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『違和感が消えるとき』

誕生日を迎えました。たくさんのお祝いコメントありがとうございます。

今朝は、なぜか胃カメラを飲んでいました。日程上、そうなってしまいました。何か胃に問題が出たわけではなく、バリウムと下剤が嫌なのでそうしたのですが、結局、バリウムで引っかかった場合、胃カメラで再検査するわけだし)その検査の際に飲んだ喉の麻酔薬の違和感が、既に一日を経過した今もしつこく残っています。風邪の際の喉の痛みによく似た、突き上げてくるような感覚です。

『違和感は、理想の自分への道しるべ』という言葉があります。

誕生日に起こった違和感。これは何かの啓示かもしれません。
偉人たち、たとえば夏目漱石や宮沢賢治といった文豪たちは「違和感」で職を捨てたり、生活そのものを変えてしまっています。

考えてみれば、これまでの道のりは振り払っても、振り払ってもまとわりつく「違和感」の払拭のために歩いてきたようなものでした。

「自分とは何者なのか」
「ここではないどこかに行きたい」
「どうしてコピーライターになれないのか」
「どうして組織の壁を越えられないのか」
「自分は本当にクリエーティブなのか」
「今いる場所が、なぜか安住の地ではない気がする」

そんな違和感をいつも感じながら、どこかでタイムリミットの秒針の音が響いている気がして、焦りながら夢中で走ってきた約20年でした。

そして、今もずっとその違和感が続いています。

理想と現実のギャップ。あるべき姿はどこにあるのか?
答えはいまだ霧の中です。

でも、ひとつだけぼんやりとですが、その違和感に打ち克つ方法が見えてきました。

それは、「新しいことを(無理やりにでも)やる」ということです。

落ち着いて、斜め上空から自分を俯瞰で見る視点を捨て、ただ目の前にある「新しいこと、どうやったらいいかわからないこと」と格闘し、没頭する。恥をかき、涙する。

その瞬間、違和感は消えるのです。

今年は、本を出版しました。それを「届ける」ためにコロナのリスクをすり抜けながら多くの方に会いに行きました。仕事で行くことのない場所、行ったことのない街、そこでしか会えない人たち。

その邂逅を繰り返すうちに、もう一つ違和感が消える瞬間に気づきました。

「想像もしていなかった自分への要請に出会うこと」です。

自分が大事にしている肩書やテリトリーや予想をいい意味で裏切って、誰かに新しい何かを頼まれる。やったことないし、やれるかわからないけど、その人は「あなたならできる」と思って依頼してくれている。二つ返事で引きうけて後悔する。どうしていいかわからず嗚咽する。

でもその時また、違和感は消えるのです。

誕生日にやってきた「違和感」。

それはこの先、まだまだ「できるかどうかわからない事をしろ!」

という掲示のような気がしてなりません。こんな世の中じゃ、誰だって守りに入りたくなります。

でも。生きている限り、僕らは途中です。まだまだ終わらない

この一年はさらに自分にフェイントをかけながら、新しく楽しく生きていこうと思います。

それではこの道の途中で、皆さんと思いもよらなかった愉快なことを一緒にできますように!

2022年9月22日
作詞をしながら眠りにつく。
勝浦雅彦

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