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読書記録「四畳半王国見聞録」

川口市出身の自称読書家 川口竜也です!

今回読んだのは、森見登美彦さんの「四畳半王国見聞録」新潮社 (2011) です!

森見登美彦「四畳半王国見聞録」新潮社

・あらすじ
かの悪名高きシュレディンガー氏の奇々怪々な数式の羅列に打ち破れ、大学の単位を失い、評判を失い、人間関係をも失った余は、新天地を求めて放埒の旅に出た。

たどり着いたは京都東山のふもとにある鉄筋コンクリート造りの「法然院学生ハイツ」。この建物の屋上には「阿呆神」なる方が御座す祠がある。

廃墟同然の室内は、畳が腐りかけた四畳半。余はここに王国を築かんと決意する。

余は四畳半王国の開拓者として、まずは人類の自由意志を阻む「壁」と戦い、宇宙的広がりを制限する「天井」と戦い、そして魔物が跳梁跋扈した「床」の開拓にも成功した。

次なるフロンティは、壁・天井・床という平面に囲まれた、四畳半の中心に位置する「空間」である。この三次元空間を工夫と妄想で埋めてこそ、余の四畳半王国が建国されたと高らかと宣言できると言えよう。

とは言え、何も分からぬ者は「四畳半を出て、社会と対峙せよ」と批判するだろう。

だが諸君! いや、諸君と言っても誰もいないのだが、断じて諸君と呼びかけよう。

そもそも人類が支配可能なのは四畳半以下の空間である。

それ以上の広さを求める不届き者たちは部屋の隅から反逆にあうのだと、かの高名なる文筆家 森見登美彦氏は語っている。

旧世界の人類は世界という枠組みに囚われている。他人を批難して少しでも優位に立とうとし、生きるだけで己を肯定できずにいる。

だが四畳半王国の皇帝として確固たる地位を確立した余にとって、旧世界の出来事も人間関係も全く関係がない。法律も時間も全て余に支配されている。

それゆえ、余に対して要求される態度は二つに一つ。賛美か、無視するかだ(「四畳半王国建史」より)。

最近自分の中で京都ムーブが来ているせいか、京都が舞台の森見登美彦さんや万城目学さんの作品を読み耽る。神保町の古本屋さんで見かけたのをきっかけに紐解いた次第。

先に伝えておくと、この作品に登場する「余」は、「四畳半神話大系」に登場する「私」とは別の人物であると思われる。

同著に収録されている「蝸牛の角」では、「下鴨幽水荘」でぬらりひょんのような男と饅頭を押し付けあう阿呆な学生が登場する。

ただあくまでも「阿呆神」による奇妙な出来事の一部として、数多存在すると言われている阿呆たちの一人として語られる。

その阿呆たちの中には、非凡な才能を持つがゆえに、平凡を望んでいる「大日本平凡會」なる5人の男たち。彼らが所属するゼミや詭弁論部、人間関係研究会の面々にフォーカスしている。

それはさておき、四畳半王国を建国した、自らを余と呼称する男の話である。

そんな(彼曰く)旧世界の人々から一線を画し、自らが創り上げた四畳半王国に引き籠もる確固たる地位を築いた男。

彼は四畳半の部屋に世界を作る。

古代文明の遺跡を捏造し、人工芝を敷き詰めて草原を、シーツを重ねて砂漠を生み出し、遠く離れた場所に「ヨジョウハン島」なる孤島を生み出した。

まるで幼き頃に、浴槽に船を浮かべて海を思わせたように。床にミニカーを並べて年を作ったように。レゴで歴史的な建造物をつくったのように。

そのような遊びは、子供の頃に誰しも一度は行っていたはずだと思われる。

だが大人(と言っても大学生)がするその姿は、社会や人間関係という現実から、目を背けているようにも思われる(現に背けているのだが)。

そして彼は「阿呆神」なる御方と対峙して、世界の理を知ることとなる。

四畳半の内部に世界はある。街路樹の葉から落ちた一滴の水にも全宇宙が含まれているように。広い世界の中に愛すべき四畳半があるのではなく、愛すべき四畳半の中に世界がある。

同著 244頁より抜粋

つまりそういうことなのだ。異論は受け付けぬ。

正直読み終えた今、つまりどういうことなのか、よく捉えてられていないのだが、いつも通り個人的な解釈を述べるとする。

今まで彼は文字通り、この世界の中に四畳半が存在すると思い込んでいた。

彼の四畳半王国は、あくまでも四畳半のアパートの一室であり、食糧を求めて外に出れば、そこは彼が袂を分かつ旧世界である。

だがそれすらも、四畳半の中の一部だとしたら。

彼が想像と妄想で創り上げた四畳半王国ではなく、彼の周りの現実もまた、彼が創り上げた世界なのだとしたら。

世界はたいへん小さく、それは内側に無限に広がっていた。世界の果ては家の中にもあり、庭にもあり、公園の片隅にもあった。それが世界というものだった。

同著 241-242頁より抜粋

世界というものは、自分の見える範囲でしかないのかもしれない。今までの彼にとって、四畳半こそが目に見える世界であった。

ただ一度外に出れば、その世界ですら四畳半王国の一部となる。

とは言え、何事にも真髄を知るには、何かしらのきっかけが必要であり、彼にとっては旧世界の親友であった。

つまり何が言いたいのかと言われたら、詳しく言語化できないのだが、とにかく阿呆な大学生の物語であったことは確かである。

Excelsior!

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