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2019年3月4日 18通目

先月、土屋さんの最後の職場(前橋市の警備会社)の元上司を名乗る村田さん(仮名)から、ツイッターのメッセージで連絡が来た。土屋さんについて調べていたらしく、このブログにたどり着いたそうだ。

「彼の刑が確定してしまう前に、伝えてほしいことがある」

という旨の依頼だった。

彼と関わりのある数少ない人からの連絡に、まずは驚いた。

以前にも、ツイッターを経由して、土屋さんの友人と名乗る方から連絡をいただいたことがあった。土屋さんは、その友人の存在を「居たような気がする」程度にしか認識していなかった。私と土屋さんの間で、友人を名乗る方の話題が出たのはそれきりであり、顔と名前が一致しているかどうかは今も判っていない。

そのこともあり、上司と名乗る方から言葉を預かったとしても、土屋さんは覚えていないかもしれない。そもそも本当に関わりがあったのかも定かではない。私自身が、預かった言葉に違和感を抱いてしまえば、代弁さえできなくなるのではないだろうか。

と思い、数日間、返信をせずにいた。

けれども、そうした可能性を一つ一つ確かにしていくこと、あるいは潰していくことも取材であり、闇を灯す光ともなりうる。

私はメッセージを受け取って数日後、

「土屋さんは覚えていないと言うかもしれないが、それを承知の上であれば対応ができる」という旨の返信をした。

「彼が覚えてなくても構わないから」

私が返信をして2時間後、村田さん(仮名)から返信が来た。メッセージを開くと目に入ってきたのは、画面の縦半分を埋め尽くすほどの長文だった。

snsのメッセージでは長すぎるほどである。数分でこの分量は考えられない。きっと、私からの返信に気づいてすぐに文章作成に取り掛かったのだろう。

村田さんは始めに、土屋さんとの職場上の関係や、事件を起こす直前に土屋さんと音信不通になるまでのことなどを丁寧に教えてくれた。面接に来た土屋さんの様子や勤務態度、その時に村田さん自身が苦労したことや抱いた感情なども詳細に綴られていた。さまざまな感情がメッセージとして、私の携帯画面から溢れ出るほど詰め込まれていた。

それを見て私は、村田さんからの言葉と思いを、私自身の言葉では代弁できないと感じた。どこにも私の言葉を補う隙を与えないほど、言葉一つ一つが熱を帯びているようだった。村田さんの大切な思いが、伝えたい気持ちが、行間からこぼれでていた。

私は村田さんに、送信してくれたメッセージを抜粋して転送するのはどうかと提案し、了承を得た。そして1週間後、下記の手紙と共に、村田さんの言葉を同封し、転送した。

2019年3月4日 土屋和也さまへ 18通目

こんにちは。約1ヶ月ぶりのお手紙です。

こちら沖縄はずいぶん日が暖かく、日中は汗ばむほどです。拘置所内も、室温管理はされているものの、暖かさを感じられるのではないでしょうか。

さて、この度は、土屋さんの事件の取材進捗をお伝えできればと思っていたのですが、

その前に、土屋さんの警備会社時代の元上司を名乗る方からのお言葉を転送したく、ペンを執りました。

先月末、前橋市の警備会社勤務(今は退職されている)の、村田さん(原文は本名を記載)から「土屋さんに伝えてほしい事がある」と連絡をもらいました。

私のブログを見て、土屋さんと交流していることを知って、頼ってくださったそうです。

私としては、土屋さんと村田さんとの関係がどのようなものであったか、深くは知り得ませんが、村田さんの言葉は、私が代弁できるほど簡単なものではないと思ったため、相談の末、頂いた言葉を転送することにしました。別紙をご覧ください。

村田さんの言葉が土屋さんにとって、何かのキッカケになるのではないかと思い、このような言動に至りました。私の身勝手をお許しください。差し支えなければ、お読みになった感想をお聞かせ頂ければと存じます。

吹く風が春めいてきました。春の訪れを感じながら、日々を大切に過ごしたい所存です。

2019/03/04 河内千鶴

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