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死刑囚と繋がりのある人々を訪ねて③土屋和也氏2審弁護人

土屋和也さんと繋がりのある人々を訪ねて

一審弁護人なかだ先生と、自立支援ホームで土屋さんと時を共にした佐藤さんとの取材を終えた。彼の生い立ちや置かれた環境、事件に至るまで、そしてその後を急ぎ足で辿ってきた。話を聞いては出来事を時系列で並べ、その時々の土屋さんの状況に静かに想いを馳せた。私が知ってきたことは未だ上辺でしかないかもしれない。けれど着実に、ひとつずつ事実を知り、土屋さんという一人の人間の記録を一枚一枚綴ってきたつもりだ。

『死刑』という短い言葉で切り捨てられた彼が犯した事件を知り尽くすには、限りある時間の中では不可能かもしれない。けれど、彼の心に踏み入る重さに耐えられる今のうちは、上辺であろうとも、彼の許す限り、彼の心の奥底まで手を伸ばしたい。死刑囚という人間の首に縄をかけるのは私たちである。私は命を奪うための『死刑』を下すことの意味を見出せていない。だから、死刑囚と呼ばれる者たちの辿った道を見つめる旅を続けている。見い出すためなのか否か。それはいつも自分に問うていることである。

次に訪ねたのは、2審(=控訴審。東京高等裁判所)を務めたわたなべ先生だ。

手紙ーわたなべ先生(控訴審弁護人)へ

こんにちは。突然のお手紙をお許しください。私は東京都在住の河内千鶴と申します。土屋和也さんから先生のお名前をお聞きし、彼の件で、先生に取材を申し込みたく、お便りを差し出した次第です。

私は普段、都内に勤めておりますが、2013年末より不思議な巡り合わせで、ある死刑囚と交流をすることになりました。それ以来、ライフワークとして不定期ではありますが、ライター業もさせて頂いております。多くは死刑囚の方々の日常をテーマに、週刊誌や音楽誌等の紙媒体に寄稿してきました。

去年末、縁あって土屋さんと出会い、数回の面会と文通交流を続けています。

土屋さんに接していく過程で、彼と繋がりのあった人々や、彼の置かれた環境を辿ろうと思い至り、取材を開始致しました。

先日、一審弁護人を務められた中田先生の事務所へお邪魔し、聞き取りをさせて頂いたところです。

そこで土屋さんの事件に関して、控訴審裁判の代理人を務められた渡邉先生に、取材のご協力を頂きたく存じます。お忙しい中、申し訳ございません。

もし、お時間頂けるようでしたら、先生のご都合の良い日時に、事務所へお邪魔できればと考えておりますが、都内でしたら場所をご指定頂ければどこでも出向きます。

日々の弁護士業務に加え、このようなお願いをしてしまい大変恐縮ですが、一度返信いただけましたら幸いです。文末のメールアドレス宛でも勿論構いません。何卒、よろしくお願い致します。

秋も深まり、朝晩はすっかり冷え込んできました。風邪など召されませんよう、体調管理にはくれぐれもお気をつけください。

2018/10/31 河内千鶴

メールにて、返信あり

手紙を出した翌日の11月1日、午後20時半頃、2審(控訴審)弁護人から返信のメールが届いた。

私からの便りを受け取ってから、すぐ開封してくれたのだろう。

取材の協力を承諾する内容だった。

「どの程度お役に立てるかわかりませんが」と、とても謙虚な前置きの後、

どのようなことを知りたいのかを事前に教えてほしいという旨を依頼していただいた。

記憶喚起等のため、必要な範囲で記録も読み直したい、とのことなのだ。

さらには、取材の日時までご提案してくれるという丁寧ぶりだった。

私はすぐに、感謝の気持ち添えて、

土屋さんの事件に関して聞きたいことを思いつく限りザッと挙げ、返信した。

2審(控訴審)弁護人の勤務先の法律事務所で取材することが決まった。

法律事務所へー北千住パブリック法律事務所

JR山手線・日暮里駅から、JR常磐線に乗り換え、千葉方面へ一駅進むと北千住駅に到着する。北千住は東京23区の北東部、足立区の南西部に位置する。JR東日本のほか、東京メトロは2路線の乗り入れがあり、さらには東武鉄道(通称:東武スカイツリーライン)や、秋葉原と茨城県つくば市を結ぶ、つくばエクスプレスにも乗り入れできるという、交通の便は極めて良好である。ある不動産会社が統計を取る『穴場だと思う街ランキング』では、2015年から連続1位の座を誇っている(2018年現在)。

北千住駅の西口を出て、商業施設を抜け、右へ数分進んだところにある千住ミルディス2番館。この建物の6階にあるのが、北千住パブリック法律事務所。

ホームページを見ればわかる通り、裁判員裁判に及ぶ重大事件や少年事件等の刑事事件を多く扱っている。

法テラスと協力して運営するなど、幅広い層からの案件を受任できるよう体制を整えていることもうかがえる。

受付で名前と要件を告げ、応接間に通していただいた。広々とした事務所内には複数の応接間を構えており、待合室のような場所も備えられている。弁護士の数を見ても、日々多数の案件を受けているということは安易に想像できた。

