいてみませんか。翻訳編集という仕事、ハプニング、苦労……and more

今年の「#読書の秋2021」感想文コンテストに、「海外文学しばり」で参加中です。
河出の課題図書は、2021年に刊行された以下の翻訳書5点。

『短くて恐ろしいフィルの時代』ジョージ・ソーンダーズ著/岸本佐知子訳
『サワー・ハート』ジェニー・ザン著/小澤身和子訳
『シブヤで目覚めて』アンナ・ツィマ著/阿部賢一、須藤輝彦訳
『世界でいちばん幸せな男』エディ・ジェイク著/金原瑞人訳
『蛇の言葉を話した男』アンドルス・キヴィラフク著/関口涼子訳

各課題図書の編集担当に、翻訳書づくりの裏側を聞いてみました!

河出書房新社編集部
S:#蛇の言葉を話した男、#短くて恐ろしいフィルの時代 編集担当
W:#世界でいちばん幸せな男 編集担当
M:#サワー・ハート、#シブヤで目覚めて 編集担当

1.翻訳編集という仕事

──翻訳出版の流れとはどのようなものなのでしょうか?

S:まず、企画の立案は、翻訳者から提案をいただく場合、編集者が作品を探してきて訳者にお願いする場合、エージェントから紹介される場合。この3パターンがほとんどです。

M:『シブヤで目覚めて』は、元々チェコですごく話題になっていて。日本のチェコ語を専門とする界隈でも次第に注目されるようになり、訳者の阿部賢一先生から推薦いただきました。

W:ノンフィクション翻訳の界隈では年2回ほど交流会があり、そこで翻訳者、他社の編集者、エージェントと情報交換をすることもあります。
 翻訳は、正確に訳すことももちろん大事なのですが、著者が本当に言いたいことは何かを理解しながら訳してもらえるかどうかも重要です。例えば、宗教や心の問題など、概念的なものを扱うときはとても難しいですね。

──確かに、翻訳すると、元の意味と完全に同じ意味にはならない難しさがありそうです。翻訳することで失われてしまうものもあるのでしょうか。

S:翻訳でいちばん失われやすいものは「言葉遊び」でしょうか。原書の言葉遊びをすべて正確に日本語に反映することは残念ながら不可能に近いので、作品の物語的な魅力や、描かれていること、リズムやヴォイスを捉えて、うまく表現することを重視しています。
 『蛇の言葉を話した男』の場合は、「重訳」(エストニア語→フランス語→日本語)です。本来は原語から直接日本語に翻訳すべきなのですが、エストニア語の翻訳者が見つからず、幸い原語の魅力をうまく捉えたフランス語訳があったので……。
 最近は、翻訳によって残るものこそが作品の本質であるという考え方もあり、良い他国語訳を元に良い翻訳者に訳していただくということもアリだと考えています。

──質の良い作品を残していくことが翻訳出版の役割の一つなのですね。
表記の仕方も、振れ幅があるところだと思います。日本語では馴染みのない発音もありますし……。例えば、名詞のカタカナ表記はどのように決めているのでしょうか。

S:『蛇の言葉を話した男』では、著者名の日本語表記をエストニア大使館に確認しました。現地の方で日本語もわかる方となると、やはり大使館ということで。エストニアでは、3.5万部の大ベストセラー(エストニアの人口の1%が買ったことになるので、日本で言えば100万部を超える感じ)になった作品だし、自国の小説が日本で紹介されることをとても喜んでくれて、すぐに調べてくれました。

W:『世界でいちばん幸せな男』の著者エディ・ジェイク(Eddie Jaku)さんも、初めは社内で「エディー・ヤク」さん、「エディ・ジェーク」さんなど読み方が分かれていました。最終的に、訳者の金原瑞人さんとご相談し、著者出演の動画内での発音を確認して、「エディ・ジェイク」と表記することに決めました。
 エディは、ヘブライ語の愛称アディの英語読みで、ヘブライ語のフルネームはアブラハム・サロモン・ヤクボヴィッチさん。全然違いますね。

2.翻訳時のハプニング

──原書に誤植が……! ということもあるとか。明らかな間違いを見つけてしまったとき、どうするのですか?

