Chizuru

ライター。TOKYO1351、永山子ども基金メンバー。NGO職員を経て法律事務所勤務。…

Chizuru

ライター。TOKYO1351、永山子ども基金メンバー。NGO職員を経て法律事務所勤務。世界5周、50カ国以上を旅しながら、様々な社会問題をつぶさに視る。連載『死刑囚からの手紙〜それでも、彼を殺しますか〜』。厚揚げと納豆が好き

最近の記事

2020年9月8日24通目

前橋市高齢者連続殺人事件で最高裁は今日、被告側の上告を棄却した。土屋さんの死刑が確定する。 上告が棄却される約1週間ほど前に、土屋さんと面会交流をする複数の方々から連絡をいただいていた。 死刑が確定してしまうと間も無く、外部との交流が途絶えてしまう。面会はもちろん手紙のやり取りさえできなくなってしまう可能性が高い。そのため土屋さんと交流を持つ人らから、土屋さんの最近の状況(面会時の様子)や、彼から私に宛てた伝言等を丁寧に教えてくれていた。 私のブログを読んで土屋さんに連

    • 2019年12月16日 11回目のこんにちは

      約5ヶ月ぶりの面会の日をむかえた。もう11回目になるのか。 私は沖縄に住んで1年が経とうとしていた。沖縄の、冬がない生活に慣れてしまったからか、東京はずいぶん冷えているように思えた。日中はあたたかな陽が出ていたが、夜になるとマフラー無しではいられないほどだ。この寒さでの拘置所内の環境はどんなものだろうか。空調整備はされているから大事ないかもしれないが、暖房の効いたぬくぬくとした日常や、コタツで暖をとるぬくもりとはかけ離れた冬を過ごしているはずだ。 そんなことを思いながら、

      • 2019年10月25日22通目

        10月下旬、土屋死刑囚から手紙が届いた。 返信さえ送ってくることがない彼からの、いきなり届いた手紙に、何があったのだろうかと少し不安な気持ちで封を開けた。 冒頭には、相変わらず過ごしているとの近況報告が。その後の本題には、 「河内さんと文通・面会を希望している収容者がいる」という旨が書かれている。そのまま読み進めた。 浜名湖連続殺人事件の容疑者から夏の暮れ、土屋氏の元に、同じ東京拘置所の収容者から手紙が届いたという。 その者の名前は川崎竜弥。浜名湖連続殺人事件という

        • 2019年7月29日 10回目のこんにちは

          3週間前に手紙を送ってから、返信がないまま面会の日をむかえた。 前回の面会は2月15日であったから、5ヶ月ぶりの拘置所だ。 土屋死刑囚と面会の約束(私がやや一方的に)をしていたこの日、東京では梅雨明けが発表されていた。 窓口でいつものように手続きを進める。そのとき面会時間が変更になったという旨のお知らせを目にした。面会時間が5分長くなっているのだ。 これまでの面会時間は15分だったのが、20分に変更されていた。 割と早めに拘置所に着いたからか、手続きはスムーズだった。

        2020年9月8日24通目

          2019年7月10日21通目

          前回の手紙から、ずいぶん日が経った。 こちらから最後に手紙を出したのが5月14日だったが、その後、土屋さんからの返信はなかった。 私は今月末に東京に行く予定をしていた。 自費で沖縄から東京に飛ぶため、土屋さんが他の人との面会がかぶってはいけないと思い、あらかじめ私の面会日程を伝えておくべく、葉書に下記のメッセージを書いて送った。 ※おおよそ死刑囚は、『1日に面会ができる人数が一人まで』と決められている。もし、面会に訪れた際、既に誰かとの面会が済んでいた場合、その日は面

          2019年7月10日21通目

          2019年5月14日20通目

          前回の手紙を送ってから、約1ヶ月後の4月17日、速達にて返信が来た。 毎回返信が遅いとはいうものの、1ヶ月も音沙汰がなかったこともあり、土屋さんの方からもう便りを送ってくることは無いだろうと予想していた矢先に届いた。 いつもの長3の茶封筒。郵便番号7桁の上部に赤い字で「速達」と書かれてあった。わざわざ速達で郵送してきた理由は何だろうと不思議に思いながら、封を開けた。同封されていたのは一枚の便箋のみであった。 手紙の一文目には「良心を傷つけて申し訳ない」という旨の謝罪文が

          2019年5月14日20通目

          2019年3月21日 19通目

          私が送った18通目の手紙から約2週間後、土屋さんから返信がきた。 封を開けると、5枚綴りで余白もないほどにびっしりと書かれていた。先日、土屋さんの最後の職場(前橋市の警備会社)の元上司を名乗る村田さん(仮名)からのメッセージを土屋さんに転送しており、それを読んでの感想が述べられていた。 村田さんのメッセージとは、土屋さんに対しての残念な気持ちと共に、事件を止めることが出来なかった村田さん自らの反省や無力さという、申し訳ない思いがまとめられたものだった。また、事件を振り返り

          2019年3月21日 19通目

          死刑囚と繋がりのある人々を訪ねて④土屋和也氏最高裁弁護人(3/14付で解任)

          2月の東京滞在時、土屋さんとの面会後のこと。 私は上告審(最高裁)の弁護人に、本件について取材協力を得たく連絡をとっていたが、数回のアプローチの末、その弁護人が土屋さんの存在すら覚えていないという事態があったことは前回のブログで書いた通り。 私は沖縄の自宅戻ってきてから、上告審弁護人から得られる情報は殆どないとは思いつつも、弁護人に電話した際に伝えた通り、事件番号と罪名を記載した簡易的な手紙を送り、再び返答を待つことにした。 上告審代理人弁護士へ先生 お世話になってお

