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人生は春夏秋冬。人生100年時代を考えてみた

私の住む田舎は、朝夕とだいぶ涼しくなってきました。



日中の蝉の鳴き声はあまり聞こえてこなくなり、夕方からコオロギの合唱がはじまり、少し寂しい気持ちになります。

1年の中で特に8月の終わりは、「あぁ~、もう今年の夏も終わりか・・・」と、哀愁を感じます。これから日がだんだん短くなり、9月秋分の日を越えたら3ヶ月後にもう年末。


私をひとり置き去りにしたまま、時間は勢いよく過ぎ去っていくみたいで焦りも感じます。


私だけでしょうか?
毎年、夏の終わりには哀愁を感じ、冬の終わりになるとウキウキしちゃうのは。冬はお正月過ぎたあたりから、「も~、寒くて縮こまってるの飽きちゃったよ~」となり、暗い地中に生息する草花のように、暖かい春を心待ちにしているのです。


ちなみに、春と秋の終わりは淡々としていて、
「暑くも寒くもない気持ちいい季節って意外と短いのよね~」くらいの感覚です。


※ ※ ※

ところで、この春夏秋冬の四季。
古代中国では、人の一生を年代ごとに春・夏・秋・冬に例えて考えられていました。 


春(青春) 15 ~ 35歳 
夏(朱夏) 35 ~ 55歳
秋(白秋)    55歳~
冬(玄冬)    0 ~  15歳

※年齢の幅は諸説あり

赤ちゃんから少年期(0~15歳)を春ではなく、冬としたところに老練された古代中国思想の玄妙さに、ハッとさせられ気づいたことがありました。


この年齢区分を見ると、私の人生は今、夏(赤夏)の時期にあたります。実りの秋(白秋)には、まだまだ時間があるではないですか!てっきり、私の人生の春(青春)は学生時代にとっくに終わり、晩夏を過ぎて初秋に足を突っ込んでいると思っていました。


私の人生は、まだ夏か・・・。
四季の中でも夏は、生命エネルギーが最も高い時期。企業経営の成長曲線に例えると夏は成長期。エネルギッシュに挑戦、開拓、発展していくイメージがあります。私は、まだ育ちざかりってこと?


正直、秋は経験の集大成、成果の収穫という意味もあるので、四季の中では秋が一番魅力的に感じていました。人生の秋が長いのは大歓迎(笑)。

でも今は、人生100年時代。


私が100年生きると仮定して、55歳からが秋の収穫期となると、死ぬまでの残り45年間も実を収穫している計算となる。普通に考えてそんなの不可能じゃない?! その頃、大量の実がちゃんとなっているのかしら?と不安になる・・・


だったら、夏の時期を55歳 →75歳!に引き伸ばして現役期間を長くするか(年金の繰り下げ受給の考えと一緒だ)、もしくは、55歳くらいにはFIREできる状態にするか。どっちもアリだし、他にもいろいろと選択肢がありそうです。


でも、よくよく考えたら100年どころか、日本の平均寿命の84歳まで果たして自分は生きているのか? 明日寿命が尽きる可能性だってゼロではない。自分の寿命なんて誰にもわからないし、いくら考えを巡らせてもしょうがない。

どっちに転んだとしても、

私は、人生の夏の時期をどう生きていきたい?


今年の夏休みの宿題として、マジメに考えていきたいと思います。


井上陽水の「少年時代」を聞き入っていたけど、
夏の終わりの哀愁に浸ってる場合じゃないと、コオロギの鳴き声をよそに思った晩夏の夜でした。




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