W:そのような場合は、質問状を作って翻訳者から著者へ確認を取ることもあります。
 例えば『世界でいちばん幸せな男』では、収容所からの逃亡中、民家のシャワー室の天井にナチスの追っ手から逃れるために親友を隠す場面があるのですが、原書ではなぜか排水溝に隠れているような描写になっていて。「シャワー室の排水溝の中に三人いる状況って? マンホールのようなものがあるのだろうか?」と不思議に思って、著者のエディさんへ質問してみました。それでもはっきりとわからず、最終的にはドイツ語版を取り寄せ、ドイツ語翻訳者さんに訳していただきました。
 もしかすると住居環境が時代や地域で異なる、ということもなくはないですし……。
 結局、ドイツ語版では天井に隠れているという表現だったので、日本語版もそれに倣いました。

──シャワー室の排水溝に三人も潜伏していたら怖いですね……。

W:明らかに不自然なものや、文意が通らないものをそのまま訳すということはできないので、一つ一つ事実を確認していきます。

M:著者が亡くなっている場合はどうするのでしょう?

S:明らかにおかしい箇所については、著名な著者で、研究書や他国語訳などの資料があれば調べて突き合わせます。

W:歴史本の西暦も、何百年も違えば誤りだとはっきりしますが、本によっては数年違っているということもあります。研究者によって解釈が違うという場合もあるんです。
 そういう時は、訳者がどの解釈に準拠したのか、あとがきに説明を加えてもらうなど、補足を入れていただきます。

──本によって重要な部分が違ってきそうですね!

3.海外と日本の装幀の違い

──原書と日本版の装幀について、違いや意識することを教えてください。

W:装幀にここまで凝るのは、日本だけではないでしょうか? 他の国は原書を踏襲するスタイルが多いので、日本版だけ全然違うということも多い気がします。原書の版元に、日本の装丁者の仕事ぶりに驚かれること、喜ばれることも少なくありません。

M:『サワー・ハート』は装幀にかなりこだわりました。本書のデザインでは透ける紙をカバーに使い、表裏どちらにも印刷しています。そのうえで、裏面には地に白いインクを引くことで透け感も調整しました。カバー表と裏、そして表紙の三重に印刷が見える構造になっていることを、エージェントを通して著者に説明し、確認してもらいました。

サワー・ハート

装丁:森敬太 装画:Aki Ishibashi

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──ジャケ買いしたというコメントも見かける『サワー・ハート』の表紙。

S:装幀に関して言えば、『蛇の言葉を話した男』と今年直木賞と山本周五郎賞を受賞した『テスカポリトカ』(佐藤究著/KADOKAWA刊)は同じデザイナーです。デザイン自体は違うのですが、雰囲気に通じるものがあるので伺ったところ、同じようなテンションでやった記憶があると話していました(笑)。

蛇の言葉を話した男

装丁:川名潤

──帯があるとより似ている……?(『テスカトリポカ』はこちら:https://www.kadokawa.co.jp/product/322003000419/

S:良いデザイナーは本の内容もしっかり理解してくれて、より広い読者に届けるにはどうしたら良いかを考えてくれます。そんなこともあって、どうしても同じ方にお願いすることになってしまうのですが……。
 『短くて恐ろしいフィルの時代』は、単行本を担当されたデザイナーにお願いしました。この本は、原書が出たときに訳者の岸本佐知子さんへ翻訳してみませんかとお聞きしたところ、「実はもうオファーされています」と断られてしまったので(笑)。ぜひ河出文庫にしたいと思っていた作品です。

──装幀と内容の相性も重要ですね。イラストはどうやって決めているのでしょう?

S:イラストレーターは、デザイナーが相性の良さそうな方を選んでくれる場合が多いですね。『蛇の言葉を話した男』の表紙と扉に使われている蛇の絵は、デザイナーさんが用意してくれたものです。

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──扉の絵。表紙にも蛇の顔が使われている。

M:『シブヤで目覚めて』のイラストを担当された植田りょうたろうさんは、もともとデザイナーさんのお知り合いで。いつか一緒に仕事したいと話されていた二人の念願がかなった一冊だと聞いています。

シブヤで目覚めて

装丁:川名潤 装画:植田りょうたろう

W:タイトル決めも難しいところですね。ノンフィクションは抽象的だと意味が通じづらく、文化も文脈も異なる日本でどう名づければ、作品の魅力を伝えられるのか。いつも悩ましいです。

S:フィクションは原書と異なる良いタイトルにするのは至難の業です。ただ、本国と日本では著者の存在感や作品背景の理解度も違うので、やむなく変える場合もあります。あまり成功した記憶がないのですが。

