書くことは世界を狭くする
川口市出身の自称読書家 川口竜也です!
Note 100日連続更新まであと約2週間。読書会の報告や読んだ本の感想、時に自称読書家の独り言をつらつらと書いてはいますが、やはり少しでも有益なことや、何か響くポイントを与えられればとは少なからず思う。
少しでも面白く伝えられればなと、最近読んだのが田中泰延さんの「読みたいことを、書けばいい。」ダイヤモンド社 (2019)。著者の田中さんは20年以上、電通でコピーライターとして勤務。その後「青年失業家」と自称しフリーランスで執筆活動を行っている方である。
田中さんの考え方は非常にシンプル。本のタイトルにもあるように、基本スタンスは「自分が読みたいと思うことを書くこと」。
言わずもがなではあるが、確かにそうである。私は記事の著者であるが、自分の記事の一番の読者でもある。自分が面白いと感じた記事は何度も読み返します。
ちなみに、我々が書く記事とは、田中さんから言わせれば大半が「随筆」である。簡単に言えば、事象と心象が交わるところに生まれる文章だと仰る。
例えば、以前私が「雨と読書。」という記事を書いたのだが、これは「雨の日に目の前の女性が全く同じ行動を取った」という外部の事象と、その時の私の心境や口には出さなかった考えを記した。概ね定義通りに書けているだろう。
ただ、記事を書くことは「世界を狭くする」ことでもあると田中さんは述べている。本を読むのと同じく、書くことは世界を広げることの一助になると考えていた手前、この表題を見たときは衝撃的であった。
またも「雨と読書。」に戻る。この記事は簡単に書くと「帰り道、電車に乗っている間に雨に降られ、本が濡れそうだから手元を避けた」ことしか書いていない。本当はもっと様々な時間の経過や経験があったけれども、無意識の内に無駄なところを削っていたのである。
それが編集である。そう言えば聞こえはいいが、自分が体験したことを、いわば世界を自ら狭くしているとも言える。
では、書くことはネガティブなことなのか。断じて違う。
まず第一に、その経験は絶対に無駄ではない。人に語るために我々は経験を積んでいるわけではない。その時見たもの、感じたものは、他ならぬ私が一番覚えている。それを文字として残すことは、一番の読者である「私」にとって大事である。
もう一つ、いつの日か誰かが私の記事に感動や共感する。ターゲットを定めず、ただ自分が読みたいと思うことを書く。そうしたらいずれその考え方に感銘を受ける方が現れるかもしれない。
インターネットの世界には既に数え切れないほどの記事に溢れている。新しいものを、革新的なものを、誰も読んだ事がないものを、人の心を動かすものを、それは大事な事である。だが、悩みや葛藤なんてものは、近現代文学の時代に夏目漱石や太宰治が既に書いている。過去の哲学者が既に回答を出している。
ならば私は私が読みたいものを書けばいい。これからも、私が何度も読み返したくなるものを書き続けられればいい。今はそれで十分だと考えた本でした。それではまた次回!
・追記 参考資料もとい私の記事。
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