見出し画像

読書記録「鴨川ホルモー」

川口市出身の自称読書家 川口竜也です!

今回読んだのは、万城目学さんの「鴨川ホルモー」角川書店 (2006) です!

万城目学「鴨川ホルモー」角川書店

・あらすじ
皆さんは「ホルモー」という言葉をご存知だろうか。いや、「ホルモン」ではなく「ホルモー」である。

その言葉の由来は定かではないが、古来は平安時代よりと密かに語り継がれ、ここ京都にて脈々と受け継がれている、一種の「競技」である。

敵味方それぞれ10名ずつ、敵を全滅させるか、あるいは代表者が敗北を宣言するまで戦い続ける対戦型の競技である。

そして勝負に負けた瞬間、競技者は力の限り叫ばねばならな。

「ホルモオオオォォォォ―ッッ」と、声の限りを尽くして。

そんな「ホルモー」の世界と出会ってしまったのは、偶然なのか必然だったか。話は1週間前の葵祭に遡る。

京都大学1回生の安倍が葵祭の帰り道に出会ったのは、「京大青竜会」と呼称する怪しげなサークルだった。まずは新歓コンパがあるから、ぜひ顔だけ出して欲しいとのこと。

二浪して京都大学に入学した安倍にとって、新歓コンパはタダで飯が食える場所。怪しいという疑心は持ちつつも、三条木屋町の居酒屋「べろべろばあ」に向かう。

そこで安倍は運命の出会いと呼ぶべき女性と出会う。同じく1回生の世良京子は、造形美の観点から類まれなる「鼻」の持ち主であった(つまり、俺は彼女に惚れたのだ)。

そんなよこしまな、もといプラトニックな気持ちで「京大青竜会」に通っていた俺は、祇園祭宵山の日に突如として、「ホルモー」の世界に踏み入れることになったのだ。

中学時代に読んだことがある作品。先日地元の古本屋さんに積まれていたのを見かけ(残念ながら自分が売った本ではなさそうだが)、10年以上の時を経て紐解いた次第。

お恥ずかしながら、中学時代に「鴨川ホルモー」を読んだ後、一度として万城目学さんの作品を読まなかった。

読んだ事自体は覚えている。おぼろげながらも冒頭は記憶にあったし、中学時代の修学旅行で訪れた京都にて、タクシーの運転手さんと「鴨川ホルモー」の話をした。

そして今回改めて紐解いて、なぜ当時の川口少年が本著を読んだ後、一度も万城目さんの作品を読まなかったのか疑問に思うほど、あまりの面白さに一気に読み終えてしまった。

同じく京都大学出身かつ、同じ時期に台頭した作家で、同じくらい不思議で(阿呆な)作品を書く森見登美彦さんに陶酔したにしても、だ。

つまるところ、昔読んだ時には「自分の好きな作品ではないな」と思ったとしても、今あらためて紐解いてみると、その物語・作家に惚れ込むことは多々ある。

中学時代に読んだ東野圭吾さんの「探偵ガリレオ」がイマイチ理解できず、ここ数年まで読まず嫌いだったのだから。今では「容疑者Xの献身」はお気に入りの作品である。

話がだいぶ逸れたが、「鴨川ホルモー」である。と言っても、この話に何か教訓的な話があるわけではない。

求めようと思えば探せることはできるだろうが、教訓のない馬鹿げた話だって世の中にはたくさんあるのだ。

しかし、「ホルモー」なるものは、あくまでフィクションであるが、著者 万城目学さんのあとがきを読むと、必ずしも世の中にはフィクションでは済まないことで溢れている。

人にやさしい鬼もいれば、怖い神様がいることも私は知っている。

同著 294頁より抜粋

所詮わたしは「よそ者」ではあるけれども、京都に訪れると、不思議と「ここではないどこか」に誘われてもおかしくないと思ってしまう。

かつて見た清凉寺の大仏に恐れ慄いたときのように。またもや森見登美彦さんの作品になってしまうが、「きつねのはなし」や「夜行」のような、怪談チックな恐ろしさが「鴨川ホルモー」にもある。

その怖い部分の印象が残ったせいか、中学時代の川口少年は、万城目学さんに苦手意識を持ったのかもしれない。

まぁ改めて読み返してみたら、「ホルモー」という謎の競技に青春を掲げる(?)阿呆な大学生の話である。レナウンのCMの「ワンサカ娘」を聴きたくなる。

くだらなくも、ドがつくほど真剣な青春群像劇で、読んでいて清々しい気持ちになる。

結論は、読まず嫌いでいるのはあまりに勿体ないということである。それではまた次回!

この記事が参加している募集

今日もお読みいただきありがとうございました。いただいたサポートは、東京読書倶楽部の運営費に使わせていただきます。