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本を読むから語彙力が豊富、と思うなかれ

川口市出身の自称読書家 川口竜也です!

趣味は読書と公言していると、さぞかし語彙力が豊富なのだろうと期待される。お言葉だが、本を読んでいるから表現力や語彙力が豊富だと思ったら大間違いである。

よく分からないけれども、本を読んでいるだけで、感想や表現が上手いと思われている。だが実際のところ、本を読んでいるから、必ずしもいい表現が思いつくわけではない。

もちろん、本を読んでいるからこそ覚えた語彙とか表現の仕方はある。ちなみに、最近のマイブームは「そんなことではお里が知れてしまいますわ」である(使うタイミングはほぼない)。

とは言え、覚えているということと、その場にふさわしい表現がすぐに思いつくこととは、また別である。私の場合、その場で口頭で感想を述べるよりも、一旦持ち帰って、文章にしたほうが雄弁に語ってくれる。

もっとも、ソムリエのように、その場に相応しい言葉や表現がすぐ思いつく人はいる。それはむしろ、そのような訓練をしているからであろう。ソムリエが「いや、感想は明日伝えるよ」なんて言ったら、そりゃえ?っとなる。

おそらく、読書好きもそのような認識なのだろう。沢山小説や物語を読んでいるからこそ、まるで詩人かのような、文学的表現を常日頃から使えると思われている。

いや、詩人でさえ、常時詩的な表現をしているわけではない。話す度に名言のような言葉が出るなんて、ムーミンに出てくるスナフキンじゃあるまいし。

そもそも、文学的表現って一体何なのだ。村上春樹さんのような表現がお望みなのだろうか。説明しないとわからないということは、説明してもわからないということなのだろうに。やれやれ。

なぜ本を読んでいるからという理由だけで、こうも期待されなければならないのか。そして期待を裏切ったときの、感想薄いねと言われたときの、あの空気は私が悪いのか。

そんなことならば、趣味は読書ですと公言するなってことなのだろうか。

とは言え、必ずしも趣味と特技が一致するとは限らない。野球観戦好きだからとはいえ、野球が非常に得意とは限らない。美術館巡りが好きな方が、自分で絵を描くとは限らない。

もちろん、読書好きな方の中には、感動したことをすぐに表現できる人もいるだろう。文学的な表現というものを日常的に使える人もいるかも知れない。

だが私からしたら、本を読むことと、感想を述べることが上手いことは、必ずしもイコールの関係ではない。その証拠に、本を読む人全員が作家として大成するわけではないように。

観ているだけ、読むだけでは、インプットであるから、うまくなるためにはアウトプットが必要である。

表現力というものは、アウトプットの技能だから、実際に表現しないことには体得できないと思われる。

かと言って、インプットが無駄になることは決してない。水が貯まるからダムから放流されるように、インプットなきアウトプットはない。

まぁ、読書好きなら文学的表現をいつでも言えるようになっておけということか。誰か文学的表現の速修帳をつくってくれないかしらん。やれやれ。

それではまた次回!

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