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1990年8月 研修の名のもとにソ連・モスクワと各地 05

【まとめ】長く逗留していたホテルを発ち、飛行機でヤルタへ。ここで二泊。プールで泳いだり、お魚食べたり。歴史的にも重要な地であるヤルタ、しかしどこか懐かしい香りのする風景だった。そしてまた飛行機でミンスクへ。

8月18日(土)
5:30 起床
6:00 ロビー集合、バスに乗りВнуковоヴスーコヴォ空港へ。
9:00 離陸。かなり揺れて、特に着陸前に大荒れだった。
11:00 Симферопольシンフエローポリ空港着。滑走路に無事降り立った時には機内に拍手が沸いたくらい。

久々に間近に見る山に感動

こちらの第一印象は、車がきれい。赤玉ねぎ、リンゴなど日本でもなんとなく普通に感じる野菜や果物が売られていた。

なんちゃら発電所

電信柱が多角形で、上に鳥が止まっていると装飾品のよう。

石造りの一戸建てが多い。茶色い牛がのんびり草を食べている。山道はどこか日本を思い出させる感じ。

ヤルタ着。降ったりやんだりだったが、青空も少しみえる。

宿はそのまんま「ヤルタ」
花壇手入れされてる
熱海か!?

海はすぐ深くなる。インツーリストの水上二人乗り自転車貸出もあった。

すぐにホテルのプールに行く。水深2メートルはある。塩水だが目が痛くならない程度。お洒落感はなく、何となく四角く水が溜まっていて、下がコンクリート的にザラザラしていてそこそこ澄んでいる。

Sさんはゴーグルをして、ペースを乱さず黙々と泳いでいる。

昼食、夕食でこんなタラのような味の魚をいただく。あばらのあたりの骨がきれいに三方向(逆Y字)に出ている。

カサゴの仲間かな? とKさん。
味は全体あっさりしていて、油が少なく塩がよくきいているので、口に合う。
しかも、こちらでは水にちゃんと氷が入っていた!
お茶のお代わりを勧めるウエイトレスさんは、ソ連では珍しいとても愛想のいい笑顔の人。

夜半のレストランで、サマルカンドから来た人たちが婚礼の宴会をやっていた。キモノのふたりといたため、おっちゃんらに呼び止められて、強そうなお酒をふるまって頂いた。
「さまるかんど、はらしょー!!」ってはしゃいでいた。

マツヨイグサの仲間?夕暮れに咲く

21:00頃 Aちゃんと夜のお散歩。歩けど歩けど木々ばかり。

部屋のテラスにて
空路予想図
空港からホテル陸路予想図

8月19日(日)
7:00 起床
9:00 散歩。白い犬と黒い犬がずっとついてきた。
シロ! クロ!と呼んで連れ歩く。

だるまさんがころんだ!はい、クロ動いた!

プチツアーで、ヤルタ観光。
Дом-музей А.П. Чеховаチェーホフの家が博物館になっている。

なぜか庭と窓辺の写真のみ

Ливадийский дворецリヴァジスキー・ドヴォレツ。
ヤルタ会談の舞台となったという事で、見学者も多い。

スターリン、ルーズベルト、チャーチルの名が並ぶ
博物館お約束のモップスリッパ、靴の上から
会談会場
中庭
前庭

面白いことに建物外観は写真撮ってなかった。

夜、近くのコテージぽい部屋に高校生くらいの男女が大きな音でロック音楽聴いて騒いでいる。Aちゃんが曲を聴いて、あっ〇〇だ(エアロスミスだったかな)! と。その子らのところに行って話をする。ポーランドから来た高校生だとのこと。エアロスミスのことはアエロスミスと呼んでいた。
いっしょに写真撮ったりなんだり。

ひとり、ツアーメンバーの学生・Y子ちゃんが腹痛と吐き気ひどく、夕食キャンセルする。試しにこれ舐めてみる? と梅エキス渡す。
翌日は良くなったようでひと安心。疲れも出るしね。

8月20日(月)
5:00 起床
6:00 ホテル出発、空港へ。
シンフェローポリ空港の朝食はまあまあ。玉子焼きが厚くて熱々、塩味。底が真っ黒だったのではがして食べる。他のおかずはサケ缶、キュウリ、トマト。

くじら山(仮称)と熱々裏焦げ玉子焼き

市場で果物を買いまくる。どれもだいたい1キロで3ルーブル(75円)。ゆでトウモロコシはもちもちした、昔の日本によくあったタイプ。

11:00 オンボロ飛行機(ごめん)でミンスクへ。
13:30頃 минскミンスク着。で、時差があるということで12:30に直す。
空港から市街地までハイウエイをバス移動。のどかな風景が広がる。

空路予想図。
誰かが「今、ちょうどげんぱつの上空くらいですよ」
と小声でおしえてくれて、
ざわつきながら下を見る
空港からホテル陸路予想図

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