ヒタカミのホツマ旅(秋田・番外編2)~三皇熊野神社
この記事は2019年(令和元年)8月に青春18きっぷを使い、東京から仙台、秋田、青森を巡ったときの記録です。「ヒタカミ」とは古代東北地方の呼び名で、「ホツマ」とはホツマツタヱという古代文献の略です。
三光(日・月・星)をお祀りする三皇熊野神社へ
太平山三吉神社総本宮の次に参拝したのが三皇熊野神社です。こちらは本宮(旧三皇神社)と里宮(旧熊野神社)があって、僕が案内してもらったのは本宮の方。
御祭神としてお祀りされているのは、主神が天照皇大神(あまてらすおおみかみ)、伊邪那岐大神(いざなぎのおかみ)、伊邪那美大神(いざなみのおおかみ)、須佐之男命(すさのおのみこと)、配神が稲荷大神、八幡大神です。
社殿によると、、、
創立年月日不詳なれども、再建は桓武天皇の延暦年間(延暦23年 804年頃)征夷大将軍坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)が竹原三光の神に祈誓して高清水の丘に向って矢を放ったと言われており、賊を討った報賽として社殿を再建したという。
引用:三皇熊野神社HP
明治44年(1911)に三皇神社と熊野神社が合祀して三皇熊野神社へ。江戸時代以前より「日・月・星」を三光大神としてお祀りし、御祭神を総称して三皇熊野大神(さんこうくまののおおかみ)と呼んでいるようです。
坂上田村麻呂の名前がこちらの神社でも登場しますね。中央政府(朝廷)と蝦夷の争いの「記憶の断片」が各地に残っていることが分かります。
熊野神社は全国に約3千社あり、その総本社は熊野三山(熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社)です。熊野三山を含む「紀伊山地の霊場と参詣道」が世界遺産となってますよね。登録されたのが2004年7月なのでもうすぐ16年。早いですね~。と、まだ行ってないので、これを書きながら無性に行きたくなっちゃいました(笑)
御祭神の一柱となっている伊邪那美大神(いざなみのおおかみ)が亡くなり埋葬されたのが熊野の有馬という場所です。日本書紀にも記されていますし、ホツマの5アヤにはこう記されています。
イサナミが亡くなった後、このように続きます。
イサナミは アリマにおさむ
はなとほの ときにまつりて
コゝリヒメ やからにつくる
イサナミ(の亡骸)を有馬に納め、
「花と穂のときに祭るように」と、
ココリ姫が一族に告げました。
※ココリ姫とは菊理媛のこと。イサナミの夫であるイサナギの姉です。
※やから・・・一族、親族
この場所が三重県熊野市有馬町にある花窟(はなのいわや)神社だと言われています。
いい意味で敷居が低い日本の神様と人の関係
手水舎で手と口をすすぎ、
参拝のご縁を頂いたことへの感謝をお伝えしました。
その後、境内を見て回り、他のお社にも手を合わせていると、「車で待ってるから」と言っていた従姉(いとこ)が拝殿に手を合わせていました。
神社の神様に手を合わせるのは、他の国の人が神様に祈るより、簡素、いい意味で敷居が低いなあと思います。神様と人との距離が近いんですよね。こうやってほとんどの地域に神社があって、ふらっと入って手を合わせることができる。
これって日本人は当たり前のようにやってますが、素晴らしいことだなあと。いつからかある特定の神社を「パワースポット」と呼ぶようになりましたが、僕はあまりこの呼び方が好きではないんですよね。
大きい小さいに関わらず、どの地域にも神社があって、一番大切なのは自分が住んでいる場所にある氏神様や生まれた場所にある産土(うぶすな)様。前の記事でも書きましたが、神様の世界にもネットワークがあって、一番の仲立ちをしてくれるのが、この氏神様や産土(うぶすな)様だと言われているからです。
日頃から感謝をお伝えしていると、
「うちの地域に住んでいる〇〇という人がそっちに行くからよろしくね」
と旅先の神様に伝えてくれているかもしれませんね。もちろん、それありきで参拝するのはどうかと思いますが(笑)
神社に行くというのはもっと深い意味があるし、日本人は感覚的にそれを知っているのだと思います。神社にあまり興味がなく「暑いから車で待ってるね」と言っていた従姉(いとこ)がフラっと車から出てきて、なんとなくだけど参拝したくなるように。
この後、もう一社案内してくれました。次の記事で書いていきますね。
三皇熊野神社のHPはこちらになります。
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