読書記録「車輪の下」
川口市出身の自称読書家 川口竜也です!
今回読んだのは、ヘルマン・ヘッセ 高橋健二訳 の「車輪の下」新潮社 (1951)です!
・あらすじ
ハンス・ギーベンラートは天分のある少年であった。普通の家庭で生まれ育ったのだが、彼の頭の良さは町で噂になるほど有名であった。
だがハンスは数週間後に控えた試験にひどく気を病んでいた。国立の神学校に入学できれば、学費は免除される上、牧師や教師として安定した道を進むことができる。
そのため、彼の青春時代は勉強に費やされた。山で虫を追いかけることも、川で魚を釣ることも、幼き日々の思い出となり、とにかく父親や先生の期待に答えようと、毎日勉強漬けであった。
試験の結果はなんと上から2番めの成績で通過。安堵も束の間、神学校に入学したら、遅れを取ってはならないと、ラテン語や苦手な数学を毎日勉強する。ハンスは徐々に、休むことを忘れてしまった。
神学校での生活は、何より規則や規律を重んじている。卒業後は立派な牧師として模範となるように。だがその重さに耐えきれず、少年の心は抑圧され、逃げ出す者も多い。
ハンスもまた、学校内での出来事が折り重なり、うつ病を患った挙げ句、神学校を退学したひとりである。
退学後は機械工として働き、同僚と飲んだ帰りに不幸に見舞われてしまう。
ヘッセ自身の自伝小説として、少年期の苦悩と日々を繊細に描く。
本著は少年の悲しい物語である。素直な少年は、親や学校の期待に答えようとひとり努力したのだが、その道は少年自身が望んだ道ではなく、まさに車輪の下敷きになってしまった。
私も学生時代はよく父親から言われた。お前は公務員になれ、お前は公務員に向いていると。私の場合は、だからこそ、公務員にはなりたくなかった。
勿論父親も「お前のためを思って言ってくれている」のはわかっている。だが、そんな私の心は、父親にはわかっていないのかもしれない。私でさえ、父親の本当の心はわからないのだから。
物語では、ハンスは神学校でハイルナーという同級生と友だちになる。頭が良いのだが、規則を守らない問題児で、教師たちから厄介者扱いされていた。
もしハンスがハイルナーと出会わなかったどうなったのだろうか、ハンスは真っ当に親が望んだレールを走ることができたのだろうか。
いや、もし学校で悪友に出会わなかったとしても、きっとハンスはいつの日か、自分で自分に出会うことになる。
なぜ学校一勉強のできるハンスが、学校一の問題児であるハイルナーと仲良かったのか。ハンスにとって、きっとハイルナーの姿が、自分自身の鏡であったからではないか。
悪友も学校を退学することになるのだが、その一幕にこのような出来事がある。
ハンス自身、誰かが決めたものではなく、きっと自らの意志で何かを選び、心が思うことをしたかったのかもしれない。勉強漬けの日々と、失われた幼少期の思い出が、少年の意志の力を弱めてしまった。
私事だが、社会人3年目くらいまでずっと実家暮らしであったため、割と両親の影響を受けながら過ごしてきた。もしあのまま実家にいたら、転職などせず、ライターにならなかったのではと、少し思った。
きっとハンスも、いずれは自分自身を見直して、自分が本当にやりたいこととか、本当はどうなりたいのか、曲がりなりにも考えるかもしれない。
そうしたら、違う結末を迎えたのだろうか。
なんか、色々なことを考えさせられる作品でした。それではまた次回!
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