見出し画像

読書記録「博士の愛した数式」

川口市出身の自称読書家 川口竜也です!

今回読んだのは、小川洋子さんの「博士の愛した数式」新潮社 (2003) です!

小川洋子「博士の愛した数式」新潮社

・あらすじ
1992年3月 あけぼの家政婦紹介組合からの派遣で、私は博士に出会った。

義姉の母屋の離れに住む老紳士。初めてお会いした時に、開口一番聞かれたことは名前ではなく、「君の靴のサイズはいくつかね」。

かつて大学で数学の研究をしていた博士。着古した背広には、おびただしほどのメモがクリップで付けられていた。

身体に留められたメモには、いくつかの意味不明な数式や言葉ばかりであるが、一番長く留められているであろうメモには、こう書いてあった。

≪僕の記憶は80分しかもたない≫

博士は考え事をしている時に邪魔をされることを心底嫌うが、数学に関わることであれば、すでに発見された法則であっても称賛した。

例えば私が見つけた発見でいうと、「28の約数を足すと28になる」こと。

「28」は完全数であり、連続した自然数の和であり、江夏豊の背番号と同じである。そんな私の小さな発見を、博士は素晴らしい発見と認めた。

博士は私に息子がいると知ると、ここに連れてくるように促した。博士にとって子どもは守られる存在であり、数学と同じくらい尊い存在だった。

頭のてっぺんが平らだったことから、博士は息子とことを「ルート」と呼んだ。そして新しいメモが追加された。

≪新しい家政婦さんと、その息子10歳 √≫

私と息子のルート、そして博士の3人は、ぎこちないながらも日々を過ごしていく。

急に一度紐解いた本をまた読み返したい欲が高まり、梨木香歩さんの「西の魔女が死んだ」と一緒に持ち帰り、この度紐解いた次第。

改めて読み返しても、前に紐解いたときと感想はそこまで変わらず。ここに登場する人は、優しい人ばかりであるなと。

1975年9月24日の事故を境に、記憶が80分しか持たなくなった博士。毎日顔を合わせても、私ことを記憶してもらうことはなかった。

それでも、私と博士は、220と284という「友愛数」でつながっていた。

それだけで充分だった。私と博士は数学を通じてつながっている。1桁もズレることなく、イコールでつながっていた。

「本当に正しい証明は、一分の隙もない完全な強固さとしなやかさが、矛盾せず調和しているものなのだ。……なあぜ星が美しいか、誰も説明できないのと同じように、数学の美を表現するのも困難だがね」

同著 27頁より部分抜粋

数字というものは不思議である。1つ1つの数字に意味があり、役割があり、決して仲間はずれになることなく存在している。

しかし、もしかしたら、数字に意味を与えているのは、人間の勝手な想像なのかもしれない。

誕生日の数字が約数だろうが、靴のサイズが4の階乗であろうが、数字自体に意味なんてないかもしれない。

いや、むしろ人間が数字を扱うからこそ、数字に感情が乗るからこそ、数字はより生き生きとするのではなかろうか。

「とても遠慮深い数字だからね、目につく所には姿を現さないけれど、ちゃんと我々の心の中にあって、その小さな両手で世界を支えているのだ」

同著 7頁より抜粋

世界各地で言語は違えど(エスペラント語は置いておいて)、数字だけは世界共通である。

数字があれば、誰とでも繋がりを持つことができる。友情であれ、愛情であれ、数字に意味を与えることで、そのつながりを確固たるものにもできる。

結局、博士が愛した数式「e^iπ+1=0」の意味は分からず仕舞いであったが、きっと博士が永遠に愛したNへの意味は、永久に不滅であろう。

私たちにはわからないこともある。220と284のように、傍から見たら皆目見当がつかないような事柄でも、きっとつながっている。

本当に、優しい世界過ぎて、前回読んだとき同様に、涙を流して読み終える。昔から涙もろいのだけは不変だな。それではまた次回!

この記事が参加している募集

今日もお読みいただきありがとうございました。いただいたサポートは、東京読書倶楽部の運営費に使わせていただきます。