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読書記録「斜陽」

川口市出身の自称読書家 川口竜也です!

今回読んだのは、太宰治の「斜陽」新潮社 (1947)です!

太宰治「斜陽」新潮社

・あらすじ
かず子のお母様は戦後最後の貴婦人と言っても過言ではなかった。それもこれも、かの戦争さえなければここまで没落することもなかっただろう。

戦前は貴族として何不自由なく生活してきた日々も、日本の無条件降伏を境に国はいよいよ混乱し、今では東京の家を売り払い、伊豆の住まいに引っ越ししなければならなくなった。

年老いたとは言え、お母様はいつまでも貴婦人であった。所作の一つひとつがどこまでもお嬢さまであるが、その振る舞いを見る度にかず子の心は重くのしかかった。

戦争に出ていた弟の直治が帰ってくるも、どこぞの文豪を真似て麻薬中毒になり、今では毎日東京にいる先生のもとで酒を飲み歩いてばかり。そのこともまた、かず子の悩みの種であった。

お母様の体調が悪くなり、医者から長いことないと聞き、ようやく気づく。果たして私は、一体何のために生きてきたのだろうかと。

没落した貴族の家庭を舞台に、かず子の悲愴な心情を主たる4人の破滅とともに描く。

だいぶ前に読書会で太宰治の「パンドラの匣」を紹介した際、他の参加者から「ところで斜陽は読みましたか?」とマウントを取られたのが忘れられず、今更ながらようやく読み終えた次第。

正直、この作品のあらすじも感想もろくに言語化できていないのですが、なんとか心に響いたことだけは記載せんとす。

生きている事。生きている事。ああ、それは、何というやりきれない息もたえだえの大事業であろうか。

同著 144頁より抜粋

現代でさえ、真っ当な生き方なんぞわからないのに、戦後なんてより正しいことなどわからないだろう。

過去の道徳は失われ、何を指針に生きていけばいいかわからない世の中。狂わないほうが難しい。

それでも、お母様だけは最後まで貴婦人であった。お金がなくても、体調を崩しても、いつもしなやかなで、強かな振る舞いであった。

それは過去の延長線で生きていけたからかも知れない。戦争があろうがなかろうが、今までと同じ道徳で生きることができた。

だが、かず子は違う。これからの長い日々を、一体何のために生きるのか、自ら考えて生きていかねばならない。それを思うと、直治の選択もわからなくもない。

けれども私たちは、古い道徳とどこまでも争い、太陽のように生きるつもりです。

同著 171頁より抜粋

太陽のように生きる。それが何を指すのかはわからないが、少なからず自らの力で生き抜かねばならないのではないかとは思う。

それではまた次回!

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