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センス・オブ・ワンダー

川口市出身の自称読書家 川口竜也です!

今週末は久々に実家に帰省。電車で1時間程度といつでも帰れる距離ではあるが、やはり地元埼玉は落ち着く。

都会に比べたら自然は多いし、日中も静かだし。何より高いビルがないからか、空が遠くまで見える。

とは言え、子どもの頃に比べたら、少しずつ昔見た景色が変わってきているのも事実。集合住宅が大型マンションになり、雑木林が戸建ての住宅街になり。

住民が増えることは良いことかもしれないが、子どもの頃から過ごしてきた人間としては、失われているものも気づいてしまう。

先日、会社の図書スペースにて、レイチェル・カーソンの「センス・オブ・ワンダー」(新潮社)を見かけ紐解いた次第。

「沈黙の春」で有名なレイチェル・カーソン。甥っ子と森や浜辺を探索していくなかで、自然に触れ合うこと、知識だけでなく感性を培うことの大事さを語る、50ページほどの短い作品。

センス・オブ・ワンダーとは「神秘さや不思議さに目を見はる感性」だという。

子どもの頃は誰しも持っていたが、いつの間にか感じ取ることが難しくなった感性。

例えば、子どもの頃に、土や葉っぱの匂いを強く感じたことはなかっただろうか。

小鳥や小さな虫たちの音色に、耳を傾けていたことはなかっただろうか。

手がかじかむほど、雪に触れていたことはなかっただろうか。

公園で小さな虫や生き物を、眺め続けたことはなかっただろうか。

それが大人になると、大抵の人は自然とは遠い存在だと思ってしまう。特に都会だと、遠くの山や海に出掛けなければ、自然に触れ合う機会が少ないと思いがちであろう。

だが、自然の神秘さや不思議さを感じ取る力は、減っているだけであり、完全に失われたわけではない。

この感性は、やがて大人になるとやってくる倦怠と幻滅、わたしたちが自然という力の源泉から遠ざかること、つまらない人工的なものに夢中になることなどに対する、かわらぬ解毒剤になるのです。

同著 23頁より抜粋

自然というものは、わりと身近なところで触れ合うことができる。

町中でも雑草が花を咲かせ(この場合、雑草とは言わないか)、鳥のさえずりが聞こえ、雨や風の音に耳を傾けることはできる。

自然に触れるということは、植物や動物の分類、知識を深めることとイコールではない。

自然であれ芸術であれ、前提知識を持っていた方が面白いかもしれない。ただ、必ずしも知らなればならないことではない。

鳥の渡りについて少しでも不思議に思ってわたしになにか質問してきたらとしたら、その子が単に、イソシギとチドリの区別ができるということより、わたしにとってどれほどうれしいことかわかりません。

同著 47-48頁より抜粋

今のご時世、SNSやテレビでいくらでも自然を見ることはできる。

だけど、それはあくまでも映像や画像でしかない。スクリーンセーバーのオーロラの写真は確かに綺麗だけれども、そこから自然の神秘さを感じ取りにくい。

自然を感じるために遠くに行く必要はない。

子どもの頃と同じ視線で、小さな世界に気づけるような感性を持ち続けたいものである。それではまた次回!

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