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1990年8月 研修の名のもとにソ連・モスクワと各地 06

【まとめ】ミンスク着。まず団体で市内観光。ミンスクの美術館は宝の山でした。一泊の後、移動はここからバスとなる。各地で一泊しながら、目指すはレニングラード。
トイレ我慢し続けてバスに揺られたり、ものすごいトイレ見かけたり、まずはスモレンスクにて一泊。

8月20日(水) 続き  ミンスク

小奇麗な街で花壇が手入れされている。
ホテル・ユーヴィレイナヤ(?)は大通りに面した、そこそこ大きなホテル。
小カジノもある。売店はルーブル払いらしく、ネックレスが10ルーブルくらいだった。
全体で市内を観光。
Помнік Янку Купалуヤンカ・クパーラ像のある公園。
ベラルーシの国民的詩人なのだそうな。

ベラルーシ国立美術館。

作者忘れ。ただ、カッコよかった
「Princess Troubetzkaya」Зарянко С. К.(1816-1870)セルゲイ・ザリャンコ作
「Fyodor Tolstoy」これもザリャンコ作
Репинレーピンの部屋!

他にも
Пeров П. В. ヴァシリー・ペロフ 老人
БасииП.В. 詳細不明
Ярошeнко Н. А. ニコライ・ヤロシェンコ 子ども
Рeпин И. E. イリヤ・レーピン 白いドレスの女性
Сeров В. А. ヴァレンティン・セローフ 犬と女性
などに感銘を受けたらしく、メモっていた。

写真撮るのに夢中になっていたら、係員らしき年配のおばさまに
「ちょっと!」と呼び止められる。邪魔だったかな…と思ったら
「どれ撮ってるの?絵が好き?」と訊いて来たのでとっさに
「ここの絵、みんな、とてもきれいです」と習いたての片言で言ってみたら「そうでしょ、そうでしょ」とえらく喜んでくれて、うちらのガイドがとうに行ってしまったと言うのに他の絵の所に引っ張って行って
「これも撮りなさい、私が好きな絵なのよー」
と力説する。暗すぎてmeのカメラでは写りそうもなかったのだが申し訳なくて、撮ったふりだけした。

夕方、AちゃんとKさんと三人で散歩に。
小汚い川でも、市民が釣りに興じている。河岸は自然に草地になっている。
メダカみたいな小さな魚がみえた。

向こうの方からコリー系の犬がわんわんわんと吠えながら走ってきて、そのまま川の中にじゃぶじゃぶ入っていって、そのまま水を飲んでいる。
思わず一部始終を見守ってしまう。

本屋、20:00閉店間際に入って本を買う。不思議な日本の民話らしき内容。
店員さんはほとんどが女性。背が高く、プラチナブロンド、碧眼、そしてみな美形。
Kさんが、ここでひとつ有益なロシア語を教えてくれる。
「Какая она красивая женщина!
カカーヤアナクラシーヴァヤジェンシィナ」
(何て美しい女性なんだ)
実践で使うんですか?と尋ねたらいやいやいや、とあわてていた。

ホテルの部屋電話と買った果物たち

8月21日(火)
7:00頃 起床。雨がよく降ってうすら寒い。
8:00 朝ごはん。メロンパン、ケフィール、ソーセージ、紅茶
8:30 バスでミンスクを出発。
寒くてトイレが近くて弱る。バスはなかなか止まらないし。

羊なのかヤギなのかよく分からない動物が原っぱにいる。他にも牛、ヤギ、ニワトリなども。

だいぶ行ったあたり、小さな町? 村? にてトイレ休憩。
片隅に3ブース分くらいしかない、掘っ立て小屋的な真っ暗なトイレ。ドアの鍵も壊れている。そして行列。
近隣のおばあさんがやってきて行列に怒って何か言ってたが、みな構わず入っている。

森も抜ける。キツネ、リス、狼もいるそうだが見えず。

バス運転席前には煙草の箱のコレクションが並んでいる。

ラジオはニュースの前に、「モスクワ郊外の夕べ」の2小節が三回流れる。時報は、短い音五回、長い音一回で全部同じ音階。始めは不気味に感じたが、慣れればそんなもんかなー、と。

馬がいた。毛が長め。ヤギもいたがこれも毛が長い。

休憩所のマークが所々に立っている。木がお辞儀してる。
あと、白黒の毛の長いヤギ(?)

11:40頃 Задровьe を過ぎる。
13:40頃 Смоленск スモレンスク郊外のモーテル・フェニックスに着。ここでまた時差調整、14:40となる。
一見、ボロモーテルだが、内部はとてもきれい。
15:00 昼食 キャベツなどのサラダ、黒パン、バター、サワークリームの浮いたスープ、肉とフライドポテト、アイスクリーム、コーヒー。
熱いものはホッカホカ、冷たいものキンキンでとても美味しい。
16:00 バスで市内観光。現地ガイドのИさんはちょっと病弱なジョン・デンバーみたいな雰囲気。

ここは第二次世界大戦前には人口15万、直後は1万にまで減り、現在は33万人以上になったそうな。
医科大、教育大、他3つの大学がある。
ガガーリンはスモレンスク州出身。
時報では郷土の音楽家グリンカのオペラがスピーカーで流れる。等々。

スモレンスク生神女就寝大聖堂というらしい
我らの導き手。添乗員Хさん
スモレンスクを駆け抜けるme
どうせまたトイレ探してるんでしょ

21:00 ジプシーの歌と踊りのショー。

バーにも入ってみる。モーテルの外見とは裏腹に、中はとてもよくできている。
レーベンブロイは300円。BGMのステレオは音が良い。
ツアー仲間のMさん(男性、おとなしくて優しい人気者。教員)はすっかりここが気に入っていた。
その前、ミンスクのホテルにパスポートを置いて来てしまったメンバーがいたのだが、添乗員さんが連絡してくれたおかげで、その後モーテルに着いたドイツ人観光客一向が持ってきてくれて届けてくれた。
ドイツ人たちはとても楽しげで「途中で、西(独)と東と偶然一緒になってさ~」とめっちや盛り上がっていた。だからその時もまぜこぜだったらしい。

陸路予想図

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