一生『普通』でいなよ
『普通』とは何か?って一度は考えたことあると思います。
普通の生活。普通の日常。
普通の学校。普通の仕事。
普通の人間。普通の人生。
『普通』ってなんなんでしょうね。
僕なりの普通の答えは『多数派か少数派かを測るための基準』だと考えていました。
今では大学生で割と自分の好きなような時間の使い方をすることができていますが高校生はまでは集団行動を強いられていました。
その中で皆より劣る人は『普通』じゃないと認定されるし、皆より優れすぎていても『普通』じゃないと言われます。
結局、『普通』とは僕たち人間が人を見分ける際に社会が作り上げた『基準』なのではないかと思うんです。
私達はその『目には見えないもの』の存在、『言葉にはできないもの』の存在に大いに頼って生活しています。意外とね。
可視化できない『普通』という存在に悩まされています。
『普通』より劣っていたら少しでも克服しようと努力します。
『普通』より優ってたら少しでも皆の期待に応えようと無理をします。
そうやって本当の自分とは違う行動を強いられています。
強いられる行動は苦しいですよね。
ここで疑問に思うのがなんでみんな『普通』になろうとするのかということです。
普通の男性は、普通の女性は、と言われますけど必ず生きていたら必ず『ダメ』な部分があると思うんです。
そもそも『普通』は社会が作り上げた幻想でこの世界には『普通』の人は1人もいません。
それなのに勉強できないのにできるように強がったり、運動が苦手なのに得意教科のように振る舞ったり、『普通』の社会ではなりたい『自分』で溢れかえっています。
そうやって皆少数派にならないようにと頑張って取り繕っています。
でも、いくら頑張っても取り繕うとする努力は続きません。
そうやって自分に劣等感を感じて、僕たちは毎日他人の目を感じながら生きています。
ここまで書くとなぜ、そこまで人は『普通』にこだわるのかが見えてきました。
皆が『普通』にこだわる理由は『人と繋がりたいから』だと思います。
単純に友達が欲しいのです。
だから僕たちは分母が多い方に所属することで『仲間ハズレ』を防ぎたいのです。
なのに人と繋がる為に『普通』を利用して人を取捨選択するのは間違っていると僕は思います。
前途した通り、皆必ず『ダメ』な部分があります。
だからこそ『ダメ』な部分を『普通という基準』に照らし合わせず
素直に『ダメ』と笑い合える環境が僕は本当の『普通』だと思います。
背が小さくても『お前は小さいなぁ』
体重が重くても『お前は重いなぁ』
勉強ができなくても『お前は本当にバカだなぁ』
ってその人の『ダメ』な所を否定せず『受容』しましょうよ。
なんならもっと『ダメ』な所をダメにしましょうよ。
そう、僕たちにはその人にしかない『個性』があります。
『個性』という凹と凸があるから私達は交われるのです。
欠点があるから、完璧ではないから、誰かに魅せられます。
そうやって私達は補いながら生きているのです。
決して仲間外れをする為ではありません。
こうと分かったら自分の『ダメ』な部分を取り繕うのを今日からやめちゃいましょう。
自分がいかに『ダメ』な人間かを世間に曝け出しましょう。
カッコつけず、世間の目を感じず、心の矢印が向く方へただ従順に。
『普通』で人と繋がれるなら一生『普通』で良いよね。
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最後に僕たちがコロナ禍ですべきことは
人を取捨選択をするのではなく『普通』な社会を作ることではなく
人と繋がる為の受容する『普通』な社会を作ることです。
『お前がかかった』『近づくな』といった魔女狩りではありません。
僕たちはもっと助け合って、補いあって生きていかないといけないんです。
だってみんな『ダメ』な部分を持った人間なんだから。
みんなそのことに気づいて、幸せになれば良いのにね。
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