          死刑囚と繋がりのある人々を訪ねて④土屋和也氏最高裁弁護人(3/14付で解任)

          2019年3月4日 18通目

          先月、土屋さんの最後の職場(前橋市の警備会社)の元上司を名乗る村田さん(仮名)から、ツイッターのメッセージで連絡が来た。土屋さんについて調べていたらしく、このブログにたどり着いたそうだ。 「彼の刑が確定してしまう前に、伝えてほしいことがある」 という旨の依頼だった。 彼と関わりのある数少ない人からの連絡に、まずは驚いた。 以前にも、ツイッターを経由して、土屋さんの友人と名乗る方から連絡をいただいたことがあった。土屋さんは、その友人の存在を「居たような気がする」程度にし

          2019年3月4日 18通目

          2019年2月15日 9回目のこんにちは

          午前10時前、私は成田空港に着き、その足で拘置所へ向かった。 東京の寒波は今日までだそうだ。小菅駅に着いた途端、静かに雪が降り出していた。 拘置所に着いたのは12時半頃。午後の受付と同時に、面会申込申請を済ませた。 一番面会室土屋さんは、グレーのスウェットパンツにネイビーのボアブルゾン姿で入室してきた。 「寒そうですね」 と私が声をかけると、土屋さんは、室内だからそこまで寒さがわからないということを言った。 運動はしないのか尋ねたら、体調を崩していたようだ。つい1

          2019年2月15日 9回目のこんにちは

          2019年1月28日 17通目

          昨年末(12/30)、土屋さんに宛てて書いた手紙を送ってから約1ヶ月が経った。未だ返信はない。 東京滞在時のスケジュールをそろそろ詰めたいと思っていた私は、上告審(最高裁)の先生へ連絡を入れてくれたかどうかを知りたく、寒中見舞いと題した葉書に下記のように綴った。 2019年1月28日 土屋和也さまへ 17通目寒中お見舞い申し上げます ご丁寧な年賀状を頂き、ありがとうございました。 無事、沖縄に転送され、手元に届きました。 さて、昨年末に送付した手紙にも書きましたが、

          2019年1月28日 17通目

          2018年12月30日 16通目

          先に、12月25日午前の出来事について書き残しておきたい。 前回のブログの通り、私は土屋さん宛に手紙を送ってから返事を待たず、12月25日の朝、東京拘置所に向かっていた。 年内(平成)最後の面会同じ日の午後3時半に、私は羽田空港から那覇空港行きの便に乗ることが決まっていた。沖縄移住で、しばらく面会に伺えないため、フライト時刻までの隙間時間で、どうしても年末の挨拶をしておきたかったのだ。 朝9時頃、東京の自宅の退去を済ませ、拘置所に着いたのは10時半過ぎだった。いつものよ

          2018年12月30日 16通目

          私の今年の漢字

          ライター講座の宿題800字 2018年の世相を表す「今年の漢字」は「災」に決まった。日本漢字能力検定協会(京都市東山区)が12日、清水寺で発表した。本行事は阪神大震災が起きた1995年の「震」に始まり、今年で24回目である。「災」は、新潟県中越地震などがあった2004年にも選ばれている。日本の自然災害の多さ、そしてそれが一年を強調するほどの出来事だったのかと改めて気づかされる。 私にとって今年を表す一字は何だろうか。年の暮れにそんなことを考えていた。振り返れば、書く仕事を

          私の今年の漢字

          2018年12月12日 15通目

          随分久しぶりの便りとなってしまった。最初は土屋さんからの返信がこない事が多かったが、最近は私が返信を忘れることが多かった。 私は以前の14通目に、バースデーカードを送っていた(前回のブログで触れた通り)。 そのお礼とともに、彼から絵が届いたのだ。 昨日の取材時、土屋さんから絵の完成を聞かされていたものの(11月27日付ブログ・8回目のこんにちは参照)、到着を待ちわびていた。 先に、土屋さんから届いた手紙について触れておきたい。 2018/11/28 土屋さんから手紙

          2018年12月12日 15通目

          2018年11月27日 8回目のこんにちは

          土屋さんの裁判で、2審(=控訴審。東京高等裁判所)代理人を務めたわたなべ先生の取材を終えた後、私はその足で拘置所に向かい、土屋さんと面会を果たした。 4番面会室 どんな格好をしていたか、すっかり忘れてしまった。今日は少し表情が明るい気がしたのだ。それに気を取られてか、もしくはいつものラフな格好が馴染みすぎてか、どんな服装だったか覚えていない。 そんなことより、土屋さんは入室して立ったまま着席せず、その様子に私は少し戸惑った。何か言いたげなのだ。私は言葉を待った。 「メ

          2018年11月27日 8回目のこんにちは

          死刑囚と繋がりのある人々を訪ねて③土屋和也氏2審弁護人

          土屋和也さんと繋がりのある人々を訪ねて一審弁護人なかだ先生と、自立支援ホームで土屋さんと時を共にした佐藤さんとの取材を終えた。彼の生い立ちや置かれた環境、事件に至るまで、そしてその後を急ぎ足で辿ってきた。話を聞いては出来事を時系列で並べ、その時々の土屋さんの状況に静かに想いを馳せた。私が知ってきたことは未だ上辺でしかないかもしれない。けれど着実に、ひとつずつ事実を知り、土屋さんという一人の人間の記録を一枚一枚綴ってきたつもりだ。 『死刑』という短い言葉で切り捨てられた彼が犯

          死刑囚と繋がりのある人々を訪ねて③土屋和也氏2審弁護人