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感情移入は読み方の問題なのか

川口市出身の自称読書家 川口竜也です!

先日、知り合いが主催する読書会に参加した時のこと。友達から小説や文学の読み方について聞かれた。

川口君の本紹介はとても感情が入っている。自分は小説を読んでも感情移入やそこまで深読みができないのは、読み方に問題があるのだろうかと。

本を読んで感動するかしないかは、読み方の問題ではないだろう。単純に著者が記す物語や言葉が心揺さぶられるのであって、感動するような読み方をしている訳ではない。

今は町田その子さんの「52ヘルツのクジラたち」を読んでいるのだが、主人公の境遇や仕打ちに悲しくなって、すぐ目頭が熱くなってしまう。

それは少なからず、自分にも共感できるところがあるからという点もある。

登場人物たちに自分の姿を重ね合わせ、自分だったらどう思うだろうと、過去の自分が自然と涌き出てくる。

逆に、読書の通じて、自分が経験したことのない悲しい現実に向き合わされる。例えそれがフィクションだとしても、だ。

大抵の物語は救いがある。誰かが手を差し伸べてくれる、前に向かって生きようとする。

そしたら当然、自分だったら同じことができるかと、困っている友達に手を差し伸ばせるのかと、考えずにはいられない。

友達からしたら、そのように考えること自体が凄いのだという。小説を読んでも、物語を追っているだけで、そこまでの考えに至らないと。

いや、私自身意識して読んでいる訳ではない。感情を揺さぶられる作品を書いている著者が凄いのであって、そのような物語を読めば、誰しも何かしら考えるはずである。

もっとも、母親譲りの感動屋さん気質である故に、何を読んでも喜怒哀楽が出てしまうのもあるだろう。

全く知らない人の結婚式の手紙とか、感動系の映画や動画ですぐ泣いちゃうから、単純と言えば単純な男である。

本を読めば人の気持ちが分かるようになることも、読書のメリットに挙げられることは多い。

だけどね、本を読まないと人の心に寄り添えない風潮なのも、悲しい事実である。

本を読むたびに思う。自分は主人公のように強く生きれるだろうか。他人を助ける人になれるかと。

大切なことは、ちゃんと心にある。でも良心や信念に従って生きるのは、簡単なことのようで、思いの外難しい。

でも、小説や物語を読んで、弱い自分に気づくのも大切なことである。弱さを認めること、知らないことを知ることもまた、強さである。

話が大きくそれてしまったけれども、物語の登場人物に自分を重ねるのは、本を読んでいる間に自然と涌き出てくるもので、特別な訓練などは必要ない。

単純に、心揺さぶる読み方をしているのではなく、心揺さぶられる作品に出会っている機会が多いだけなのだから。

答えになっているかわからないけれども、やっぱり私は小説が好きということで。それではまた次回!

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