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『やりたいこと』の原点は自分だろ

noteは自己紹介系の記事は伸びる。
それは、自己紹介とはその人の記事でしか読めない内容で希少価値が高いだと考える。

(昨日、そのことを意識して書いてみたがやっぱり毎日投稿の記事なの中でもたくさんの反応があった)

だって僕以外の人が
『お前は地元の友達の影響で5歳からサッカーしたんだよね』
『ゲストハウスしたいから休学して店長をしているんだよね』

って言ってもないことを説明しだしたら怖い。怖すぎる。

自分以外の人間が僕の趣味嗜好を全部知っているわけない。

だから、自分のことについてはどんなベストセラーのビジネス書にも載っていないほど価値のある内容なのだ。

だから、僕も他の人が投稿した『自己紹介系』の記事は気になってしまって読んでしまう。

『どんな人が一体どんな思いでnoteを始めてたんだろう、』と。

所謂他人の『原点』が気になるのだ。

そして他人の原点を読みまくって分かったことは原点には2種類いるということである。

それは『誰かせいで』か『誰かのために』の違いだ。

その違いについて今日は書いていく。


1:誰かのせいで

noteを書いている人は、何か自分で『やりたいこと』を見つけて行動している人が多い気がする。

でも、『やりたいこと』を見つけるのは大変だ。
僕も大学時代ずっと探してきた。

どれだけ考えても見つからない『やりたいこと』を見つけた人がどうやってその想いに至って、現在何をしているかはやっぱり『やりたいこと』が見つかっていない側にとっては気になってしまう。

僕もこういう人達がどうやって『やりたいこと』を見つけたのだろう、と気になって読むが個人的に残念な『原点』人がいる。

それが『誰かのせいで』の人達だ。

『大学に行ったら授業中携帯ばっかいじっている連中がたくさんいて、このまま同じような将来を歩みたくない』
『毎朝電車に辛そうに乗りながらまで社会人になるのが嫌だ』

と言った理由で『だから行動した』という人がいるが僕はいまいち共感できない。

なぜなら『他人影響がなければ行動しないのか』と思うからである。

大学に行ってみんな真面目に授業受けている環境だったら、みんな笑顔で会社に行くのが楽しそうな電車風景だったら、今の活動をしていないのかと疑問を抱く。

誰かのせいにして自分の選んだ道を肯定したいだけじゃないのか、と言いたい訳ではなくせっかく自分で考えて選んだ生き方を僕は誰かのせいにしてほしくないのだ。

だってどれだけカッコいい活動をしていようが、その理由が他人のせいにしていたらかっこ悪いじゃないか。

2:誰かのために

僕はこの『誰かのために』という理由でnoteや今の学生店長という仕事をしていたりする。

別に僕が良い奴だとかを書きたいわけではない。
ただ、なぜその想いで今の活動をしているかの説明をさせて欲しい。

大学3~4年生になると人生の1番といって程のイベントがある。

就職活動だ。

みんなこのイベントがあるから普段考えないような問いに強制的に向き合わなければならない。

『僕は何がしたいんだろう』
『何でこの仕事がしたいんだろう』
と自分に『WHY?』と言い続けて正解を探し続ける。

そうやって将来のことについて頭を悩ませているタイミングで僕のような大学を休学して店長をしている『生き方』は参考になるんじゃないか、と考えたのだ。

頑張って探したけど『やりたいこと』が見つからず休学しようかなと考えている人、就職という選択肢しか本当にないのだろうかと新しい道を切り拓こうとしてる人、そんな人の為に僕の活動は参考になるはずだと想いnoteで発信を続けた。

これは完全に自己満足の活動だ。

本当にこの記事がそういった人の新しい挑戦のきっかけ作りになっているかは分からない。

でも、別の自分がしたいことが結果的に『誰かのため』になっていたら嬉しいという感覚である。

ここで、『別にお前の記事なんて為になってねぇよ』と思われても構わない。

やりたいからやる、行動する『原点』はそれだけで十分じゃないか。

以上が僕が考える『原点』の2種類のパターンである。

別にこれは僕の個人的な意見だから『誰かのせいで』と『誰かのために』どちらを行動の糧にしてもらっても構わない。

ただ、どうせ『やりたいこと』が見つかって行動していくなら行動理由を『誰かのせいに』するのではなく『誰かのために』行動して欲しいと思う。





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