ある一室に案内していただき、数分も経たないうちに2審(控訴審)弁護人を務めた、わたなべ先生が入室。

取材を引き受けてくれたお礼を告げてから、早速本題に入った。

取材ー2審弁護人

「今、裁判はどうなってるんでしょうか?」

着席してすぐ、わたなべ先生は私にこう聞いた。

続けて

「私が聞くのも変な話ですが、上告審(最高裁)の先生から、記録を貸してくれと連絡が無いんです」

と不安げな表情を浮かべる。

土屋さんのケースのように、一審、二審、最高裁と国選弁護人が変わる場合、次の裁判を担う弁護人から、前任の弁護人へ、裁判記録を引き継ぐことが通常である。

今年の2月14日に二審判決(死刑)が下され、土屋さん側は上告したわけだが、その後最高裁を務める代理人弁護士から記録を預かりたいとの連絡が来ないということなのだ。

裁判所に問い合わせをすれば、裁判記録の閲覧・謄写は可能であるが、事務手続きに加えて一枚一枚写しを取るのは面倒であるから、前任の弁護人から引き継がれることが多いが、今回は違ったようなのだ。

(※ちなみに裁判記録は公的資料であるため、一般人でも閲覧・謄写が可能性)

その場で私たち二人は首を傾げた。

「土屋さんは放っておかれているのだろうか」

その瞬間、互いに口には出さなかったものの、互いにそう思っていたに違いない。

私は土屋さんから聞いていた上告審代理人のことを知る限り伝えた。
事件の計画性と殺意

事前に記録を読み直してくれたのか、わたなべ先生は私の質問に間をおかず答えてくれる。

裁判の争点となった事や経過、判決に至るまでのこと、土屋さんと繋がりのある方々のこと、控訴審中の土屋さんの内面の変化などを当時を思い出しながら詳細に語った。

わたなべ先生は、本事件の判決文に視点を注ぎながら、『計画性』について異議をとなえていた。

土屋さんが診断された広範性パーソナリティ障害を挙げ、彼の本事件の計画性について下記のように語った。

「被害者の部屋に侵入するまでは念密に計画されていたんです。そのための用具も買い揃え、鍵を開ける練習もし、本番(事件当日)をむかえています。ただ、部屋に侵入してしまってからの計画性がほとんどなかったんです。部屋に入った瞬間、どうすればよいのかとパニックになって何もできない状態で時間だけが経過していた。被害者の家で殺害を犯すまで、数時間潜んでいたんです。護身用に凶器は持っていたのは確かですが、部屋に侵入するまでの計画性に比べて犯行の計画性というのはかなり希薄なものでした」

『計画性』や『殺意』、『責任能力』の有無は、その後の判決を大きく分ける判断材料となる。死刑判決を下すか否かにも、大きく影響する。土屋さんの場合もその三つが問われた。

『殺意』と『責任能力』の有無については、私自身、記録の読み直しや今後の取材で明らかにしていきたいが、

『計画性』について、裁判所は、「犯行には計画性があったと」している。

上記が死刑判決に直結したわけではなく、ほんのひとつの要素でしかない。死刑判決に至るまでにはさまざまな事情が絡んでいる。土屋さんの事件背景を垣間見ても複雑な事柄が混じり合っていることが判る。当然、死刑判決を下すにあたり、判決文記載の通り、永山基準にも照らされた。

私は、事件の計画性について、わたなべ先生の話を聞きながら違和感を覚えた。

裁判では土屋さんの事件の計画性の有無は審議され尽くしているようには思えないのだ。
背を向けない

一時間半が経とうとしていた。

間をおかず流れるように話し続けるわたなべ先生だったが、それでいてまだ、土屋さんに関する自身の記憶のすべてを、語り尽くせていないように見受けられた。

一審弁護人のなかだ先生が言っていた「記録を読むだけで1ヶ月くらいはかかるんじゃないか」という言葉を思い出す。

彼の生い立ちから事件発生、そしてその後を辿るのに一時間半では当然話しきれないのだろう。

そのことを踏まえたうえで、どんなに時間が掛かろうとも、私自身が納得いくまで軌跡を辿らなければならない。その道に背を向けることは、彼を見殺しにすることと同義である。

東京拘置所へー取材の後で

北千住駅から、東武伊勢崎線スカイツリーライン東武動物公園行きに乗り、一駅。私は小菅駅を降り、拘置所で土屋さんと面会を果たした。

15分の面会を終え、自宅に戻ろうと駅に向かう道すがら、色んなことを考えていた。

面会室の遮蔽板の向こうにいる彼は確かに人殺しである。けれど私には極悪人には見えない。強いて言うならば少し内気な人。街にいる人と特段変わって見えないのだ。わたしが話しかければ素直に受け答えをし、何かにつけて感謝を伝えれば謙虚に頷く、普通の人間だ。

なぜ彼は人を殺してしまったのか。

誤解を恐れずに言うならば、私の目の前に居る彼が、凶悪で残忍な殺人者であってほしかった。

この取材から10日後、私は、最高裁(上告審)を努める弁護人に手紙を書くべく、ペンを執った。

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