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俺ら(katotoorera)の政治信条〜人権と文明的な所属について〜

 大和民族は彼らは人権に賛成するとも、賛成しないとも言わない。けれども、彼らは人権に反対する人間を妨害したり、糾弾したり、ナチスと侮辱し始める。以下では、俺は人権と文明的な所属に関する話法について提示する。

画像:https://unsplash.com/photos/9RbdjQ3nCEk

1章 人権と文明的な所属

 俺の認識 もしある対象がその対象はキリスト教徒の西洋文明に所属していると宣言しないならば、その対象は人権を信仰していない。

 もしある対象がその対象はキリスト教の西洋文明に所属していると宣言しないならば、その対象は人権を信仰していない。その対象は人権の賛成者でない。つまり、もしある人間が「俺はキリスト教の西洋文明に所属している」と宣言しないならば、その人間は人権を信仰していない。人権主義者であるためには、文明的な所属に関する「宣言」が必要である。

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上記のように、大和民族は人権に賛成しているように装う(ここでの装うはごまかしや嘘に近い)。しかし、彼らは彼自が人権に賛成しているとも、彼ら自身がキリスト教徒であるとも、彼らは自身がキリスト教徒に所属しているとも言わない。

彼らは「人権を守らないと、祟りが落ちるぞ」と言ったような脅しや恫喝でしか人権の善性を正当化することができない。彼らは「俺はキリスト教徒に所属している」と決して宣言しない。東洋文明では、俺らはこの種の卑怯な態度を失礼と審判する。失礼は悪いので、俺らはこの種の態度も悪いと判断する。

2章 心理

 俺の認識 上記の人々は自己の文明的な所属を表現して、その所属に関する責任や後始末の義務を負うことを恐れる。

 上記の人々は自己の文明的な所属を表現して、その所属に関する責任や後始末の義務を負うことを恐れる。大和民族は自己の宗教や自己の文明的な所属を隠蔽する。もし彼らがキリスト教徒の西洋文明に所属していると宣言する時、彼らは人権に関する宗教的な責任を彼ら自身で負う必要がある。

その時、彼らは人権によって破壊された人々に対する責任を負う。彼らはその責任や後始末の義務を何よりも嫌う。だからこそ、大和民族は自己の宗教や自己の文明的な所属を隠蔽して、彼らの行為の責任や後始末をキリスト教徒の西側白人にとってもらおうとする。

自己の宗教や自己の文明的な所属を明らかにせずに、強いものについていけば、その強いものが大和民族の行為をとってくれると感じている。人権の押し付けは実質的には、キリスト教の押し付けであり、彼らの行為はアメリカ先住民に対するキリスト教の押し付けに等しい。

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