見出し画像

「五能線とドリームハラスメント」

新青森から東京への移動で乗った新幹線で、その青年はたまたま私の席の隣に座った。

私は大人1名、小学生1名の2名分しかチケットを購入しておらず、2歳の息子を空いた席に座らせ、3人席を占領していた。その青年は、小学生の息子が現在座っている窓際の席のチケットの持ち主で、彼は窓際の席に座る権利を持っているのだが、青年は気を使ってくれて、息子に窓際の席を譲ってくれた。
見た感じは17,18歳の大学生くらい、きちんとした礼儀正しい、育ちの良さそうな青年だった。
その日は大雪の影響で、新幹線が午前中から止まってしまい、新青森の駅は出発をできなかった人たちで溢れかえっていた。

駅の売店では、お弁当、などはもちろんのこと、サンドイッチ、おにぎりなどの軽食も全て売り切れ。お店側も大雪のために食べ物の商品補充もできず、買いそびれてしまった人は、お菓子やおつまみを購入し、運行の再開を待っていた。
午後一時過ぎに、ようやく運行は再開し、私と家族は東京行きの車両に乗り込むことができた。

青年も同じ境遇を新青森駅で味わい、たまたま席が隣り合わせになったので、
「今日は大変な1日でしたね」、と労いあった。
聞くと、青年は東京在住の高校生で、冬休みを利用して、一人旅をしているという。

なんとか確保したお弁当を食べようとしていると、青年は何も調達できなかったようだ。居たたまれなくなったのと、窓際の席を譲ってもらったお礼として、
軽食を渡す。
お礼に青年からお菓子をもらう。そういった交換をしているうちに、
青年の旅の目的を教えてもらった。


「五能線」という秋田と青森を結んで日本海沿いに走る鉄道があるらしいのだが、青年はわざわざそれに乗りたくて東北を旅し、津軽海峡を結んでいた、青函連絡船の展示を見て、そのあとは仙台を周遊するという。
五能線の感想を聞くと、目を輝かせながら、「もう、うわーっていう感じで写真を撮るのも忘れるくらいでした。」と彼の感動がそのまま伝わってくるような、熱を帯びた説明をしてくれた。
やりたいことがあって、それを実現するために計画を立てて実行する行動力に、しっかりした高校生だなぁと感心した。
礼儀正しく、自分の好きなことに向かって行動して実現する、とても好感が持てる青年だった。さぞ将来のビジョンもしっかりしているのだろうと思い、何気なく「将来やりたい事とか、決まっているの?」と尋ねた。
青年「まだ、決まっていないんですよ」
私「そうか(意外だな・・・)、旅が好きだったら、そういうことが仕事につながるといいね」
と、それで会話は終わり、旅行を終え、すっかりそのことは忘れていた。

しばらく経ったある日、自宅で新聞を読んでいると、現代の若者について考察した記事が掲載されていた。
若者の中には「君の将来の夢は何?」こう聞かれることにうんざりしている人たちがある一定数いる、という。
自分の将来に希望を持てない、これからの世の中が良くなっていくとは思えない。
そういう環境に置かれていて、世の中が悪い方向に向かっていることを肌身で感じているのに、夢なんて見る余裕はない、放っておいてほしい、そう感じている若者が少なくはないそうだ。
そういう人々に「夢は何か?」と聞くことが、ハラスメントであると、、、、
その行為を称して「ドリームハラスメント」と定義するらしい。

私はその記事を読んだ時に、新幹線で同席した高校生の青年が、私に質問された時に見せたちょっとした逡巡、
そして「決まってない」と答えた時の、申し訳なさそうな素振りに、
子どもは夢を持っていて当たり前、という大人側の思い込み。
期待に応えられず申し訳ない、この大人は、自分のことを、「なんだ、つまらない奴だ」と思っているんだろうな、という感覚を味あわせていたとしたら、
なんと申し訳ないことをしたのだろうかと、悔やんだ。

思い返せば、無邪気に、そういった言葉を投げかけてしまったことが今までも何度もあったであろう。

時代が違うから、夢が持てないのではない。

自分も周囲の大人たちから、何回も同じことを言われすぎて、大人が欲しいと思うよそ行きの答えを言っていた気がする。
言われすぎて、「またかよ・・・・」と思っていた感覚を思い出す。
大人が期待するから、よそ行きの答えをしているうちに、本当の自分を見失って、無理やり夢があるように思い込んでいた昔の若者もいた。


時代が違うから、若者のことがわからないのではない。
10代の世代の感覚を、「傷つきやすかった心の痛み」を心に呼び戻す事で、
大人は若者に歩み寄れる。自分の体内の時間を自由に動かすこと、過去や現在、そして未来の自分へ。
それが他者への理解への一歩へつながるのであろう。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?