 ──装幀もタイトルも本の顔となり、読者の出会いを担う部分。原書を尊重しつつ日本人にも親しみやすいスタイルを決めるのは編集者の腕の見せどころです。

4.翻訳書づくりで苦労したこと

──今回課題図書となった翻訳作品を編集する上で大変だったことを教えてください。

M:『サワー・ハート』に出てくる人たちはアメリカの中国系移民で、彼らは中国においてもアメリカにおいても「他者」として見られます。家族や親戚の話す中国語はわからない、でも英語も完璧ではない、という世代が描かれる。この本のアイデンティティである「他者感」を残しながら、特徴ある英語をどう訳すかについては、著者とかなり相談を重ねました。訳文のスタイルを決めるまでが大変でしたね。
 現地の若者の言葉を、今の日本の若者が使っている言葉そのままに訳しても、時間が経てばすぐに古くなってしまうし……。悩ましかったです。

『シブヤで目覚めて』は主人公が大学院生。阿部先生は普段どっしりとした作品を訳されることが多いので、若者言葉を訳すのにはご苦労されたかもしれません。
 作中に登場する架空の作家川下清丸は、大正時代の人なのですが、その時代の文章を本当に再現しようとすると小説としてかなり読みづらくなってしまうので、実際の読みやすさを重視しました。
 設定としては、主人公や、同じくチェコの大学院生・クリーマが訳したものなので、古い日本語としてちょっとおかしいのも味になるかと思っています。

 あと、原書には日本語や著者が描いたイラストも載っています。原書の出版社が異文化感を出したかったのかもしれないですね。

シブヤ

──原書の雰囲気や登場人物の設定を殺さずに翻訳していく作業はとても大変そうです。

W:『世界でいちばん幸せな男』は、著者がお元気なうちに出したかったので、訳文の精度はもちろんですが、スピード感を重視する必要がありました。金原さんだからこそできたお仕事だと思います。
 あと、刊行前に著者は101歳の誕生日を迎えられて。エージェントから27カ国の編集担当者へ各国の言語でお祝いメッセージの動画が欲しいと依頼されました。最初はそれほど工夫する予定ではなかったのですが、周囲からそれではダメだと言われてしまい(笑)。日本らしいロケーションを考えた結果、根津神社まで出かけて日本語で「人生はあなた次第で美しくなる。*ハッピーバースデー、エディ! 」と語りかける動画を撮りました。
(*註:本書で最も有名な一文の一つ。背表紙にも記されている“Life can be beautiful if you make it beautiful. It is up to you”を日本語訳したもの)
 どこにも公開されていないので、本当に著者へのサプライズプレゼント用だったのかもしれないですね(笑)。

また、日本語版ではエディさんの足跡を辿れるように地図を作って入れたのですが、作中で名前が明記されていない収容所を資料に当たって探し出すのが少し大変でした。ただ地図を入れることで、エディさんの過酷な収容所生活が、伝わったかと思います。

世界でいちばん幸せな男

 装丁:木庭貴信 写真:Louise Kennerley                 

*今年10月にエディ・ジェイクさんはご逝去されました。オーストラリアでは原書「The Happiest Man on Earth」が再び話題となり、Amazonランキングでは1位を記録。

S:『短くて恐ろしいフィルの時代』は文庫化なので、中身に苦労することはなかったです。
 悩んだといえば、装幀でしょうか。文庫化するときは、単行本の装幀からガラッと変えるか、マイナーチェンジをするか、踏襲するか、というパターンが多いのですが、今回は単行本版の装幀が素晴らしいので、どう差別化するか悩みまして。表紙のヒゲを二つにしてみるとかも考えたのですが、単行本を知らない読者には意味が通じないなと思って踏襲の方向でいきました(笑)。

短くて恐ろしいフィルの時代

装丁:鈴木久美                                                                                                     

 ──二つになっていたかもしれない、ヒゲ……

5.翻訳出版の意義

──本国での刊行と、日本で翻訳出版するとでは、意図や狙いが変わってくると思います。どのようなことを意識していますか?

S:まず読者が違います。例えば、英語圏の読者と日本語の読者とでは文化的背景が違うし、その本が持っている意味も変わってくる。その意味の変わり方をふまえて、日本だったらどのような読者に焦点を当てるか、ということを考えています。

──翻訳の仕事は人間の普遍性を伝える仕事でもあるのですね。時代、言語、地域など、簡単には越えられない距離を翻訳書が繋いでくれていることを改めて実感しました。ありがとうございました!

 今回は翻訳編集の裏側を覗いてみました。面白い発見はありましたか? 海外文学を通じて、それぞれの国や文化、常識の違いを知り、楽しみながら、世界への理解を深めるきっかけにしていただければ幸いです!


*「読書の秋2021」コンテストの詳細ページはこちらhttps://note.com/kawade_note/n/n14e4f6f079ad




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