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読書記録「偶然の祝福」

川口市出身の自称読書家 川口竜也です!

今回読んだのは、小川洋子さんの「偶然の祝福」角川書店 (2000) です!

小川洋子「偶然の祝福」角川書店

・あらすじ
それは突然やってくる。小説の締切が迫っているとか、推敲に行き詰まっているとか、そんなことは関係なく発作のように起こる。

私は何と愚かで、無教養な見栄っ張りで、節操のない浮かれ屋なのだと。世界中が私から背を向けて、私の小説など誰一人読まないと。

発作が出たとき、私は「失踪者たちの王国」について考える。かつて前触れも理由もなく、きっぱりと姿を消した伯母がたどり着いたであろう、その王国について。

思い返すと、私は昔から何かを失ってばかりいる。小さい頃は、リコーダーを失くし、父からプレゼントされた万年筆を失くした。

その時は、当時お手伝いで雇われていたキリコさんが、私のなくしものを取り戻してくれたけれど、そのためにキリコさんを失った。

大人になるにつれて、弟をなくし、恋人をなくし、そして言葉をなくした。

それはとてつもなく辛いことであった。だけど、偶然にも幸福を連れてくることもあったのだった。

神保町は「たかひでの本棚」さんの小説限定の読書会に参加した際に、他の参加者さんが紹介していた作品。

同著に収録されている「キリコさんの失敗」という短編作品は入試問題にも取り上げられるそうで、「名前は知っていたが、そう言えば読んでない作品」として紐解いた次第。

私も紹介を受けて「なるほど」と思ったことであるが、小川洋子さんの作品では、何かを"失う"ことが多いらしい。

失われたものたちの世界、と私は小川洋子の世界を呼んでいる。失われたもののなすすべない哀しみが、どの小説でも硬質な筆致で描かれている。

同著 201頁「変化の段階」解説・川上弘美 より抜粋

言われてみれば、他の作品の「博士の愛した数式」においても、博士は「記憶する能力」を失っている。

人であれ、ものであれ、失うということ、この世界から消えてなくなるということは、とてつもない悲しみを覚える。

私はまだまだこの世に未練がある。あちら側に早く行きたいとも思わないし、あちら側に行ってしまった人々のことを思うと、哀しみが胸にこみ上げる。

(いつも通り)私の解釈になるが、失うからこそ大事なものに気づくことは多々ある。

本当は言われなくても、それが大事なものであることは知っている。ただそれを深く考えるきっかけを与えるのが、失うことなのかもしれない。

身近なモノをなくしてしまい困ってしまうという小さなことから、喪ってからその人の存在の有り難さ。どれだけその人のことを愛していたかに気づくように。

不思議にも彼らは私を慰めてくれる。王国は遥か遠いはずなのに、彼らは洞穴に舞い降りてきて、いつまでも辛抱強く、そばに寄り添ってくれる。その吐息を私は頬のあたりに感じることができる。

同著 35頁「失踪者たちの王国」より抜粋

先日森絵都さんの「カラフル」を読んだときのことを思い出す。稚拙な表現になるが「きっと見守ってくれている」だろうと。

私は大前提、生きることに意味があると思う人であるが、そういう風にあちら側のことを捉えれば、失うということも、必ずしも悪い側面ばかりじゃないなって。

そんなようなことを、ふと考えさせる素敵な作品でした。それではまた次回!

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