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一生埋めることのできない『心の穴』

僕は人生であまり泣いた経験がない。でも高校の時部活で泣いたことがある。そのことについて今日は書いていきたいと思う。今日のお題は『過去』についてだ。

僕は5歳の頃から地元のサッカークラブでサッカーを初めてずーっと飽きることなく続けてきた。負けず嫌いで練習にも早く来てたし、『努力次第でなんとかなる』って中学の時は本当に信じて毎日練習していた。

そして、正月とかにテレビで流れる高校サッカーの全国大会を見て自分を同じピッチに立ちたいと思うようになり、家の近くで当時たまたま県ベスト4になった高校に入学をすることに決めた。

中学の時、地元ではリーグ戦優勝したりと狭い地域ながらそこそこの戦績を残す活動をしていたので高校でも『なんとかなるだろう』と思っていたけど現実はそんなに甘くなかった。Jのクラブやサッカーの推薦だけで高校に入るやつもいてレベルが違った。『こんな奴らとレギュラー争いするのかよ」といきなりお先真っ暗になったのを今でも覚えている。

それでも僕は諦めず『無名だからこそ絶対に負けない』と心に決め努力をし続けた。サッカー日本代表の長友選手の体幹メニューを上級者10回と書いてあるメニューを30回3セットしたりバカみたいな努力を続けていた。全てはスタメンになって全国で優勝するために。

その努力が実ったのか1年生で無名のチーム出身ながらも夏ぐらいから上級生の合宿に呼ばれたりAチームの試合に出られたりするようになった。(1年生は45人くらいいたけどその中で5人だけ上級生のチームに上がれた)

しかし、僕の高校サッカーはここで終わった。

上級生の試合になるほど相手チームのレベルも上がる。最初は上手く試合に出ていたんだけど徐々に『僕の心』は削られていった。1年生同士の試合ではなかったが僕の動きが悪かったりして試合に負けた時先輩に胸ぐら掴まれたり泣くくらいまでボロクソに言われたりした。

チームレベルが上がるに連れて頭も疲れるし(パスを右足に出すか左足だすかなど)僕は急にレベルが上がった環境にいっぱいいっぱいになってしまった。(村で地道に努力をした勇者が村を出た瞬間魔王に遭遇してゲームオーバーみたいな感じ)

本当はいつもなら反省をして『よし負けるもんか!』って努力をしようとしてたんだけど自分の技術のなさや毎日のように怒られている自分がいて完全に『自信』を失った。

高校サッカーで全国優勝するために毎日練習してその手段として1年生で上のチームの試合に出られるように頑張ってきたのに『自身』の喪失から目標が『監督や先輩に怒られないように』『試合で良いプレーするように』と目標がとても小さくなっていってしまった。

ゆくゆくは監督が見ている時は『ここでミスしたら試合に出られなくなる』などつまらない事を心配するまでするようになっていた。

そんな『小さい目標』を抱えるようになった僕は当たり前のように活躍できなくなり『試合に出ることが目標』だったので試合に出ても『その後』の事を考えておらずチャンスをもらっても活躍できないの繰り返しだった。

そうなってからはあっという間で最後の選手権も試合に出る事なく終わってしまった。毎週100km近く走っていたのも、5時に起きて自転車で40分ぐらいかけて朝練したのも『全国出る』から『人に認めてもらう』が為に過ごしていた。

最後の試合に負けた時皆泣いていたが僕は悲しくはなかった。でも、皆が泣いている姿を見て急に涙が溢れ出てきてしまった。

『俺は3年間何をやってきたんだと』

悔しさばかりが心の底からマグマのように煮え返り、その熱を冷ます為に涙がボロボロで出てきた。『なんて中途半端な3年間なんだ』といくら悔やんでもあの時間は帰ってこない。

試合に出られなくなったのも『自分の器が小さくなった』のが原因のせいなのに環境のせいにして『きっと公立高校なら試合に出られた違いない』と自分に言い聞かせその『逃げ』にすがるかように大学でサークルに入ったけど『空いた心の穴』は一向に塞がらなかった。(案の定1年生から試合に出て全国大会行くようになり、キャプテンになったけど満足できなかった)

21歳になった今でもこの心に空いた穴に苦しめらたりする。やり直せるならやり直したい。でもいくらお金を払ったところであの時間は絶対に帰ってこない。

だから僕はもう後悔したくない『人生』を歩みたいのかもしれない。今でもあの時失った心のパーツを探し続けているのかもしれない。

もう2度と『ああ、やっておけばよかったなぁとふざけた事を言わない為に』

次流す時は『嬉し涙』が良いなとつくづく思う。


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