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マイノリティ思考 マイノリティでい続けたことでできた考え方

20年前、僕は日本からアメリカに来た。最初の5年間は日本の会社のアメリカ支社で働いた。だから、周りにも日本人の同僚もいたし、日本にいる日本人とのやり取りもあった。自分がマイノリティと感じることはなかった。そして15年前、純アメリカの会社へ移った。日本人の僕はとてもマイノリティとなった。周りに日本人がいることは殆どない。もともと内向的で話し下手で、それでいて寂しがり屋のところがある自分には、アメリカの会社で働くのは、向いていないと感じることもあった。ところが15年間アメリカの会社で働いてみると、とても居心地よく、楽しく働けていると感じるようになった。マイノリティでい続けたことでできた考え方があった。

はみ出していて当然

ソーシャルアワーなどで大勢の同僚たちと話していると、僕一人だけが’英語のジョークについていけないことがよくある。どこがおかしくて、みんな笑ってるのだろうか? 
グループを作って日常会話をしていると、話についていけず、あるいは、話についていくのが面倒くさくなり、いつの間にか自分の空想の世界に入る。ふっと我に返ると、皆が何の話題で盛り上がっているのか?まったく分からないことがある。こんな時、マイノリティであることを都合よく利用して言い訳する。マイノリティだから仕方がない。はみ出していて当然!

しかし、冷静に考えてみると、実は僕には、日本人同士で日本語で会話していても全く同じ傾向がある。大勢で集まって会話をするのが苦手だ。日本語なのに大勢の会話についていけないことも、頭がつかれるからか、無意識のうちにあえて会話についていかないようにしていることさえある。まだ日本にいた若い頃は、そんな内向的な自分が嫌で、周りから孤立することが怖くて、あえて痛々しく陽気で外交的なキャラを演じていたこともあった。

そんな大勢での会話が苦手な僕も、人間嫌いと言う訳ではない。1対1や3人くらいまでの少人数で話し合うことは大好きだ。先週も先々週も1人ずつの同僚や後輩を連れ出して、ランチに行って、1対1の対話を楽しんだ。少人数の環境で、仕事やプライベートなことを深く話すのが大好きだし、自分にとってとても有意義な時間になる。

英語だから、マイノリティだから自分ははみ出しているんだと思ったが、英語だから、マイノリティだからは、単なる気づきのきっかけだった。それは自分の気質だった。自分の気質に合っていない状況下にいる時、「はみ出している」と感じるのだ。アメリカでマイノリティになって、孤立することは避けられないと吹っ切ったことで、「はみ出していて当然」と素の自分を認めることができるようになった。

結局、どんなに均質な社会にいたって、人はそれぞれ違う。多かれ少なかれ誰もが、どこかではみ出していて当然だ。同調圧力で窒息しそうになったら、「はみ出していて当然!」と開き直って、自分にとって心地よい道を選ぶ自分を認めてあげれば良いんじゃないかなと思う。


案外、人はついてくる

自分はマイノリティだからはみ出していて当然! 周りの皆が自分の思い通りにならないのは当然! 周りに期待しすぎない! と割り切ると、面白いことに、案外、人はついてくる。助けてくれる。応援してくれる。

マイノリティの僕が偉そうにユニークな意見を言っても、誰も聞き耳を向けてくれないのではないか? マイノリティが目立てば、アメリカ人から見たら面白くなく、潰されるのではないか? そんな風に恐れたこともあった。

でも、自分にできることを一生懸命にこなし、ギバーに徹して、チームやプロジェクトに貢献し、信頼貯金していれば、驚くほど、人はついてきてくれる。ここぞという時に助けてくれる。応援してくれる。

日本にいて、自分がマイノリティと意識することが全くなかった頃は、社員が一丸となって協力し合っていくのは当然と思っていた。周りの皆が自分の思い描いた通りに働いてくれることを期待した。そしてその期待が裏切られると腹を立てた。上手くいかないことを周りのせいにした。

多様性を受け入れているアメリカの会社で、マイノリティになって気付かされたことだった。周りの皆が自分の思い通りにならないのは当然! 周りに期待しすぎない! と割り切る。そして自分のできることに集中する。すると、面白いことに、人はついてくる。助けてくれる。応援してくれる。


成長にはトライ・アンド・エラーしかない

アメリカでマイノリティとして働いたら、事前に全てを熟知してから実際の行動へ移すなんてことは、まったく無理となる。失敗したり、途中で頓挫することは当然!と割り切った覚悟で、とにかく行動を起こすしかない。ところが、このマイノリティだから、訳わかんないんだから、失敗して当然!と割り切ることが、トライの数を激増させる。当然、トライの後のエラーも激増するが、この激増したエラーが自分を成長させる。時には飛躍的に次元上昇させる。

アメリカでは周りもマイノリティだらけだ。そして、これらのマイノリティがとんでもないトライ・アンド・エラーをやらかしている。周りのとんでもないエラーに比べたら、自分の負ったリスクや実際に起こしてしまったエラーなんて可愛いもんだと感じさせてくれる。

日本にいた時も、僕はとてもラッキーなことに、自分の人生にとって譲れない大切な挑戦には、リスクを取って挑む機会に恵まれた。それでアメリカに赴任し、その後、20年間アメリカで働くことができた。それでも、日本にいた頃は、失敗して上司に怒られることに怯えていた。失敗を恐れて行動に移せなかったことがたくさんあった。今、思い返せば、もっともっと行動に移せたはずだ。

アメリカに来て、マイノリティだから失敗して当然!と割り切り、より多くのトライ・アンド・エラーができるようになった。そして経験したエラーが大きければ大きいほど、それが成長につながった。今ではトライの結果、エラーを起こしてしまうと、そのエラーが、今後の自分にどのように影響するか?ワクワク感をさえ覚えるのだ。


どこにいたって大切なマイノリティ思考

人は誰でも、どこか他の人とは違う。誰もが、どこかでマイノリティだ。どこにいたって、これらのマイノリティ思考は、自分を認めて、本当の自分の人生を生きるためには必要だと思う。



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